一生動き続ける


この言葉が神経症者に多いので驚く。誰が一生動き続けると言いながら生きているであろうか。
例えば呼吸を取れば、我々は生きている限り呼吸をするが、誰も一生呼吸をし続けるなんて言わない。生きるとは動く事であり、生きる事そのものが楽しいから動いているだけだ。貴方が神経症になる前を考えてみれば、動き続けるなんて言った事は一度もなかっただろう。そんな事考えもしないで動いていたはずだ。

この地球に生きる動物で動かない動物はいない。動物とは動く物と書き、文字通り動く。人間もその動物の一つであり、脳の構造も基本的に他の動物と同じである。

何故神経症者は”一生動き続けないとならないのか”と言うか。それは彼らの脳が意識に乗っ取られていて、無意識脳の動作が消滅してしているからです。我々は意識で生きているようであるが、実は日常の大半は無意識で生きている。

例えば、ある服を買いたいと思って近所のショッピングセンターに行くとする。頭の中は、どんなデザインでどんな色の服を買いたいなと考えている一方、そこへ行くまでの道すがら、交差点を渡り、人込みの中を歩く。都会の喧騒の中で、無意識は我々に危険を知らせてくれ、障害物を知らせてくれる。お蔭で、特別に意識をしているわけではないが、無事に目的地に着く。

もう一つ無意識の例をだすと、何時もマンションの正面入り口のドアーを、ピポパの数字ボタンを押して開けていたが、今日は持ち物で指が塞がっていて、何時もの右指が使えない。左指の空いている指で押すと、何べん押してもドアーが開かない。実は文字コードを頭で覚えていたのではなく、右指が文字コードを覚えていたのです。

音楽を例に出すと、ショパンの名曲を有名ピアニストが弾いている。確かに感情を込めて弾いているが、実は頭が覚えているのではなく、指先が覚えているのです。実際は脳が覚えているが、弾き手に取っては指先が覚えているように感じる。私も若い頃ギターが好きで、タレルガの名曲に挑戦して弾いたが、曲全部を暗記しているのは指先であった。

人間も含めて動物は全て、過去何千万年の進化の中で、AI運転装置ともいうべき無意識脳を発達させてきた。爬虫類以下の動物では、ほとんど無意識脳だけで生きている。哺乳類、その中でも人間は意識と言うものも発達させたが、それでも原則的に他の動物と同じく、動く時に意識を使う必要がない。意識を使はなくても十分物事は処理できるし、またそうした方が処理が早く正確であるからだ。

私は今神経症が治って25年、日常意識を使う事はほとんどなくなった。なるように任せているだけで全てがスムーズに行く。それ故に、ここぞと言うときに意識を動員して慎重に物事を処理するから、仕事の質、学習の質の向上が目覚ましい。一方、意識を過剰に使う神経症者はどうだろうか。彼らの仕事は間違いが多く、気転が聞かなく、閃きが消えていて、とても社会でまともに生活できるように思えない。
その状態の人に私が動けと言うと、”一生動かなければならないのか”と文句を言う。これは精神病患者の言葉ではないか。

貴方は正常でないとしっかり認める時が既に来ている。



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