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強迫行為に最後の言葉を言わせるな

NEWSWEEK
2014年12月3日版
BY ALEXANDER NAZARYAN

息子ジョーンの写真を掲げるケリー夫妻、自宅で

それは、2011年3月28日の午後、文房具屋に父と息子がファックスを買いに行く所であった。息子のジョーン・ケリーは25歳になる直前である。以来、町医者である父親のテファン・ケリーが、息子の元気な姿を見る事はなかった。

ジョーン・ケリーはミドルスクールの頃、強迫行為 (OCD)と診断され、高校から大学までその症状に苦しんだ。大学では心理を学び、大学新聞の発行にも参加している。強迫行為とは、儀式的繰り返し行為が止まらない心の病気で、患者は不安と恐怖に苦しむ。2011年3月は彼が大学から自宅があるニューヨーク州ドッブズ・フェリーの町に戻っていた時だった。

彼は、16歳の頃から強迫行為を記した日記を書いているが、その中で、2001年の15歳の頃が健康生活の最後で、以来、強迫行為がずっと続き、少し持ち直したのは、2006年の中国に留学したころだけだったと記している。2010年にはいよいよ追い詰められ、その年の12月1日にアルコールと処方薬を飲んだ後、車を木にぶつけて自殺未遂をしている。驚いた彼の父は、翌日息子をイェール・ニューヘブン病院に入院させた。そこの医療施設が心の病気に関しては最高と判断したからだ。

しかし、丁度祭日だったので専門の先生はいなく、代わりの経験未熟な医師が担当した。これを彼は後で酷く後悔している。ジョーンは12月17日に病院を抜け出し、ホテルに一泊した。そのホテルで靴紐をシャワーに結び付けて、また自殺を試みている。直ぐ、イェール・ニューヘブン病院に強制的に彼は戻された。「この病院では治る気がしない。病院は、ばい菌でいっぱいで、強迫行為が止まらない」と日記に書いている。

アメリカでは約220万人の人が強迫行為で苦しんでいて、彼等の多くは十代で発病している。症状は多岐に渡るが、共通しているのは儀式的繰り返し行為だ。この繰り返し行為で、患者はわずかに不安が緩和する。ジュディス・ラポポートが書いた1989年の研究では、強迫行為の患者は毎日が不安で、生きた心地がしないと述べている。

2011年1月26日、ジョーンは病院からドッブズ・フェリーの町に戻った。この町はハドソン川の堤防に沿う町で、都市の白人が住み、昔の移民堅気が残る町で、数年前までは心の病はあざけりの対象であった。

ニューヘブン病院から戻った彼は、コネチカットにある有名な精神病院で病院のアシスタントとして働き始めた。同時に、ロングアイランドにまで120qを自分で運転して、外来の治療を受け始めた。値段は1時間2万5千円である。

3月には、 父は息子をボストンにあるマックリーン病院に入院させることにした。この病院はアメリカで一番の精神病院と評判が高い。入院許可は出たが、ある書類をファクスで電送する必要があって、あいにくファックスは自宅になく、近くの文房具屋に息子と買いに行くことにした。この車は息子が運転している。

文房具屋(The Staples)の近くには、ジョーンがよく利用したプラネット・フィットネスと言う運動ジムがあった。ジョーンは父を文房具屋の前で下ろし、運動ジムの前で再会する予定で分かれた。

「その時が元気な息子を見た最後だった」とスティーブは言う。スティーブがプラネット・フィットネスに戻った時、既にジョーンはいなかった。仕方なく妻のジャネットに車で来てもらって帰ることにした。夫婦は、恐らく息子はニューヨークのOCDサポートグループに向かったのだろうと考えた。

実は、ジョーンは、ジムに行くふりをして園芸店に車で向かい、何かを買った後、自殺現場に行ったのだろう。ニューヨークタイムズによると、彼は日本で有名になった農薬、あるいは洗剤と何かを混ぜ、毒ガスを発生させて自殺を図ったのだ。

ジョーンが行方不明になってから4時間が経ち、夫婦は心配し始めた。彼等が車で警察所に向かっていると、消防車が凄いスピードで通り過ぎた。警察署で聞くと、若い男が黒のジープの中で意識を失っていると言う。

スティーブは家に飛び返り、妻と共に叫び泣いた。警察はジョーンの車を、自殺が丘として知られているゴルフコースの近くにある裏道で発見し、彼の死を確認した。現場を見た人によると、車の運転席窓と客席窓には”危険物扱者を呼んでくれ”と張り紙がされていたと言う。恐らく、人を傷つけたくない彼の気遣いであろう。

強迫行為とは、自分の行為がおかしいと十分理解しているが、止められない精神病である。強迫行為に比べて、統合失調症や鬱病では妄想状態が強いため、逆に自分を疑うことはなくなる。

強迫行為は、一般の人から見ると大変不思議な病気だ。例えば上司と関係が悪いとする。患者は机を7回コンコンとたたき、関係が改善したように感じるが、少し経つとまた不安になり、更に8回たたく。そしてまた9回たたくと言う風に限りなく繰り返す。

「患者は自分の脳からその命令が聞こえて来て、何か異物のようで、外部から強制されているように感じる」とイェール強迫行為研究クリニックの、クリストファー・ピテンジャ氏は説明する。



ジョーンが7年以上強迫行為を綴った日記
ジョーン・ケリーの日記には、強迫行為の克服を確信した時や、強迫行為に負けてしまった時の、揺れ動く気持ちを書いている。「強迫行為なんて脳が発するオナラだ」と書いたページもあった。

弔辞で、父のスティーブは、息子が訪れた沢山の病院や、数々の効かなかった薬の名前を述べた。彼の強迫行為は、彼が死ぬ事により終った。残念ながら、彼は強迫行為に負けたのだ。

社会は、今まで強迫行為を笑の対象にして来た。強迫行為は確かにおかしな行為であるが、ウディ・アレンが演じるような他人には無害な種類だ。1997年の映画の”恋愛小説家”では、ジャック・ニコルソンが成功したマンハッタンの小説家、メルビン・ユダルを演じている。偏屈で大げさな身振りの主人公は、実は奇癖を持っていた。

歩道をダンスをしながら歩き、でこぼこや見知らぬ者を避けた。近くの軽食堂では、持ち込んだプラスティック製のナイフやフォークを見せびらかした。ニコルソンの演じ方は、心の病気にそぐわない変に陽気である。映画は良くできているが、メルビンの病気の苦しみは映画の表現以上のものではなかった。この映画でニコルソンはアカデミー賞をもらっている。

5年後には”名探偵モンク”がケーブルテレビのUSAネットワークで初演された。主演はトニー・シャルーブで、強迫行為の探偵を演じて大成功を収め、8ジーズン放送された。
これには批判も寄せられ、”Psychology Today”に掲載されたフレッチャー・ウォートマンの意見によると、「このTVシリーズは強迫行為を上っ面で捉えているし、呆れるほど不便で、治るのが難しく描かれている。強迫行為を笑い飛ばしても良いが、患者が抱える深刻な面を無視するのは耐えられない」と批判している。
でも、最近は強迫行為がお決まりの繰り返し行為のイメージだけから抜け始めた。

2013年、ウィスコンシン州のマディソンで行われた詩の朗読コンテストで、マッカレスター大学の卒業生であるネイル・ヒルボーンが、“強迫行為”と題する詩を朗読した。 ヒルボーンはヒューストンで生まれ育ち、11歳の時に強迫行為と診断された。彼も子供の頃から頻繁な手洗い、ドアー鍵締めの確認、死の異常な恐怖を経験している。

この詩は在学中に書いたものであったが、コンテストで読む頃には、詩を恋を寄せる女性へのロマンスに昇華させていた。
「僕が最初に彼女を見た瞬間、頭の中は一瞬にして静かに冴えわたり、思考は彼女の一点で停止した。彼女も求めていると思い、キッスを16回も24回もした」。詩を読む彼は、情熱的なキコリのように見える。その彼女も、彼の強迫行為に耐えられなくなり離れる。

しかし、彼女の戻りを期待して「戻ってきてくれ。ドアーは何時も開いているし、電燈もそのままつけている」と続ける。この詩の朗読は3分以内で終わっているが、ヒルボーンは教会の説教で疲れていたので、客席の拍手喝さいに答える間もなく、そのままステージを去った。

この詩の録音はバットン・ポエトリー社が担当し、この夏評判を呼んだ。珍しくブログ・パブリッシャーのGawkerが、「大変感動的」とコメントを寄せている。
今、”強迫行為”と題されたこの詩の朗読ビデオは、ユーチューブで850万回の閲覧記録をしている。詩を聞いたあるファンは、以来、強迫行為に対する考えが変わったとヒルボーンに言って来たと言う。

2013年の3月10日には、ケーブルテレビのHBOの番組”ガールズ”が、強迫行為の寸劇を放映した。この中で、リーナ・ダンハムが演じる主人公のハナー・ホーバスが強迫行為と戦っている。彼女もニコルソンのメルビル・ユダルと同じく小説家であり、ただ、ニコルソンに比べて若く、激しく苦しんでいる。彼女の場合は、小説を出版することが逆に症状を悪化させた。ある日、セラピストに行く決意をして、ボッブ・バラバンが演じる冷淡なセラピストに面接する。セラピストはハナーに、典型的な強迫行為ですよと診断を下す。それを聞いた彼女は大変腹を立てる。

典型的強迫行為ですか。ええ、結構です。足が震えるまで自慰をやる。自慰のやり過ぎで泣き出したくなる。親が聞いているかも知れないから、ドアを8回開けて確認する。自分の歯磨きブラシを64回動かす。父の歯磨きブラシも64回動かす。既に夜中の3時までこんなことをしているが、まだすっきりしない。疲労困憊して、それでも翌日学校に行く。人が自分を見たら見られない顔だろう。

典型的強迫行為
「強迫行為の患者は、決して自分の苦しみを人に話さないが、ダンハムはよく表現してくれた」と the Psychology Todayのブロガーであるウォートマンは称賛している。寸劇の他に彼女は本も一冊書いている。The New Yorkerの本の抜粋によると、彼女は子供のころから成人するまで強迫行為に苦しんだらしい。

「ホームレス、頭痛、強姦、誘拐、ミルク、地下鉄、眠り。これは私の不安リストの一部だ。確かにセラピーは多少助けになったが、決して解決になっていない。強迫行為はこれからも続くだろう」と書いている。

「有名になった人が、自らの強迫行為を認めるとは驚きだ」と精神科医のジュディス・ラポポートは言う。多くの強迫行為の患者は、ひたすら隠す。こんな時に、ダンハムなどが患者に手を差し伸べるのは大変重要だ。「高校こそが人生が開花する時なのに、高校を思い出すだけで情けなくなる。」とジョーン・ケリーは日記の中で書いている。

静な叫び
社会が、強迫行為を、重大な心の病気と認め始めたのは大変良いことであるが、科学がそれについて行けてない。イェール・ニューヘブンの研究者であるピッテンジャーは、「精神医療の専門家も、強迫行為を正確に理解していない」とブログで述べている。

「強迫行為は、他の心の病気に比べてストーリーに魅力がない。患者は症状を、精神科医にも話さない。これが病気を難しくしているのです。飛行機に乗るときに、機体を7回たたいても、飛行を安全に出来ないのは本人も知っている。彼らを辱めているのは、本人自身なのです」とジョーン・ホプキンス病院のネダート氏は言う。彼は最近、強迫行為関連遺伝子を発見している。

「脳スキャンや遺伝学が大分進歩しているが、まだ治療法発見には至ってない」と、アメリカ国立衛生研究所の上級研究員であるラポポートは言う。強迫行為の原因は多分、尾状核当たりであろうが、実際の原因は別の場所にあるかも知れない。神経伝達物質のセロトニン、ドーパミン、グルタミン酸の分泌のコントロールができてない状態なのだろう。

SSRIと呼ばれる抗鬱剤が、強迫行為に効くことがある。最近では、馬の鎮静剤のケタミンが有効ではないかの報告があった。一方、脳深部刺激療法も試みられているが、強迫行為の原因が分かっていないのだから、これらの療法が効くと言っても説明がつかない。

「心の病には特効薬なんてものはないし、当分ないでしょう」と雑誌ネイチャーの編集に携わっているデイビッド・アダムは言う。製薬会社が、巨大な投資をして、心の病気の新薬開発に乗り出す気がないからだと彼は言う。

アダムはネイチャーの編集者であると当時に、自分自身、強迫行為の患者でもある。最近、彼は”止められない男;強迫行為とその失われた人生”のタイトルで本を書いている。この本は、イギリスでも最も読みやすい専門書の評判を得ている。アダムの強迫行為の原因は、たった一つ、エイズに感染したのではないかの不安だ。

アダムは、一日に何回もエイズに感染していないか確認する。エイズのウイルスが何処にもあるように見えて、歯磨きブラシ、タオル、水道の蛇口、電話の安全確認が止まらない。

彼もエイズがそんな簡単には感染しないことは知っている。しかし強迫行為を起こす脳は、理性の脳より深い部分にあり、科学、論理では説得できない。
今日、治療はSSRIと暴露療法で行われている。暴露療法とは強迫行為から逃げないで、強迫行為に向かっていき、不安に慣れてしまう療法だ。ピーナッツ・アレルギーを治す療法に似ているが、ピーナッツの量を増やして克服するに近い。イェールのピッテンジャーが説明する所の、脳の適応、柔軟性に期待する療法だ。

アダムは現在ゾロフトを毎日200r飲んでいる。強迫行為はある程度良くなったと言うが、何時爆発するか分からない。私がアダムに電話した日は、丁度悪い日で、朝食でいつものようにパーティーホルンを吹いたら、そのホルンが子供に病気を移してしまったと心配になった。奥さんもその度を越した心配性には呆れている。本人も分かっているが、そんなことでは強迫行為は止まらない。強迫行為とは、人間の疑念と言う、心の重要部分の抑制が外れてしまった状態と言って良い。

強迫行為の首都
2014年の11月25日、私はジョーン・テッシトールと、一軒の何処にでもありそうなアイリッシュパブで会った。彼には兄のポールが同席した。弟のテッシトールは、ケリーより3歳半若いが、ケリーとは強迫行為でつながっている。テッシトールが言うにはドッブズ・フェリーの町は活発な町で、心の病など話す事はタブーであったと言う。

兄のテッシトールは、自殺したジョーン・ケリーの学校時代の仲良しであるが、強迫行為をそれほど深刻には考えないタイプで、「何をそんなに考えているのかね。私だって問題がある」と言い放つ。しかし、死んだケリーは弟のテッシトールに、強迫行為と戦うようにアドバイスしている。

ジョーン・テッシトールとケリーはよくビアポンゲームに興じた。これはゲームであると同時に、強迫行為の暴露訓練でもあった。「ジョーン・ケリーはこのゲームの後、強迫行為が幾分和らいだようであった」とテッシトールは語る。

しかし、ケリーはコルゲート大学を卒業した2008年頃から、おかしくなり始めた。ケリーは、サンディエゴの非営利組織である”見えない子供たち”の裏方として働く。この組織はウガンダの戦争の犠牲になった子供たちを救う団体である。その後、ウィンチェスター郡に戻り、やはり発展途上国を援助するアフヤ財団で働き始めた。その間、アラスカに渡り、魚の缶詰工場で働いたこともあった。町を出ることで、何とか症状を和らげようと思ったのだろうと父は言う。しかし、強迫行為は依然解決しなかった。

ケリーが自らの命を絶ったのは、テッシトールが丁度春休みで、フェアフィールド大学から家に戻って来た時であった。この知らせを友達から聞いたテッシトールは打ちのめされた。

テッシトールは大学生の時”伝説は消えない”と題した23分のドキュメンタリーを制作した。このフィルムでは、ケリーの強迫行為の戦いを、彼の日記から引用しながら描いている。ケリーの戦いは希望から絶望へ、絶望から希望へと揺れ動く。
ドュメンタリーの最後は、ケリーの日記から「人は私をどう覚えていてくれるのであろうか。強迫行為に負けたのか、あるいは勝ったのか」と引用し、ヤギ髭面のケリーがカメラに向かって笑うシーンで終わる。

テッシトールに言わせると、ジョーンの死以来、ドッブズ・フェリーの町は強迫行為の首都になった。自殺と言う衝撃的な意味ではなく、強迫行為の危険性を広く社会に知らしめると言う意味である。他の町もドッブズ・フェリーにようになれば、この病気の解決も大きく前進するであろうと続ける。

社会の強迫行為に対する認知には、一人の死と言う高いコストを払わなければならなかった。しかし、ジョーン・ケリーを信愛する人たちは、悲しみに留まっていられない。ジョーンが日記に書いた「強迫行為に最後の言葉を言わせてはならない」を実現しなければならない。


息子が自殺した自宅の近くの林の中に立つ夫妻
2013年にジョーンの両親とテッシトール兄弟、それとドッブズ・フェリーの町の人々が、ジョーン・クリーバー・ケリー・ファンデーションを設立した。目的は強迫行為の危険性を一般に知らせることである。彼等はまず、大学のキャンパスでケリーの話を伝え始めた。他の慈善団体も運動に参加する一方、ジョーン・ファウンデーションは、夏季ソフトボール大会を催して寄付金を集めた。

私が父のケリーと会ったのは感謝祭の前で、彼はニューヨーク州の大学のツアーから帰って来た所だった。彼はその後直ぐ、ウガンダに旅立つ。2011年に設立した、息子の名前をつけたウガンダの診療所に行くためだ。診療所は熱帯性の病気を治療しているが、今は心の病の診療も開始している。彼は、息子のような人は世界の何処にもいると言う。



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