真の神経症治癒とは
- 思考がストレートである
神経症特有のぐるぐる回り思考が解消されている。
- フラッシュバックの頻度と強さが大幅に改善されている
フラッシュバックを地震に例えますと、無感地震は毎日起きている。震度2以下の弱い地震は3日に一度位。震度4から5の強い揺れは3ヶ月に1度。6強の家が倒壊するほどの地震は殆どない。
- 雑用がどんどんできる
特に日曜に家の中の雑用ができる。健康な人以上にできるであろう。やった後にはすがすがしさが残り、次の用にと活発に動く。
- 鬱状態の消滅
たまに襲う震度5程度のフラッシュバック直後では短時間鬱状態になるが、日常では鬱状態は殆ど死語になっている。
- 症状の消滅
症状は殆ど消滅している。しかしそれに喜びを感じない。
- 療法が存在しない
この療法があったからここ迄到達したの認識はない。あるとすれば、動きが停止しないように気を付けているだけである。
- 日常生活が健康な人と同じである
会社、学校、友人関係、家庭内の活動において、殆ど健康な人と変わらない。 - 頭の回転が速い
神経症になる以前の自分に戻っている。仕事の処理も速いし、勉強もどんどん進む。 - 間違いが減り記憶力が改善する
神経症者の仕事は間違いが多い。強迫観念が邪魔しないから間違いが大幅に減少する。 - 決断が早く正確である
日常迷う事は殆どなくなる。決断が正確であるからビジネスで成功しやすい。 - 友人が増える
普通の人間関係を回復する。人間関係は不即不離の中庸を行く。
- 行動半径が広がる
同時に沢山の仕事が処理できるようになり交友関係、行動半径が大幅に広くなる。 - 社会に迷惑をかけない
家庭の悲劇が解消される。職場の一員として溶け込む。仕事、勉強、日常活動で社会をリードする。
これに対して間違った治癒とは
- 症状が消滅したと喜ぶ
症状の消滅を喜ぶとは神経症妄想の成功であるから神経症は続く。
- ある人を師として崇める
師は自分の脳である。その場における最も適切な判断を下すのは己の脳であるから、自分以外に師を求め、その助言により治ったと言う場合は神経症である。
- 神経症なんか忘れてしまったと言う場合
神経症を忘れてしまったと強弁しているのであり、背後には強迫観念が迫っている。神経症は忘れる事では治らない。
- 仕事、勉強、その他を必死にやっていたら神経症が治ったと報告する場合
必死に何かをしていると短時間だけ神経症を忘れる事がある。しかし神経症が戻るのは時間の問題である。
- 社会の模範行為をする、他者に尽す
己を忘れて他の人に尽せば神経症が治るであろうと誰でも考えそうだ。神経症はモラルの問題でもなければわがままの問題でもない。
- 恐怖の中に突入していっぺんに解決した
恐怖の中に突入して一挙に神経症を解決したいと神経症になると誰でも考える。しかし皆失敗している。神経症を解決するには、時間をかけた脳内の配線の組み換えが必要になる。
治るか治らないかは二者択一
神経症の治りは体の病気の回復と同じと考え勝ちであるが、そうではない。神経症とは脳の狂いであり、脳は電気回路で動くコンピューターであるから、治るか治らないかの二者択一で、脳のスイッチがどちらにするかで決まる。
負の遺産
神経症は生物学的理由で起きているために、完全治癒は存在しない。だから無為療法の治癒の状態にあっても、今後も注意して生きていかないとならない。そのため次の行為を禁止する。
- 異性恐怖の人間が敢えてそれを試す行為
- 書痙の人が敢えて人前で文字を書く行為
- パニック障害の人が敢えてパニックを起こす状況に飛び込む行為
- 強迫行為の人が強迫行為を起こす状況を作ってどれほど治っているか試す行為
- 激しい恐怖を起こす状況に自ら飛び込む行為
不安をもてあそんではならないのです。われわれの扁桃体は健康な人のそれより不安爆発をしやすい。だから自分に自信がない状況で度胸試しをしてはならない。
治癒の質を高めるには
神経症の完全治癒が存在しないのなら、現実的選択しかない。それは車の安全運転に似ている。人生の安全運転に心がければ、殆ど神経症を再発させる事なく人生をまっとうできるが、もし現状を不満と考えて、神経症を根こそぎ除去しようとすると、その瞬間に貴方の人生は崩壊してしまう。
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