神経症が治るからくり



神経症の状態とは

神経症とは、不安が巨大台風となって猛威を振るっている状態と言って良いでしょう。不安即ち意識の過剰が、我々の生活を支えている無意識の活動を大幅に低下させ、生活を困難にさせている。過剰な意識は無意識を抑え込み、抑え込まれた無意識が、更に意識の猛威を許すと言う、悪循環にハマっている。

暴走した意識を如何に止めるか
無意識が抑え込まれた状態とは、ブレーキが故障したダンプトラックが走っている状態と言える。この暴走しているダンプトラックを如何にして停止させることが出来るか。ブレーキの役割をする無意識を活性化すれば良いが、神経症者は動きを嫌がる。動きこそが、無意識の活動を示すリトマス試験紙であり、無意識そのものであるが、神経症者はこれを極端に嫌がる。

無意識の活性化と意識の鎮静化
我々の意識構造は、90%の水面下の無意識と、水面上10%の意識からなると斎藤は仮説を立てる。この構造は大変安定で、心は平安であり、体は俊敏に動く。何故なら、日常の大部分の動作は無意識に指令されているからである。


我々は無意識の重要さに気が付かなかった。
神経症が治って気が付く事は、我々の健康な生活の多くは、無意識により成り立っているという事であった。斎藤の体は今俊敏に動くが、一々意識をすることはない。頭は何か別の事を考えていても、体は勝手に動き、必要な物事はどんどん処理されて行く。これだから健康な生活は楽しいのです。誰もやるべきをやるなんて言っている人はいない。第一、やるべきか、やるべきでないかは何処で判断するのか。そんな事を一々考えていたら生きていくのが嫌になるでしょう。

雑用ばかりか、無意識は対人関係の折衝、言葉の選択、気転、気配り、目の位置等あらゆる所作を命令している。お蔭で一々考える事もなく最善の状態を保ってくれる。視線恐怖の人が何処に目を置いたらよいかと聞いて来るが、目の位置を決めているのは無意識であって意識ではない。やってはいけない意識操作をするからその罰として、強烈な不安に襲われるのです。

意識の役割とは、全体の動きを包括的に見て間違った方向に行かないように監視していると考えたら良いでしょう。人との面談が終わったらその次に何をするか、家に帰ったらどうするか、明日の予定はと大きな目標を描いている。この役割分担があって始めて、我々の活動は完成されるのです。これを神経症者は全部意識でやろうとした。そんなことはできないし、進化で獲得した脳の機能を破壊する行為であるから、当然の結果として、神経症者の生活は窮地に至っている。


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