治った人たちの意見
その1


神経症者の「エサ」  投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月6日(土)14時58分5秒
自分の書くことが神経症者の「エサ」にされてはたまらない。そうされるくらいなら、書くことを控える。その困難の中で、管理人さんがこのサイトを長年維持されている苦労、神経症者の皆さん、わかってください。

管理人さんへ  投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月6日(土)14時49分38秒
私は無為療法を続ける事が使命であると考えています。-----管理人
森田正馬の失敗と異なり、管理人さんは正しい道を説いておられる。まさに神経症は「治そうとする病気」です。
芹沢さんのような人を見ると、無為療法で治っている人が
私の知らない範囲である程度いると感じます。
雑用の会のメンバーはその後書き込みがありませんが、芹沢さんと
意見を同じくしているのではないか。----管理人
雑用の会のメンバーの皆さんの書き込みがないのは、もしここに自分の意見を書くと、それが神経症者の「エサ」になるだけだろうと警戒してのことだろうと思います。私も、ここに書き込むネタはありますが、 神経症者の苦しみを増すだけなのであれば、ここには書けません。
神経症者の視線がある以上、管理人さんと楽しく意見交換というわけにはいかないです。ですから、治った方たちからの援護射撃はなかなか出てこないのでしょう。無為療法で治っている人は、管理人さんが知らない範囲である程度いるのは確かです。
倉田百三も治らなかった。彼の森田治療院を出る時の言葉が有名です。「治らずに治った」、これ、私が鈴木に入院している時に退院していく人たちの言葉に一致している。神経症が治ってない表現です。-----管理人
倉田百三が神経症を患っていたことは知ってましたが、このセリフは知りませんでした。彼の戯曲を読んで「治ってないかな」と見当をつけておりましたが、やはり治ってませんね。

Re: 褒め称えるということ  投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月6日(土)14時02分4秒
しかし他人を褒め称える時点で限界が来ている。
逆もまた然りで褒めてもらいたいと思っている時点で限界が来ているのです。---- 夢fantasy
わたしは、管理人さんに神経症が治っているお墨付きをもらおうという気はないです。だから、堂々と管理人さんを称賛できるのです。治ったお墨付きをもらいたい下心で管理人さんを称賛すれば、私の神経症が治ってないことになる。

このHPの管理人さんのすごいところ  
投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月6日(土)12時24分16秒
無為療法で神経症を卒業すると、神経症のことなんて興味がなくなり、ここを離れるのが普通だと思いますが、管理人さんはそうしない。神経症についての考察をきちんと残していて、これ、案外できないことです。

神経症であるかについて興味が湧きません。
投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月6日(土)12時12分37秒
はじめて投稿します。私は以前、神経症をわずらっていました。森田療法の本を読む時期もあったからそうでしょう。しかし無為療法を知り、治そうとする意志が強迫観念であり、病気の本体であると気付いて以来、このホームページを参考にして生きて来ました。現在、自分が神経症であるかどうかは興味がなくなっています。

その通りだなと私が特に共感するホームページの内容を抜粋します。主張内容は、きちんと整合が取れていると思います。残念ながら森田正馬、種田山頭火、
倉田百三の3人は神経症が治ってなかった。
<神経症の状態>
B 鬱に襲われる
神経症の二次的症状として頻繁に鬱に襲われる。真正の鬱と違って自殺念慮をともなわないが、何をやるにも自信を無くし無気力になり、人生の先行きを考えて暗澹となる
F 物事を非常に難しく解釈する
心理学の本を沢山読むため、すべて心理分析的、哲学的になり健康な人や子供のような単純な思考とは縁遠くなる
G ほぼ永遠に神経症を治す努力をする
神経症とは治療という強迫行為を生涯続ける病気です。あるいは、森田療法にしがみつく、精神病と言って良いでしょう。
<神経症が治った状態>
B 関連の書類を読まなくなる
心理学の本や哲学書、森田療法の本は興味が無くなる。敢えて言えば自分が一冊書きたくなる。
D 症状が消える
症状は消えているが、消えた状態を忘れている。
E 心が平らになる
神経症時の様な激しい落ち込みや、ふっと気持ちが高揚して治ったのではないかの不自然な喜びはない。
G 注意、気配り、工夫がよみがえる
脳が健康になるから、生命本来の注意深さが戻る。

<神経症を治す方法>
神経症を治す方法を探してはならない。
(神経症とは、治療と言う強迫行為を生涯続ける病気、あるいは、森田療法にしがみつく精神病と言える)
どんなに激しい苦しみをして落ち込んだ日も、家に帰ったらもう反省はしない。
翌朝出勤するにあたり、あらゆる恐怖を撃退する武器を携行せず、丸腰で家を出る。

神経症者に対するありきたりのアドバイス
投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月7日(日)10時34分40秒
神経症者には、世間のありきたりのアドバイスがほとんど役に立たない。
仕事がおもしろいふりをすると、それだけで仕事がほんとうにおもしろくなるから不思議だ。疲れをあまり感じなくなるし、緊張もとけ、心配もやわらぐ--- アメリカの鋼鉄王、カーネギー
こういうアドバイスは、一般の人たちに通用する話でしょう。一方、森田正馬は神経症者を甘やかせないためにか、恐怖突入と言った。おそろしい言葉ですね。
こんな言葉を神経症者は信じているのでしょうか。恐怖突入は神経症者だけが使う言葉ですよ。これから、神経症が単なる人生問題でないのがわかる。やはり神経症は精神病の一種でしょう。

ロンドンに行ってどうして悪い
投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月7日(日)07時21分54秒
神経症とは人間になり損ねた人達と言える。ロンドン行こうが、南極に行こうが月面着陸しようが神経症の狂いは何処までもついてくる。---管理人
そのとおりです。管理人さんが引用していた、種田山頭火の一句に、「こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす」とあります。旅に行った先でも、この体たらくだ。
彼は後世に名を残しているが、神経症はそのまま。
結局、ロンドンに行った、南極に行った、月面着陸が出来たと自慢し、神経症が治ったと考えれば、すでに間違った道ですね。
完治根治は神経症  投稿者:芹沢 投稿日:2019年7月7日(日)06時21分24秒
森田正馬は明らかに神経症の患者で、だから完治根治を言うのです。----管理人
これは正しいですね。森田が間違っている理由を、このホームページでは「神経症と化学的平衡」で説明しています。
神経症が治るとは森田療法が言う完治とは違う。
化学反応の平衡状態に似ていて、反応は右にも左にも行くが、
一方的に右(健康状態)にずれた状態を神経症の治りと言う。
この指摘は、以前から参考にさせて頂いています。こんなに切羽詰まった局面でも、なぜか森田は完全治癒を言う。真犯人をみつけて、排除しようと全力を尽くしているその正義の味方が犯人とは。だから治療行為の全面停止なんです。

最近気づいたこと 投稿者:あゆ 投稿日:2016年11月26日(土)18時29分55秒
神経症とは、動いていないから起きた悲劇と言えるのではないでしょうか?動きとは、周りの家族を見ての通り、料理していたり、掃除だったり、トイレ行くのだったり……そういう生物的な動きを言うのです。仕事に行くことそのものと取り違えたらいけませんよ。家に監禁されてでも、雑用をすべきです。

違和感ありすぎです 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年11月20日(日)23時24分7秒
神経症を治したい気持ちは解るけど、実際やってる事は頭の中のお遊びです。解ってる気になって治ってる気になるのも妄想です。現実に動いてる人はここでは治った人以外はほぼ全滅のように見えます。最近は空手が面白くなってきました。 空手も一つの動作ができている気になっていても、実際動画などで自分を撮るとヘボい。 そうやって自分の勘違いに気づかないといくら練習しても上達しない。

神経症も自分の狂いに気づかないといくら学んでもその場足踏み状態です。しかし、気づこうとしても駄目だし…。 やはり治ってから気づくものか…。となると雑用しかない。

加藤諦三 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 7月18日(月)18時03分41秒
以前、加藤諦三の動画を見たことがありました。彼は気持ち悪い。日本はこんなのが心理士になっているのか。全く持って不愉快である。神経症者もそうですが統合失調症の人が書きこむのもどうかしている。雑用を報告するなら、まあいいですが。。。しかし、加藤諦三は哀れだ……。この人も人生相談に乗ってるのを前見たのでHNと全く同じです。根性など言っていないで簡単な雑用を開始すべきです。

斎藤先生、走る男さん 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 7月18日(月)09時44分33秒
この掲示板では、お二人とあゆさんから、雰囲気を感じ取っていた事は確かです。神経症者とは違う自信。そして言葉に威厳と温かみがあります。

神経症者にとって、健康な人は現実には近寄りがたい存在かもしれません。自分と明らかに違う雰囲気を持ってるからです。健康な人にも、神経症者は近寄りがたいです。ですので、この掲示板でのやりとりは、大変有効と感じます。お互いが考えてる事を書ける。治った人は、健康になるとはどういう事かを知っていますので、その人自体が道標になります。精神分析をして自分を理解したつもりになった所で、治るわけがありません。治療法を試した所で、その行為自体が神経症です。

動かない限り、健康世界へ抜けられません。その動きは社会の一部となり、おおくの人に貢献します。社会生活の中で、みんながやってる事ですね。ごく当たり前で普通の事です。今、私はこれから先が楽しみです。色々な事に興味が湧きます。やりたいことはたくさんあります。神経症を治す為に生まれてきたわけないです。永遠に生きられるわけないです。勿体無いです。神経症のみなさん。もう治すのは辞めて動きましょう。

狂いと健康 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 7月17日(日)19時21分42秒
ここのサイトを見始めた頃の事を考えていました。当時は、治す為でない無の雑用の意味が、全くわからなかったと思います。無の雑用という表現が、何か特別な状態のように思っていたとも思えます。でも、わからなくとも動くしかなかった。この先何十年と、神経症をやって死んでいくのを想像するのは、耐えられなかったです。最初の内は、治るのを期待しながら雑用してたと思います。家での家事などに拘り、やることを自ら増やし、できるだけ動くようにやっていました。

たまにここのサイトに来て、自分は今どのくらい治っているのか、向かっている方向は正しいのかを確認したくて、斎藤先生や走る男さん、あゆさんの投稿を眺めていました。仕事と同時に一人暮らしを初めて間もない頃でもありました。しかし、全然神経症真っ最中でしたね。仕事はあらゆる事に緊張していましたし、上司にも冷たくされて、解らない事を一つ聞くにも勇気を振り絞らなければならない状態でした。不安の渦ですね。

ですが、強制的であれ、雑用を意識していたのはよかったと思います。帰りに買い物をし、家に帰り食事の支度と洗濯をし、食後の片付け、洗濯物を干したり、アイロンかけたりで、就寝間際の時間になっていました。休みの日も掃除を中心に雑用をし、自分のアパートがある程度綺麗だと、実家に帰り掃除をしていました。

そんなやりくりの繰り返しを続けていて、いつの間にか治そうとしなくなっていました。それは自分でも解ります。雑用する時も、ゴミが目の前にあったら、気持ち悪いから捨てるみたいな感覚で、あえて自分から雑用を探さなくても、自然に動きます。家に限った事ではなく、仕事でも能動的になっていき、ある分野では自分より先輩に質問を受ける事もでてきました。今では、自分のいる営業所内では一番動いてくれると課長に言われます。なので次々と仕事を頼まれます。

質問しない雑用、これは以外に抜け道はないと思います。何度も同じ事を言うようですが、本当にこれ以外にないからです。斉藤先生の表現で言うなら、狂いの世界か健康世界かしかない、としか言いようがないです。長文になり失礼しました。

神経症者さん 投稿者:走る男 投稿日:2016年 7月17日(日)07時23分13秒
斎藤さんのおっしゃる通り、ただ動いているだけです。神経症の頃なら考えがまとまらず、堂々めぐりするようなことでも、動きながら考えてなんだかわからない間に、事を終えていることが多々あります。

そして間違いが少ない。そうなるとよくものを頼まれます。できることが増え、仕事につながり、収入が増え、明るいので人が集まり、生活が充実します。毎日に希望があふれてきます。後で振り返ると、無の雑用の大切さを実感します。伸び悩んでいる人に、変わる勇気を与えることができたでしょうか。何度も言いますが、治るならやるという態度がだめなんです。情報集めの中止です。

これ以上言う事は無いんです。 投稿者:走る男 投稿日:2016年 7月15日(金)23時51分10秒
無の雑用が強迫観念になるのは、それをすれば治るだろうになるからです。治る、治らないにもかかわらず、することいっぱいあるでしょう。生きてるんだから。

るみかについて 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 7月12日(火)12時41分15秒
あのひとは森田の批判を良くしていました。しかし、批判が激しいけれど、本人が人生を楽しんでいる感じが全くしないと思いました。

勿体無い 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 7月 9日(土)09時01分23秒
昨日は久しぶりに空手に行きましたが、体を思いっきり動かすのは清々しいですね。今日は朝から洗濯して、柔軟体操してコーヒー飲んでます。アスペルガーの場合ですが…神経症の治療も同じように理屈で理解する必要があるって事を言いたいのでしょうか。理屈を求め続けるのが神経症では。

今は、神経症がどんな状態だったか、自分でもよくわからなくなってきました。雑用不能など、動きたくない奴が言う屁理屈にしか聞こえないですよ。雑用不能って誰が決めたのか。深刻そうな面してそんな事言ってたら、子どもにもバカにされますよ。神経症の気持ちなど、普通の人には解らないです。普通の人はそんなのに構ってる暇はなくて、自分の事をせっせとこなしている。

神経症を経験して脱出した人でも、神経症者に同情するかというとそれは無い。治った時点で、神経症者が一所懸命に悩んでる事が、バカバカしく思えるからです。実際バカバカしい。

極楽です 投稿者:走る男 投稿日:2016年 7月 4日(月)17時05分44秒
今日は仕事が早く終わったので、風呂に入って、お客さんにもらった酒で一杯やってます。帰って来て書類整理して、花や野菜に水あげて、洗濯物たたんで、風呂入って。森田がどうとか、無の雑用ができるかとか・・・。どっちでもええねん、そんなこと。

ヨッシーさんへ 投稿者:走る男 投稿日:2016年 7月 3日(日)21時07分15秒
ヨッシーさん宛に書いた書きこみのつづきです。重い軽い関係なく、森田に関係なく、あなたは孤独な道をひとりだまって進み、神経症を脱したのです。なんの遠慮もなく、意見を言って良いでしょう。

ヨッシーさんへ 投稿者:走る男 投稿日:2016年 7月 3日(日)09時33分26秒
病気なので重い軽い、治りやすい難いは確かにあるのかもしれません。しかし、私なんか3カ月、下手したら半年ぐらい、寝たきりに近い状態でした。歯を磨く、便所に行くのも億劫で、歯を何日も磨かないこともありました。どんなタイプだ、こんなタイプだと神経症者は言うが、はっきり言って一切関係無いです。


洗脳 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 7月 2日(土)23時58分33秒
現在の療法を修正して、新たな療法を試すのでは、無限ループです。それが神経症の本質だと見ます。今自分がせわしい動きか、静かに動いてるか、自然に動いてるか、始めの頃は気にしていました。しかし、動き(身の回りの事)を重視して生活している内に、どういうわけか全く気にならなくなっていました。ただやるだけとしか言えない状態です。特別にしているわけでもなく、頑張ってやることでもない。

この、どういうわけかの部分は解らない方がいいです。動きをするかどうかが、分かれ道だと思います。あとは守りつづける事。これ以外に私には抜け道はないように思います。

全否定 投稿者:よッシー 投稿日:2016年 6月28日(火)21時43分3秒
前に、あゆさんが言ってたと思いますが、全否定です。全否定すら否定です。無為療法が治す為の雑用という人は未だ解ってない。解ってないという事は動いてないということ。雑用は治す為ではなくて、ただ普通にやるだけです。雑用すれば治るとかいうもんじゃないです。

神経症者は、掲示板を見れば見るほど囚われます。森田療法だったり、森田と無為がどちらが正しいかだったり、悟りについてだったり、自分の心についてだったり、本当の愛だったり考えることが、囚われです。

これらを追求してる限り、日常は改善されません。日常を改善したければ、これらを捨てて、自分で動き出すしかないんです。捨てる事も否定。何もせずただ動く。全否定です。伝わるかな。

何を言っても通じない 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 6月26日(日)16時41分16秒
治った人以外の文章を読むと、自分の世界が濃すぎて、何を話しても通じないように感じます。実際は社会不適応者なのに、思考だけは崇高だからタチが悪い。これではあさっての方向に向かっていて救いようがないです。

本人は地獄でしょう。 自分は異常だと認め、動きだすことが治りなのに、異常だと認識もなく、ここに恥ずかしい内容を投稿する。今まで神経症に関して学び得た事をすべて忘れるのに何年かかるか分からない。今すぐ動くべきです。

無一物 投稿者:走る男 投稿日:2016年 6月25日(土)07時03分32秒
間違ったことや、どうでもいいことに囚われると、正しいことが矛盾しているように感じるんでしょう。無一物で来た僧も、囚われを指摘され、何ももってないのに何を捨てるんだと、途方に暮れる。整合性云々はその最たるもので、あそこを見ろと指した指先をみてるから、そんなことになってしまう。

囚われ 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 6月24日(金)22時30分20秒
囚われというのはとても厄介だと思います。囚われから抜けようとする囚われ、それを辞めようとする囚われ、その囚われについて少しでも関心を抱けば囚われになってしまう。

囚われてると、日常や仕事に意識が向かないので間違えが頻発して当たり前です。森田について関心を向けるより、ただ動いて目の前の処理をしていくだけ。いつの間にか、神経症や森田について悩んでる事がバカバカしいと解ります。ホントにアホみたいですよ。


整合性 投稿者:走る男 投稿日:2016年 6月24日(金)14時19分24秒
以前、斎藤さんが無一物で来た僧の話をされてましたが、まさに神経症の人もあんな感じなんでしょうね。自分がおかしいという自覚が薄いんですね。職場で間違いを指摘すると、ふて腐れる人がいます。できてると思ってるからなんでしょう。

決意 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 6月 1日(水)00時29分8秒
治す為の雑用、無の雑用。これに拘ってもダメですね。神経症を治す方法なんて、一生見つからない。動くしかないでしょう。求めなければ与えられるも、脳の中で整合性とっただけでしょ。求めないのに与えられてもね〜と、思ってしまいます。神経症を治す為の整合性など必要ありません。狂った脳はずっと治そうと考え、情報を集め続けます。タバコは絶対吸わない、麻薬は絶対やらないのように、決意を持って自分と闘わないといけない。

確認しない 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月25日(水)21時01分34秒
自分は、雑用ができてるとか、勉強ができてるとか、確認しないです。雑用にしろ、勉強にしろ、開始すればいつの間にか時間が経ってるという感じです。だから、雑用ができるようになった、勉強ができるようになった、という表現に違和感を感じます。雑用はできるようになる事でなくて、処理していくだけです。勉強もできるようになるのでなくて、ただ勉強するだけです。

無為療法の基本 投稿者:走る男 投稿日:2016年 5月25日(水)18時53分7秒
無為療法の基本は、理屈は分からなくとも良いから、騙されたと思いながらも、家での雑用をこなせ、理屈は後から勝手に着いてくるです。治そうとしたらダメ。、そんなこと考えてる暇があるなら、することいっぱいあるでしょう。

この言葉には体が萎縮する。 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月25日(水)15時01分40秒
「当然ながら精神病院では、そもそも雑用などありません」。
この言葉には体が萎縮する。大変ショックです。身の回りの整理など、色々あるでしょう。トイレに行くこともそうだし、朝起きて伸びするのも雑用。

森田はもう過去の産物 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月25日(水)12時43分54秒
色々考えたけれど、無為療法を成功させたら、鈴木とか、森田療法にかかわらない方が良いです。森田はもう過去の産物です。現代で嘘はつけない。

斎藤先生を褒める人 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月23日(月)22時19分10秒
無為療法を肯定する人と、真っ向から否定する人。これらにどういう差異があるというのでしょう。動きができている人は良いですが、何もできていなければ、肯定しようが否定しようが同じに思えます。どちらもダメだと思います。

いい加減、彼らのコメントを読むのはいやになってきます。動きもしないで掲示板を静観する人がいますが、そういうのは嫌になります。

ここはあなたたちに対して、動くよう命令しているサイトです。他人事のように見ていないで、動けです。ちなみに、神経症者の文でも短いものは読みますが、HNさん、あなたのは読めません。ながすぎます。中身も意味がありません。たぶんあなたは病人のような面で、書き込んでいると思います。あり得ません。普通は家事で忙しいはずで、長文をわざわざ人のサイトに書き込む暇があるはずがないです。

職場で何ができるという 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月23日(月)11時10分32秒
神経症者諸君。あんたらは何も出来ないくせに、でしゃばるのをやめろ。その状態で気配り、思いやり…などを実践したところで、裏目にでる。周りも、あなたと関わった時間がロスしたと感じる。だからHNの掲示板など滅多なことで書き込まない。あなたたちのミスをフォローする人の身にもなってみなさい。人の身より我が身を振り返りなさい。

準備 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月22日(日)23時17分41秒
斉藤先生の旅行の準備の話がタイミングよく、私の今日の体験となりました。私の場合、仕事の出張ですが、準備に随分時間を費やしました。余り慎重にしていると、気がついたら神経症の真っ只中ですね。治す為の雑用は違和感があり、終わってもスッキリしないのが特徴だと思います。無の雑用は、自分で正しい道を行ってるのがわかっているのか、振り返る事なくスッキリと気持ちがいいです。これが何かだと思ってます。

混乱してきたら 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月22日(日)11時50分51秒
私はこのホームページを長時間見ていると、気づいたら考えまくって神経症真っ只中にいる時があります。混乱してきた事に気づいたらパソコンを閉じ、何かを開始します。そもそも、ここに書かれてる内容は考えなくていいことです。途中で閉じて問題無いです。それより日常が大事です。

整合性 投稿者:走る男 投稿日:2016年 5月22日(日)10時03分46秒
神経症を治すホームページに、神経症を治す方法と言う項目があり、神経症治す方法を試してはダメだ言うことがあります。言葉ジリだけとらえるなら、論理矛盾がはなはだしいですが、ページ全体や斎藤さんの発言全てをトータルしたら、私は何の矛盾も感じない。

私はそんなことも否定して、自分なりに雑用なり何なりして、時を過ごして、振り返ると斎藤さんがおっしゃるような経過で治っていた。だから、斎藤さんは整合性がないだとうだと思う人は、よそに行けばいいし、自分でサイトを立ち上げたらいいとおもいます。あるがままと思った時点で、あるがままでない矛盾とは訳が違います。

病人が他人の世話を見る 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月21日(土)19時48分45秒
質問をする、病人が他人の世話を見る、この二つは御法度の気がします。

言葉の世界ではない 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月21日(土)14時07分29秒
どうやったら治るのか指南しようと思いましたが、方法がわかりませんね。治った世界とはやはり、言葉の世界ではないのでしょうね。

脳の文献に目を向けるべき 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月21日(土)09時55分35秒
健康人は森田のワードで検索は絶対しない。治った人は、脳の文献に目を向けるべき。

感覚で雑用 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月18日(水)22時46分29秒
雑用は探してやるんではなく、感覚的にやります。家での雑用と言うと、それを目的として行ってしまいます。トイレに行くのに何も探さないでしょう。行きたいから行くし、腹が減れば食事の準備をするし、部屋が汚いと感じたら掃除するし。あえてやる事を探すのは強迫的になります。だからといって、何もしないわけにはいかない。このあたりは説明不可能です。いつの間にか感覚で動いてるとしか言えない。

無為療法の源流を読みました。 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月14日(土)23時12分29秒
このホームページの無為療法の源流を読みました。斎藤先生の神経症脱出と、禅の関連性の表現は凄く解りやすかったです。心が自由になると、苦しみが大して記憶に残らない。確かにそうです。神経症真っ只中で、もうダメだと思っていたはずなのに、いつの間にかそんな事、記憶すらないような感じです。健康な人は生まれた時からこうなのに、神経症者は過去を悔やみ、未来の不安のみに生きてしまう。悲しすぎですね。囚われから開放されると、無条件に動けます。間髪いれずとか、素早くとか、そんなこと考えないですよ。斎藤先生にはホントに脱帽です。

狂いまくりのHNさん 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月13日(金)19時27分13秒
神経症界でお山の大将となっている、狂いまくりのHNさん。指導なんて始めると、いよいよ健康世界への復帰への希望が断たれますね。それについて行く神経症者も、地べたを這うような様相です。

フラッシュバック時 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月12日(木)21時37分7秒
体で雑用を覚えれば、フラッシュバック時でも動けます。でも、やはり症状まっただ中の時は、鬱で脳が占領されますので、難しい事はできません。仕事でフラッシュバックが起こると、脳が暴走するため、焦りまくりです。その時はなんとかやり過ごすしかありません。帰宅後に、今日の小さな失敗を悔やむ思考、自分を責める思考に襲われます。ここで考えてばかりいると、相当なストレスがかかると思います。帰宅後も洗濯、食事の支度、アイロンがけ等をやっていると、かなり軽減されます。頭の良い人でもこの症状に襲われると、難しい事はできないと思います。最近はフラッシュバックの回数が減ってきているのが解ります。しかし、普通の人に比べて神経症者はハンデが大きいです。

一々肩書や有名人 投稿者:走る男 投稿日:2016年 5月12日(木)11時45分21秒
目的に向かって生きて治るなら、何故森田で神経症が治らない。説得力持たせる為に、一々肩書や有名人出してくるなよ。情けない。自分の人生に迫力がないからですね。孫正義なんて、尊敬もしてないし、興味もない。私は、近所の中村のおじいちゃんの人生の達人ぶりを尊敬してます。

具体的な目標 投稿者:走る男 投稿日:2016年 5月11日(水)23時45分52秒
動きが本物にならないと、どんな目標を持ってもダメ。 絶望の中で雑用してたら治りましたけど。具体的な目標があっても、ガンになるでしょう。具体的な目標ありましたけど、私は神経症になりました。具体的な目標なかったけど、私は神経症が治りました。

難しいところ。 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月11日(水)23時27分20秒
神経症者では狂ってるという自覚がない。 それゆえに、斎藤先生は「あなたは狂ってる」と教えてくれますが、狂った脳は自分が普通だと思ってる。狂いを認めたくないので、治ってる人を装う。勘が良い人は、薄々自分で狂いに気づいていて、斎藤先生の一言で動き出す。動いてる内に脱出できる。

雑用とは 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 5月 9日(月)12時37分2秒
家で雑用ができるようになりましたというのは、不自然です。実際は自分の目の前にゴミとゴミ箱があったら、ゴミを拾ってゴミ箱に入れる。あくまで目の前の事を処理してるだけです。家でも職場でも同じです。やる事がないと思うのは動かないからです。ゴミを拾えばゴミ箱が見えます。

看破されるのが怖い 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 5月 5日(木)08時19分53秒
そうそう、神経症者は私たち治った人たちを畏怖の目で見ているでしょう。自分が治ってないから、それを看破されるのが怖いのです。しかし、私たちにはすぐ分かってしまうのです。今も神経症の地獄を味わっている神経症者の身を案じると、同情の念が湧いてきます。

私は統合失調症  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 4月12日(火)16時54分38秒
私は統合失調症と言っても、誰に信じてもらえませんでした。医者に薬を処方してもらうにも、なんとか本当に統合失調症と分かってもらうのに苦労しました。その当時は、幻聴がしょっちゅうあったのです。要するに、無為療法は統合失調症も良くします。私が統合失調症と誰も信じないのです。それは無為療法により、治癒していたからでしょう。質問の答えですが、私が薬を飲んだのは、ものの数回です。エビリファイと言う薬です。あれは幻聴に効きますが、副作用が出ます。

理論が解ってからだとダメ 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 4月12日(火)11時28分21秒
雑用は、コレコレこう言う理由だから、神経症が治るんだよという説明を理解してからやると治らない。こうすればいい、ああすれば治ると説明する人は間違い。雑用をやれと言われて、単純に動けるかどうか。いくら健康に向かってる雰囲気を装おっても、無駄です。 斎藤先生の「あなたは治ってる」の言葉が欲しいのか。欲しいのなら治ってない。

やるべきこと 投稿者:走る男 投稿日:2016年 4月 8日(金)06時57分44秒
人と会ったら病的に緊張状態になる人間が、何か資格を持っていて役に立ちますか。視野狭窄です。わたしはやれることを懸命にやることによって、日々暮らしています。

神経症を治してから始まる 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 4月 7日(木)17時44分33秒
雑用をすれば次の日から明らかに変化する……自分が今まで何やってたんだろう…とふと思うのだ。それを治った状態というのである。決して勉強や仕事に根を詰めること=神経症の治りではない。それをやると、幾数年、いや数十年の無駄が待っているのだ。何もかも神経症を治してから始まる。仕事も勉強も、あくまで、自然に努力を開始せねばならない。

精神病者は日常の雑務すら、開始できない人たちだ。雑用出来ずに、仕事や勉強に向かい暴走する。彼らにとって最も難しいのが、机に向かうより、雑用することだ。また、自分の心配でなく我々健康者の心配までする者がいる。心配すべきは己の脳であることを、掲示板に書き込む諸君は忘れてはならない。そんな書き込みは、皆を不快にさせるだけだ。そして、彼らは今日も治りの入り口で、オロオロしている。果ては雑用とは何か、理解できない者までいる。早く、努力不足だの甘えだのの勘違いを正し、病気だということを、精神病者各位に伝えねばならない。その伝達を、治った立場から我々が買って出ているのであろう。

全てのキャリアを棄てて 投稿者:走る男 投稿日:2016年 4月 7日(木)12時02分48秒
私も大学をでてから、所謂ちゃんとしたところに勤めていましたが、神経症を引きづりながらの生活は苦痛でした。今は吹けば飛ぶような小さい商売ですが、私生活の趣味や勉強、家族との関わりなど比べものにならないほど充実しています。神経症を解決してからは、対人関係の能力は格段にアップして、さほど苦痛に感じません。自分が不安に感じる状況が頻繁に起きる場所で、神経症を治すのは難しいのではないのでしょうか。

他人の評価より、自分がしたい勉強ができる大学、自分がやりがいを感じる仕事を基準に選択したほうがいいと思います。しかし、神経症真っ只中なら、そんな事も無視して、自分が不安を感じないストレスのない環境に身をおく方が優先されるべきだと思います。少なくとも私は、全てのキャリアを棄てたことが、正解だったと今は強く思います。

わけわからんまま動く  投稿者:走る男 投稿日:2016年 4月 3日(日)08時14分29秒
今なら、神経症が治っていくメカニズムをきっちり説明できるとおもいますが、それはしない。何故ならそれが神経症の治りを妨げるからです。治すことを放棄して、わけわからんまま動く事です。

教えを乞うひとが一番うざい  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 4月 2日(土)17時49分20秒
斎藤先生に教えを乞うひとが一番うざい。だって、斎藤先生には神経症を治してあげることはできない。それどころか、一切の治す行為を禁止しているのに。

物事が片付いていきます 投稿者:走る男 投稿日:2016年 3月25日(金)12時17分37秒
とにかく物事が片付いていきます。動けるからでしょう。仕事だなんだと言わなくても、勝手に仕事がきます。動けてるから、こいつに頼もうとなるんでしょう。仕事をこなすから技術力もアップするから、好循環です。

質問には答えられない 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 3月23日(水)18時04分57秒
神経症者の質問には答えられない。そんな質問している間にやる事がある。自分で回答を出す。当然のことである。全てのことを人任せにしているのが神経症者である。自分の判断で行動できない為に、また、その回答が間違っているために、他者に迷惑をかけ、人の輪に入れないのが、神経症者である。

地位を持ち出すのは、やはり気持ち悪い。そこらへんの中卒のお兄ちゃんの方が、良質な判断をして、問題なく生きているじゃないか。私の知っている人にも中卒はいるけど、みんな上手くやっている。今、雑用できず末期の状態では仕事は無理だ。私も、神経症者の治癒に貢献したい。

残された選択は「何もしない」 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 3月19日(土)12時32分56秒
あらゆる療法もダメだった。私の場合、対人恐怖を治すためにCDを聞いた気がする。今では昔のことは記憶にあまりない。強迫観念が酷くて、現実味が薄かったからだろう。とにかく治すための試み全てがダメだった。だったらもう残された選択は「何もしない」ですよ。

この一瞬が治り 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 3月19日(土)11時58分56秒
箸でご飯を口に運んだこの一瞬が治り、これが神経症者にはわからないでしょう

この人は何なのって思うよ 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 3月 8日(火)01時11分36秒
神経症者って、他人にあれしろ、これしろ命令をする。でも自身は動けない。こんなことないですか。あと、創意工夫に欠け、他人への配慮とかも出来ない。挨拶すらせず素通りだもん。この人は何なのって思うよ。

治りは認識出来ない 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 3月 7日(月)23時41分14秒
精神病者は気持ち悪い。精神病者に治りを認めてもらうなんて御免。治りは認識出来ない。気づいたら動いていて、自然に目標を達成している。神経症時のように、重苦しい努力は要らない。早く治してね、神経症者さん。あと、統合失調症の書き込み見てると、すごいお荷物だということが露見しているけど、人格的には統合失調症のが最低かな。

雑用が雑用をよぶ 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 3月 6日(日)18時39分45秒
動かなければ、何をしたらいいかわからないのも当然です。動き出せば次から次にやることが見え、自然と動いていくものです。雑用が基本で、子どもが1〜9までの数字を覚えるのと同じです。これができないと、足し算も引き算すらもできません。大の大人にこんな話するなんて、バカバカしいですよ。治った人はみんなそう思ってます。自分の身の回りの事ができないと生活できないし、仕事に来られても迷惑かけるだけです。

どうして暮らしているのやら 投稿者:走る男 投稿日:2016年 3月 6日(日)17時45分2秒
治っている人間が、何故斎藤さんのおっしゃってる事と対立するのか、本当に不思議です。

犬や猫でもしていることを 投稿者:走る男 投稿日:2016年 3月 6日(日)17時34分1秒
犬や猫でもしていることを、入院して教えてもらえみたいなことを言う人間が、到底治っているとは思えない。神経症で学歴や社会的立場を持ちだすのも、どうかと思いますが、テレビのクイズ番組で東大だ、京大だと言って、本を読めば答えられる問題をタレントに答えさせる番組の多いこと。日本人は、そう言う肩書や資格が、好きなんでしょうね。

休日こそ忙しい 投稿者:走る男 投稿日:2016年 3月 6日(日)12時59分49秒
色々やることばかりです。子供の卒業、入学の準備、洗濯、掃除、部屋の整理、食事の用意、片付け、子供と遊ぶ・・。料理になりきるとか、入りきるとか、人間なんで料理になりきれません。雑用療法だとか、なんだとか。雑用しないでどうして生きていくの。斎藤さんが言ってる事って、あえて無為療法といってるだけで、普通に生きてたらそうなりますよ。

署名を求められました 投稿者:走る男 投稿日:2016年 2月29日(月)13時30分20秒
今日は古本屋の買い取りカウンターで署名を求められました。何ともないです。そんなことはどうでもいいんです。書痙であれ、勉強不能であれ、何であれ、結局脳の不調です。症状が出る、出ないばかりに目を向けてもダメなんです。治すことを放棄して、ただ身の回りの何かをするのです。

内発的展開で治る 投稿者:走る男 投稿日:2016年 2月24日(水)08時13分12秒
意思の力でなく、内発的展開で治る。よくわからないんですが、要するに、ほっといたら治るってことでしょ。治そうとしなければ勝手に治るものを、愚にもつかない工夫を強いて治させている。治らないわけです。

神経症者の気持ち 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月23日(火)22時33分35秒
前は神経症者を同じような仲間として同情してたけど、いまは同情できない。神経症者の気持ちがわからない。なぜ動かないのか、わからない。そんな生き方して、何が楽しいのだろう。自分の家族が動かなくて、テレビばかり見てるのを見る、こっちがキツイ。

母は脳梗塞を起こして以降、わがままになった。昔から掃除などは苦手だったみたい。掃除の仕事をやって修行しないとか言って、勤めたが、すぐ辞めた。家の雑用を進めるが、頑なに仕事をしたがる。仕事をしてないからお金を使えないと言い張り、家族で外食へ行こうといっても反発する。

神経症が遺伝であるなら、母ゆずりだったのかもしれないと思う。母の脳の異常は脳梗塞のせいなのか、先天的なモノなのかはわからない。しかし、神経症に近い気がするので、やはり雑用をすすめるしかない。神経症は不幸そのものです。歳をとっても雑用はできるし、頭が悪くても雑用はできます。

最初は善意からの行動 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月23日(火)17時08分9秒
努力・改善の嘘を広めている人たちはダメだと思います。狂いの中で指導するとこうなります。治っていない人が、治っていない人を集め指導した。治った人にはこの簡単なトリックがよくわかりますね。治療と称して、お金儲けに利用したのです。

斎藤先生によれば、最初は善意からの行動かもしれないということですが……。やはり、誰かの言葉に縛り付けられた人生は、本当の人生ではないです。治った世界は言葉がないんです。自分の意志で行動できなければ始まりませんよ。私もその感覚が備わってきたばかりなので、偉そうに言えませんけど。私は今日、要らない服を整理しました。今度ゴミに出すつもりです。救いを求めている限り神経症は治らないです。立ち上がって雑用です。

るみか 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月22日(月)20時51分20秒
あ〜〜、こいつらみたいなのが1日張り付いてるって思うと、気持ち悪い。るみかって、言葉キツすぎる。こんな、人を指差すみたいに批判してる人が現実社会に適応してると思えない。実際、るみかは雄弁なだけで、他の神経症者と変わらん。でも、るみかが森田を批判できる理由はわかる。おそらく、斎藤先生と同じく、森田を訝しく思った側の一人なんだろう。盲従する人とは、はっきり分かれる。

うわごとを言っている 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月22日(月)12時21分13秒
森田に体験記が載っている人たちは、うわごとを言っているだけだ。動かないから起きる悲劇だ。あゆもたくさんの人に影響されました。

るみかさんは重苦しい 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月21日(日)12時58分36秒
るみかさんは重苦しい。読んでいる人は、自身の仕事の片手間に面白半分に読んでいるのです。ルミッチもう少し動け。雑用の会発足、メンバーに入れてもらい恐縮です。無為療法に出会い、8年ほど経ちました。私ももう大人となりました。

寝たきりに近い状態 投稿者:走る男 投稿日:2016年 2月20日(土)23時22分16秒
私はかなり以前に、ちょっとの不安も許せなくて、森田の本を読み、あるがままと恐怖突入を繰り返しました。おそしい速度で、神経症地獄へまっさかさまです。ほぼ寝たきりに近い状態に悪くなりました。あの当時は、一度斎藤さんに電話して、色々教えて頂きました。ありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。それから2、3度メールの返信を頂いて、それ以降最近までは、このサイトはほとんど見ずに過ごしてきました。勇気も信念もない人間が、軽々しく斎藤さんを批判するような投稿をするな。そんな暇があるなら、その愚かな自分を省みろと言いたい。

雑用  投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月20日(土)22時15分28秒
雑用を否定する意味が分からない。雑用しない人にはわからないか。 掃除しない人にはゴミは見えないし、気にならないから平気で人の部屋も汚す。自分が動かない人は、人の動きも気持ちも分からないから、平気で人を粗末に扱うし傷つける。雑用できない人に仕事しなさいとか言っても無理でしょう。ゴミ捨てをお願いして「自分はもっと仕事らしい仕事がしたい」とか反論してきたら、ますます仕事が任せられない。

KENなんてのも  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月18日(木)10時20分14秒
KENなんてのも、ブログで駄文を垂れ流す以外の事は一切できない生活を送っている。治ると、なんでもお見通しになるんですね。

るみかなんてやつの発言  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月16日(火)15時26分47秒
この掲示板は治った人のほかに、神経症者も書き込んでいます。るみかなんてやつの発言を、まともに読んでる奴は絶対に治らない。

フラッシュバック  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月16日(火)11時25分38秒
私もフラッシュバックは数ヶ月に一度ほどでしょうか。またフラッシュバックに入りました。動きで抜け出せた。

人が怖くない時 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月15日(月)23時05分53秒
まだまだ不安定ですが、人が怖くない時が増えてきました。 勇気を持って話そうとしなくても、勝手に用件を話してます。 しかし、仕事でのトラブル時や、相手に不機嫌な顔をされると危うい時もあります。先を急がず、気長にやっていきます。

そもそも 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月14日(日)00時05分4秒
そもそも森田が無為が同じかどうか、考えまくってる時点でおかしいでしょう。そんなの考えてる暇ないんよ。治ってみないと、狂いがわからない。いくら言っても動かない奴は、自分で自分をダメにするだけだけど。

健康な頭は  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月11日(木)17時56分30秒
精神病者って、よく苦悩とか苦労とか言う気がする。私の経験から、苦労とかって神経症時のみに見られるものだよ。健康な頭はスッキリ軽い。子供なんか見なよ、あんなに泥んこになって帰ってきたら、飯風呂寝る。文句ひとつ言いやしない。生きること=雑用に文句をつけるのは、神経症者のみ。あと、神経症者さ、掲示板ジロジロ見たり、人の顔ジロジロ見るのやめなよ。

先生と呼びます  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月 9日(火)09時01分56秒
無為療法では、斎藤さんのことを先生と呼びます。それは神経症治癒の先駆者だからです。それがなければ始まりません。

口から出まかせの神経症者 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月 6日(土)08時09分2秒
彼らは多弁。だが、その言葉の中身は虚しい妄想か、口から出まかせの発言が多い。彼らの言葉には知ってか知らずか、嘘が多く含まれているのである。強迫観念のなされるままに、言葉を紡ぎまくっている。また、身なりも整えなくなっていることも多く、むさい印象を与える。果たして、自主的に雑用を始める人間がこの掲示板からどれだけ出るか…。最近は昔のこの掲示板より治癒者が増えたみたいだけど、今後も難しいことに間違いはないんだろうねえ…。

賛成です。 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月 5日(金)23時33分21秒
下のお二方の意見には賛成です。自分の事は自分でやる。 五体満足なら、やらなきゃダメですね。私も、あまりに実家にいては自分がダメになると思い、飛び出しました。私の場合、自殺未遂の真似ごとをしたのもあって、両親も怒るに怒れなくなったのかもしれませんが。

今は実家に帰ると一番動きます。最近は、私が帰ると連絡しておくと、姉弟が掃除をしていたりします。私が誰も動かない事に腹を立てるからでしょう。両親が動けないのは年のせいかとも思いますが、私につられて動き始めるだけ、全然マシだと思います。雑用が伝染するといいのですが。

はあ〜〜スッキリだ 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月 5日(金)14時59分11秒
神経症が治ってから何十年の斎藤先生が言うと、やはり言葉の重みが違う。この掲示板も静かな時(神経症者の書き込みがない時)が一番平穏です。

表現が難しい  投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月 4日(木)23時11分33秒
雑用、動き、それをやる事による効果ではなくて、それそのものが健康。 雑用してる、動いてる時が治ってる。なんだか表現が難しいですね。書くことがないです。

動かない人間が嫌い  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月 3日(水)19時17分0秒
精神病になったら皆同じ、老若男女変わらない、みな掲示板に来て慰め合いたいんだろう。私は動かない人間が嫌い。動かない人には通常、学校や会社で居場所があるとは思えない。


不快な事 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 2月 3日(水)08時56分7秒
神経症で不快な事といえば、
@学歴や地位などで神経症が治ったとすることです。
神経症が治るとは、そこらへんで出歩いている人と同じになるということでしょう。斎藤先生も、東大を出た患者は皆治ってないといいます。行動療法も治らないのに、医者が勧める理由がわかりません。本気で治ると思っている節もあるし、もしかしたら本当に治る治療法がないから、仕方ないのかもしれません。

Aは自称治った人を師として崇めることです。
本当に治った私達でも、何か特別な人ととして崇められるのはいい気分がしません。

Bは態度が悪いこと。
遠慮がないことです。自分に病気の自覚がないため、態度に謙虚さが無くなっています。神経症者は脳に欠陥があることを素直に認め、あまり出しゃばらないで雑用することです。

基本 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 2月 2日(火)22時55分54秒
空手の稽古に行ってきました。空手の動きでは、理論を頭で解っていても、体がついてきません。この理論を体で実現できるようにするには、繰り返し練習するしかないです。頭でいくら立派な理論に辿り着いても、組手になると一瞬でやられます。理論は、どうしたら拳や足を相手に気づかれずに、最短距離で早く届かせるか。どうしたら届いた時に重みがでるかを考えてます。

結局、これを理解したところで練習しない人は強くなりません。動かない人は何もできません。雑用は生活の基本ですから、できて当たり前。動かないでできるつもりになってる人は、何をほざいてもダメ。

キチガイが言うことです  投稿者:あゆ 投稿日:2016年 1月31日(日)19時36分58秒
リズムよくやるという言葉に囚われてしまうのが、神経症者のような気がします。森田では、フッとやる、スッとやる、とか言ったんですよね。こんなことキチガイが言うことですよ。私、禅もよく知らないけど悟れました。

雑用10年  投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月30日(土)21時12分59秒
質問をしないで雑用をやる。雑用を続けても、神経症が治るという保証はないがやる。やれる人だけに、治る可能性がある。私は最初、10年続けるくらいの気持ちでやりました。治りはホントにいつの間にかです。誰も一日中雑用で動きまくれとは言ってません。ただ、神経症者は始めは意識して雑用しないとダメです。納得したら動くではダメです。今、この文を読んですぐに動ける人は治るでしょう。友人がいようがいまいが関係ないです。
健康な人と狂ってる人の見分け 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月29日(金)13時45分4秒
この掲示板で健康な人を見分けるのは、動きですね。斉藤先生を始め治っている人は、生活の合間に書き込みをしている。それに対して狂ってる人は、掲示板の文字に固執して、その事を考えまくっている。雑用の定義はどうでもいいのです。結婚できましたとか、仕事がうまくいったとかの成功体験とは無縁です。何度も言うように動けなければダメです。

プロの動き 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月27日(水)21時51分40秒
周りの働く人達はプロですね。プロの動きって無駄がなく凄いですね。その辺のおばちゃんが、仕事の世界では凄い。レストランの店員さんや、銀行の窓口の人、その他働いてる人の素晴らしいこと。

私は神経症でしたので、自分の事ばかり考えていて人が見えてなかった。むしろ人より自分は優れていると思っていたくらい。みなさんの動きには感動すら覚えます。この人達に社会は支えられてるんだと。神経症をやっていたら務まらないなと思いました。彼女達は仕事が終わっても家では家事に追われ、一日中動いてますね。

脳の誤作動 投稿者:走る男 投稿日:2016年 1月27日(水)13時26分10秒
症状は色々あるのですが、つまるところ、脳の誤作動が原因なのです。私も2、3年に一回ぐらい、体調が悪い時、症状が出る時がありますが。それぐらいは愛嬌でしょう。適当な言い訳して、その場をやりすごします。脳に生物的な欠陥があるので、無理はしません。あえてためすことや、極度に負担のかかる場面は避けてます。仕方ないときは、ただやるだけです。

神経症を患っている人 投稿者:走る男 投稿日:2016年 1月24日(日)22時48分53秒
神経症者は、発想が貧困になるんですね。雑用と言われて、やる必要もないのに、バケツと雑巾をもって1日中掃除してたり、洗い物したり、、買い物いったりする。雑用とは、生きてることそのものですよ。融通のきかないものの見方が、神経症なのです。

雑用について 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月24日(日)14時05分8秒
雑用しなければ、生活できないのではと思うのですが。普通の人が雑用するしないは、個人の自由だと思いますが、神経症の狂った脳には、雑用しか抜け道がないように思います。動けと言われて逆ギレしたり、いちゃもんつけるのは動けない証拠です。仕事など、できる分けがない。

元ミカンです。 投稿者:あゆ 投稿日:2016年 1月23日(土)02時26分20秒
ミカンという名前は、神経症のおかしな思考をしている時につけた名前なので、変更します。精神病かどうかの判断は「動き」です。動きなさいと命令し、とやかく言って動かなかったり、怒り出したら、精神病なのです。そうでなくても精神病を患う者には、不快感が漂うので、なんとなくわかるものです。その醜さには目をつぶりたくなる。そんな人の元に生まれた子供は仕方ありません。私たちだけでも動きましょう。生活を活性化させ、人類のためになりましょう。そっぽを向きましょう。勝利は動いた者にだけ、もたらしてくれるでしょう。生活の動きなんて、精神科に行かなくてもみんな知っているんですよ。

斎藤先生へ  投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月22日(金)23時30分6秒
たしかに最初の頃は弱々しく、斉藤先生のお墨付きが欲しくてたまらなかったです。神経症の外だと質問する事がないですね。神経症の人は、治った人の文章から、どんな状態が治ったのかを探る事でしょう。神経症の治りとは、いつの間にか神経症の外側にいる事を自覚してる状態と言ったら良いでしょう。治りの境目なんてわからないです。もう質問する必要もないし、治す必要もない。まさか自分がこんな文章を書く事になるとは…。

どんなに理解しても 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月22日(金)21時02分56秒
神経症とは何か。自分は神経症なのか。神経症を治すには何をすればいいのか。治った世界とはどんな世界なのか。誰の言うことが正しいのか。このサイトは見るべきか。森田療法と無為療法どっちが効果的なのか…etc。こういった事を問うても意味はないです。動けないなら何をしても無駄。デジタルのように0か1か、オンかオフかです。

麻薬 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月19日(火)22時47分5秒
斎藤先生が答えを与えないのは、答えが麻薬と一緒だからと言うのには納得です。医者が薬や答えを与える限り、神経症を治せません。科学がもっと発展して脳を改造とかできれば話は別ですが。やはり神経症の治りを指導するのは、ココしかないように思えます。私もこのサイトに来て斎藤先生に「あなたも神経症です」と言われてショックを受け、分からないままに雑用を続けてきました。走る男さんも、わからないまま動けと言ってます。

神経症の外側の世界 投稿者:走る男 投稿日:2016年 1月19日(火)13時30分28秒
無の雑用をしてる時が、神経症の外側の世界。それをつづけていると次第に安定してくる。治って見ると、このことがはっきり理解できる。でも理解してやろうとすると、治らない。なんだか訳わからないまま、前にすすめるか。それが運命の別れ道ですね。

単純明快が難しい 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月18日(月)22時06分12秒
神経症には、単純な事が難しいように思います。バイトと森田療法を関連付ける必要はないです。これは森田になる、あれも森田、こうすれば無為などというものではないです。脱出には、斎藤先生のおっしゃる質問しない、そして動く(雑用)を決意を持って実行するだけです。実際、この2つしかないです。

好き嫌いに関わらず 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月17日(日)12時54分40秒
雑用は好き嫌いに関係なく、普通にやるものです。雑用、雑用としつこく言うのは、その雑用ができてないからでしょう。人によってやり方や工夫を発見していくものです。母親が毎日雑用に明け暮れてるからこそ、健康な子どもが育ちます。

雑用できないものが仕事できない 投稿者:走る男 投稿日:2016年 1月15日(金)11時59分5秒
歩けない人は走れない。走れない人はスポーツできない。雑用できないものが仕事できない。簡単な理屈です。動けるようになれば、勝手に仕事は舞い込んできます。人生がひとりでに好転します。動物でもやる雑用ができなければ、何も始まるわけがないんです。

雑用はただやる 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月14日(木)22時08分15秒
初歩的な知識とか全く必要ないです。雑用はただやるだけです。普通の人は森田療法という言葉すら知らないです。解る解らないを云々する時点でオカシイ。ならば、残された道は動くしかないでしょう。

不思議 投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年 1月 5日(火)20時59分40秒
動く人にはやることがどんどん見えるのに、動かない人には見えない。ある人に「一人暮らしで休みの日はする事ないだろ」と言われた事があります。今思うと失礼な発言だと思います。神経症の異常な世界にいないで、現実の世界で体を動かすべきです。こういうと、運動したり、意味のない買い物に行く人がいる。おかしいですね。

究極 投稿者:ミカン 投稿日:2016年 1月 4日(月)20時12分50秒
神経症が治れば、アルバイトでも良いんですよ。神経症者が学歴や地位を求めたとしたら、一生努力の追求になります。おかしな動きをする連中を雇いたいですか。許せないのは、動きもせず能書きを垂れる連中です。その発言のほとんどが理解不能にも関わらず。ここへ来ると良識が蘇ります。まさに斎藤先生のHPのおかげで人生救われたと言って過言じゃない。

療法 投稿者:ミカン 投稿日:2015年12月 4日(金)22時27分59秒
療法をやりながら生きるなんて、真っ平だ。こんな療法は、精神病者をさらなる狂いに引き込むからだ

延々と続く  投稿者:走る男 投稿日:2015年11月29日(日)11時14分22秒
雑用したらどうですかと言うと、それはすっとするのか、間髪いれずするのか、あるがままか・・・。延々と続く、神経症問答。治ると治らないもない。すること幾らでもあるでしょう。生きているんだから。

症状 投稿者:走る男 投稿日:2015年11月24日(火)21時06分39秒
症状の出る場面を避けながらでも、人生いくらでもやることあるでしょう。避けて、避けまくればいいんです。右手ケガしたら、左手でやればいいでしょう。

ムードスウィングが消えました  投稿者:ミカン 投稿日:2015年11月14日(土)11時02分40秒
始めた直後に、ムードスウィングが消えました。今から7年前のことです。これが神経症の一番簡単な部分です。それから7年間もの間、健康と神経症の間を戦ってきました。

たかだか雑用するくらいで  投稿者:走る男 投稿日:2015年11月 5日(木)21時58分16秒
坊主がああ言うた、森田がこう言うた、哲学者はこう言うとる・・・。たかだか雑用するくらいで・・・。

神経症者の発言 投稿者:ミカン 投稿日:2015年11月 2日(月)12時23分45秒
最近とても参考になっています。現在の自分と彼らがどう違うのか、神経症が治癒したばかりの自分との違いはどうだったか、こういうことを再認識するのに役立っています。

なぜうごけないか  投稿者:走る男 投稿日:2015年10月15日(木)16時21分20秒
私は神経症の人に、サッサとすることあるでしょうと言う。しかし、ああだこうだ言って、動かない。こんな簡単なことできずに、どうして生きるのか不思議です。

しゃきっとせんか  投稿者:ミカン 投稿日:2015年10月15日(木)13時43分31秒
頭から出る命令なんて、いちいち対応していたらキリがないで。神経症は大変なほどの量の指令が頭から出る病気。それをやめられへんか。今、私は健康世界におるけれども、そんな指令なんて、一個も出てない。おかしいのは、あんたらの方やに。オバケさん、はよう掃除、洗濯せんか。できひんかったら、あんたもう終わりや。ほんまは、神経症者に叱責する時間も惜しいんや・・・。しゃきっとせんか。

つづき 投稿者:走る男 投稿日:2015年10月15日(木)12時27分21秒
ただ動いている状態が健康な状態です。無意識が働いている状態で、一瞬でなおるんです。神経症はフラッシュバックがおきるため、一筋縄にいきません。安定するには時間がかかります。ただ斎藤さんのように安定すると、フラッシュバックはほぼないんです。

精神病  投稿者:走る男 投稿日:2015年10月15日(木)10時07分11秒
何度、何度も、必要以上に手を洗ったり、あらゆることに恐怖を覚えたり、そんなことになるのは脳の状態がおかしいからでしょう。精神病でしょう。そんな脳で考えてもゴミばかり。つまらないこと考えず、雑用したらと思うのだが、わからんのかな。

神経症は脳の不調である 投稿者:走る男 投稿日:2015年10月14日(水)21時43分37秒
これは疑いなき事実です。私はこの事実を認識した時に、神経症から脱出しました。

質が悪い 投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年10月13日(火)22時43分23秒
神経症者は幼稚園児より質が悪い。子どもの方が素直で元気に笑う分だけ何倍もいいけど、神経症者は理屈ばかりで、不快感しか感じない。 

暇な人たち 投稿者:ミカン 投稿日:2015年10月 8日(木)08時31分20秒
神経症者と世の中の忙しく動いている人たちとは、えらい違いだ。こんな人たちに近づかれるとウェっとなる。思わず眉間にしわを寄せてしまう。それほど健康な人間とは程遠いと思う。動かない人間には、一度スパーッと警策を与えなければいけないと思います。どうですか。



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