2024年9月3日 |
バーリントン空港のコンコースの壁には「薬物依存は誰でもなる病気」と大きく書かれている。場違いな印象を受けるが薬物依存症に取り組む公共サービスの一環で、依存症に対する偏見をなくし治療の促進を図っている。 過去数十年社会は薬物依存症を脳の慢性病と扱ってきたが、この考えは必ずしも一般に浸透していない。依存症は癌やアルツハイマー病と違って、個人の選択の部分が大きく、大方は依存症は本人に問題があるとして、無料注射針の配布などを止めべきとしている。 最近は治療の専門家も依存症を脳の慢性病とする考えに疑問を抱いている。6月、ある専門家のグループが依存症を脳の病気と説くのは患者にも家族にも良くないとする声明を出した。 「慢性病とすると治療は無理になってしまう。脳は環境と条件により変化するのです」とジョーンホプキンス医科大学のキルステン・スミスは言う。 この現象は麻薬問題がますます悪化していることに起因している。でも、依存症を病気とする分類を全部止めてしまえと言う人もいない。メタアンフェタミンとかフェンタニルが脳を破壊してしまうのは事実であるからだ。依存症の本質は一種の意思決定であって、ただそれが荒涼としているだけだ。 2021年のNeuropsychopharmacology誌に発表されたマーカス・ヘイリングの論文によると、依存症を脳中心で判断するのは必ずしも間違っていないが、ただ社会的背景が脳に与える影響も考慮すべきとしている。 依存症とは、薬物の過度の使用により前頭葉と他の感情中枢に変化が生じている状態とハーバード医科大学のケリーは言う。しかしこの説明も十分ではない。「薬物による脳への影響は人による違いが大きい。その違いは遺伝子によるものであろう」とケリーは言う。 彼は依存症を電車に飛び乗る遊びに例える。「最初は面白いが、ある速度以上になると手に負えなくなる。どの時点で飛び降りるか。薬物使用者はそのチャンスを失ってしまうように見える。人間は希望と可能性があれば止めることが出来るが出来ない人もいるようだ」とケリーは言う。 依存症であっても自分の意思で薬物、アルコールを止めた人もいる。その一人が現在医師であるスミスで、彼女は未成年のころから薬物を始め、ヘロイン依存症になっていた。23歳には毎日4回注射していたほどで、銀行強盗を2回4年服役した。刑務所では治療プログラムに参加して、出所してから大学に通い博士号も取得した。 麻薬中毒になってから15年、麻薬を断って6年になる彼女は、この成功は家庭環境にあり、家族からの援助がなかったら無理だっただろうと言う。もちろん彼女は慢性の脳の障害説を否定する。 合衆国建国の父の一人であるベンジャミン・ラッシュは1780年代に、アル中を不愉快な病気と呼んでいる。「アルコールより麻薬を上手く使ったほうが安全だ」と彼は主張した。 依存症問題が混乱しているのは、精神医学が薬物依存症の診断基準を変えていることにもある。最近の診断マニュアルでは、判定の基準になる11の症状を取り上げて、その2つを持つと軽い依存症であり、症状の数が増えるほど状態が悪くなる。 薬物依存症の研究は1970年代に始まる。1997年アメリカ薬物依存症研究所の所長であるアラン・レシュナーが、薬物依存症は慢性の脳の病気としたが、本人の行動、社会の負の面も考慮すべきとした。彼の宣言がパーデュー製薬の麻薬性鎮痛剤であるオキシコンチンを発売開始した1年後であったのが印象に残る。 依存症が脳の病気と認められれば、研究資金も得やすいし治療費用も保険でカバー出来る。宣言の後、政府も法廷も変化し法廷は被告を罰する場から依存症脱却援助の場になった。以後、依存症は脳の病気であるとの考えは政府当局にも医療関係者にも受け入れられている。 アメリカ薬物依存症研究所の現在の所長であるノーラ・ボルコウは、依存症は慢性の脳の病気ではあるが治療可能と言う。「依存症になる要因として遺伝子、社会、環境も無視できない」と彼女も言う。依存症になっても長期に薬物を遮断すれば十分脳は回復すると専門家は見ている。 自分の父を2023年にフェンタニルの過剰摂取で失っているナディアは、依存症を病気とすると患者は責任から逃げると批判する。「依存症を癌や他の進行性の病気と同じように扱うのは問題で、父は私の卒業式にも来なかったし、結婚式にも来なかった。父には私より薬の方が大事なのだろう」と彼女は言う。 依存症の家族は皆凄く苦しんでいて、ナディアの気持ちは珍しいものではない。 「依存症家族の心境は複雑で、だから絶対的分類が好まれる傾向にある」とスタンフォード大学のキース・ハンフリーは言う。「まるで家族が吸血鬼になったようだ。以前は信頼する相手だったが今は私のお金を盗む」と妹を依存症に持つロビン・プラットは言う。 30年前にレシュナーが依存症を脳の病気と宣言したのは、それまでの不確かな表現を何とかしたいと考えていたからだ。今出来るならより中立的な表現にしたいと彼は言う。 脳科学ニュース・インデックスへ |