麻酔と無意識

2013年12月10日
10年以上も前に、ある43歳の女性が子宮摘出手術の最中に覚醒すると言う恐ろしい話があった。彼女は意識は戻っているが、全身麻酔を受けているため、目を開けることも指を動かすこともできない。声を出そうにも喉にチューブが挿入されていてそれもできないという、手術台上の恐怖体験を訴えた。

麻酔の最中に起きるこのような覚醒事故はたくさんある。麻酔は大変危険な作業で、多すぎれば死ぬし、少なければ手術の最中に目が覚めてしまう。大体1,000件全身麻酔をすると1件か2件で患者は目を覚ます。覚めた患者には医師の話が聞こえ、ナイフの動きも感じられる。残念ながら0.13%の患者には麻酔がうまく効かないことが分かっているが、それを防ぐ有効な手段は今のところない。何故なら未だ意識と言うものを測定できないからだ。麻酔がどれほど効いたかを調べる方法はあるが、半世紀前からの服用基準で覚醒度を推測する程度であると、ミシガン医科大学麻酔科教授のジョージ・マシュアー氏は言う。

麻酔には2つの問題があり、一つは麻酔がどのように作用しているのか神経学的には分かってないことと、もう一つは意識というものを理解していないことだ。直接意識を測定する方法がないから、麻酔専門家は患者の脳波や痛みに対する反応を見ながら麻酔薬の分量を調節している。これでははっきりしないから、患者が意識を失う過程で起きる脳の機能変化を測る方法を専門家は今探している。

カリフォルニア大学麻酔科助教授であるマイケル・アルカイア・アービン氏は、1990年代にそれを探した一人である。そのアルカイアが、8月に発表されたサンパウロ大学とウィスコンシン大学の研究を聞いて興奮した。この研究では、覚醒状態、睡眠状態、麻酔下の無意識状態、こん睡状態、閉じ込め症候群等の脳を磁気で刺激し、脳波計で信号の伝達経路を追っている。その結果、意識下の脳と意識を喪失した脳では、刺激に対する反応がはっきり違っていた。(閉じ込め症候群とは、外観的にはこん睡であるが脳は活動していて覚醒している状態)

「患者が覚醒していると電気刺激は脳全体に伝わるが、無意識状態では刺激は脳の一部にとどまり、そのまま消えていったのです。この発見は今までの意識の考えを裏打ちしている」とアルカイアは言う。「無意識下の患者の脳でも感覚のネットワークは部分的には作動しているが、脳全体のネットワークは作動していない。近所の電気はついているが、電話もインターネットも切断している状況と考えたらよい」とマシュアーも言う。

サンパウロ大学とウィスコンシン大学が発表した研究は、意識をなくすとは脳内の各部分間の連絡が途切れることを意味している。すなわち脳内の連絡が絶たれたときが麻酔が最大の効果を発揮する時になる。

意識というものはその性質上捉えるのが難しく、今まで哲学の領域で扱われていたが、哲学者の意見も人によりバラバラであった。例えば哲学者ジョン・サールは、意識とは純粋に主観的経験であり、目覚めれば作動し、眠ると消えるとしている。哲学者のダニエル・デネットは、著書”証明された意識”で、主観的経験としての意識を否定している。しかしその本を”適当に説明された意識”と皮肉る人もいる。

脳の専門家は今までこの種の論争には加わらなかった。しかし1994年にアリゾナ大学で催された学際的会合で、この問題が提起されて以来、現在に至る研究の道を開いた。
麻酔を見れば分かるように、患者が痛みに反応しないから意識が消滅していると考えるのは正しくない。意識には脳が必要ではあるが、痛みを感じるには必ずしも脳は必要としない。

1990年代にネズミと羊を使って、脳の色々な部分の機能を取り去り、麻酔の効果がどう変化するかを調べる実験があった。研究によると、皮質、視床、脳幹を破壊しても、動物が痛みに呼応しなくなる麻酔量に変化はなかった。
「研究者は脊髄反射を測定していたのです。この反応は原始的反応で意識には関係がない」とハマーオフは言う。

一般の生活でも、人が意識しているか、してないかを見極めるのは難しい。われわれは意識のある人たちに囲まれているが、その人たちは主観的には意識をしていないと哲学ではいう。(このような人をしばしば哲学的ゾンビと呼ぶ)。しかし麻酔下の人には哲学的説明は役に立たない。

麻酔下の脳を調べることで次第に分かって来たのは、意識とは脳の各分野から発信された情報の統合体ということだ。脳各部のコミュニケーションが意識そのものだという人もいるとマシュアーは言う。

主観的経験とは、脳が各部の感覚器からの情報を統合した結果の副産物かも知れない。実験から、脳が睡眠、こん睡状態、麻酔状態になると、脳の各部からの情報統合は消える。だから、手術中の覚醒を防ぐには、この脳内各部のコミュニケーションを測定するのがカギということになる。

2013年6月号の”the journal Anesthesiology”誌に、マシュアーは脳内のコミュニケーションをモニターすることを提案した。意識があると、知覚領域とその情報を処理する領域との間で輪を描くようなコミュニケーションが発生する。例えば、後頭部の視覚野と目のすぐ後ろにある側頭葉がコミュニケーションをしていて、マシュアーはこの現象を”反復処理”と呼んでいる。マシュアーの研究では、3種類の麻酔薬を使ったとき、患者の脳のコミュニケーションが消えた。

脳内の電気信号の流れを知り、意識水準を判定できるようになったら、患者も医師もどれほど安心できるだろうか。これはまた、啓蒙哲学を信奉する人たちにも朗報になる。マシュアーによれば、意識とは情報の統合だとする考えは、遠くエマニュエル・カントにさかのぼる。カントが書いた”純粋理性批判”では、経験とは個々の情報処理の統合であると述べている。

「過去何年もの間、科学は視力、色、動きを認識する脳を個別に研究してきたが、これらの脳の情報統合はどのように行われているか未だ分かっていない。カントは脳波計も麻酔薬もなかった1781年の時点で、この統合のプロセスなしには意識はないと書いているのが凄い」とマシュアーは言う。



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