頭痛薬の常用

私は若いころから頭痛を定期的に経験し、薬箱には愛用の頭痛薬イブAが常に用意されていた。年を経るに従い使用頻度が上がっていて、効果は減少しているのに気づいていた。頻度が高くなると費用もバカにならない。3年ほどまえに、ハワイに行った時に薬局によってペインキラーを探した。そしたらこれが安く、50錠、100錠の大瓶で売っていて、単価は日本の10分の1ほどだ。安くて一安心したのですが、この瓶も買ってきて飲んでいたら、ほどなくしてなくなるほど、頻繁に使っていた。

そこで最近、船瀬俊介が書いた”クスリを飲んではいけない”を読んではっと気がついたのですが、知らず知らずの内に、体に耐性が出来て効果がなくなっていた。と同時に、消炎鎮痛剤が頭痛の原因を作っていたらしい。本来風邪の症状として、だるい、熱が出る、頭痛はあっても良い症状で、体がウイルスを撃退しようとして戦っている証拠でもある。だから抑えてはいけなかったのだ。例えば熱が出るは、体温を上げて熱に弱いウィルスを駆逐しようとしているのであって、これを下げるとは、自らウイルスとの戦いの武器を放棄するに等しい。頭痛にしても本来耐えるべき所を、強制的に痛みを除去させようとして深みにはまってしまった。

この話は何か神経症に似ている。神経症の症状は、当然あるべき症状を異常と考えて、それを除去しようとしてはまり込む。但し、ここまでは森田療法の説明と同じで、斎藤からわざわざ聞く必要がない。問題はその次で、原因を理解するだけでなく、実行が大事だ。神経症を治すには、消炎鎮痛剤の常用を停止するのと同じく、どんなに頭痛(神経症の場合は症状)が襲っても、今後一切の錠剤(療法)を飲まないと固く決意して実行するのです。しかし神経症者ではこれが容易でない。あまりにも強烈な強迫観念のため、深刻な疑問が浮かんできて、それに圧倒されてしまう。

我々神経症者は、拒食症の人が、何故生命を危険に曝しても食事を拒否するか理解できない。しかし斎藤は、拒食症と神経症を同列の狂いと見る。拒食症では”体が醜いから食事制限をしろ”の強迫観念がうなっているし、神経症者では、”何が何でも症状をなくせ、改善せよ”の命令が出っ放しになっている。

このため、今まで30年間も療法所を転々としている人が、今度は行動療法を試す、やれアスペルガー症候群の可能性もあるから、脳深部磁気刺激療法を試すと言い出す。斎藤も負けず劣らずで、”彼女を作れ”の強迫観念のため、気がついたら48歳でひっそりとアパート暮らしをしていた。仕事もだめ、結婚もだめ、そして慢性の鬱状態で廃人に近い状態であった。

所で、私は頻繁に神経症者に動けと言う。彼らの殆どが動けなくなっていて、終日家の中に座って考え続けているからだ。すると、彼等の多くが何をしたらいいのかと聞いてくる。誰がこの世の中で何をしたらよいかと聞くであろうか。そんなことを聞くようでは会社はクビになるし、家庭は崩壊する。また、雑用とは何かと聞く人もいる。雑用とは生きるための動き一切合財を言う。これが見えないとは、今後生活の身通しが立たないことを意味する。

時々掲示板には、森田療法と無為療法の違いを云々する文章が書き込まれる。健康世界では、森田療法も無為療法もそんなものを知らないし、知る必要もない。子供が学校から帰って来て、森田療法と無為療法の違いが分かるまで公園に行かないと言ったら、その子供は大人に育たない。また、仕事の前に瞑想をすると言う人もいる。仕事に行く前に瞑想をしないと仕事にいけないと言うのは、瞑想をしても、仕事に行けないことを意味している。いや、実際は瞑想をするから仕事に行けなくなったのだ。大体そのような意識操作をしながら車の運転をしていたら、飛び出てきた子供を避けきれない。我々は意識操作をしないから、瞬間の判断が出来て、動作が速いのです。

人間を含む全ての動物は、動く前に意識を確認する必要なく出来ている。我々はそのように進化をしてきたし、意識操作をする動物がいたとしたら、その動物は既に絶滅している。何故なら、行動に遅れが生じて、野生の世界では捕食動物に食い殺されてしまうからだ。その、自然に与えられた情報処理の基本を、神経症者は変更しようと試みて、事態を悪化させてしまった。代償は大きく、意識地獄、意識の分裂、そして動作の消滅と三段論法で生活が停止してしまった。

大方の神経症者に比べて斎藤の体は大変軽い。一日中、リズム良く雑用をこなして、生活は小ざっぱりしている。判断が一々ツボにはまるから、収入が上がる。一旦このような状態を経験すると、もう、神経症者相手に人生相談に応じるなんて、バカらしくてやっていられない。神経症者に親切そうに人生相談の相手をしている人は、神経症が治った人ではなく、神経症者と同じ土俵にいる狂った人なのです。



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