抗鬱剤は偽薬ほどの効果

2022年9月15日


マーク・ホロウィッツは、彼自身15年間毎日抗鬱剤を飲んでいたが、5年前までは向精神薬をそれほど疑っていなかった。抗鬱剤の効果に取りつかれて、彼はキングズカレッジの研究室で人間の脳の細胞を使って3年研究していた。

ある日、彼の長年飲んできた抗鬱剤を減らそうとすると、突然パニック発作に見舞われ、不眠に苦しみ始め、鬱状態が戻り、逃げるようにオーストラリアの両親の家に戻った。抗鬱剤を止めようとしたら抗鬱剤を開始する前より鬱が悪化してしまったのだ。

さっそくインターネット上で情報を検索すると、同じような苦しみを経験している人が沢山いるのに気が付いた。いずれもSSRIの離脱症状で、離脱症状は一般には軽く短期間であると考えられているが実際はそうでなかった。

SSRIは1980年代に鬱治療の革命的薬品として登場し、以来鬱治療の基本になり、地域の医師は子供にも大人にも処方を開始した。
2019年現在、アメリカでは8人に一人が抗鬱剤を飲んでおり、特にコロナパンデミックでその数は増えている。余りにも増えるゾロフト処方に、食品薬品局も生産が間に合わなくなると警告しているほどである。

医者が必要以上にSSRIを出しているのは間違いない。SSRIは強い鬱の人に効果があると言われているが、それは飲んでいる人の一部で、全体では15%ほどしかいない。どうも長期のSSRI服用の後、止めようとすると離脱症状は予想される以上に酷いらしい。

アメリカ疾病予防管理センターによると、アメリカでは飲んでいる人の60%以上が2年以上飲んでいて、その4分の1が10年以上飲んでいる。中には単に離脱症状を軽減するために飲んでいる人もいると思われる。

「抗鬱剤が効く人もいるでしょうが、抗鬱剤と同じ位効果がある他の療法もある」とハーバード医科大学のアービン・カーシュは言う。
この問題は年々深刻になっていて、抗鬱剤を使わない気運が社会には高まっているが、抗鬱剤を否定すると、必要な人から抗鬱剤を奪うことになると製薬会社は主張する。そんな折、7月に新しい研究が発表されて社会に衝撃を与えた。

この発表をしたのは現在ロンドン大学で研究しているホロウィッツで、従来の製薬会社が主張する”鬱はセロトニンが足りないため”と言う説を正面から否定している。鬱セロトニン説は余りにも分かりやすい説明で、このキャッチコピーで製薬会社は莫大な利益をあげた。ホロウィッツの新しい研究では、鬱セロトニン説を支持する証拠を見つけることが出来なかった。

「製薬会社は人が鬱を感じたら医者に行き抗鬱剤を処方してもらえと言う。誰でも経験する悲しみ、鬱が医療の対象であり脳内の化学作用で起きていると言うのはおかしい。しかも抗鬱剤は依存性がなく直ぐに止められると言う」とホロウィッツは言う。この発表に社会の衝撃は大きく、有力なメディアで500からの記事が書かれ、ツイッターでも7000回シェアーされた。

ホロウィッツの発表にも拘わらず精神医学の中枢は驚かない。神経科学者は前から鬱はセロトニンで説明できるようなものではないと分かっていた。今、ホロウィッツばかりでなく、研究者の多くが精神医療の基本的見直しを要求している。

「われわれは向精神薬について間違った考えをしていた。セロトニンが少ないから鬱になる、薬でセロトニンを増やせば鬱は治るはおかしい」とロンドン大学のジョアナ・モンクリーフは言う。

「鬱とは脳の自然な反応であるのに、あたかも飲酒とか巷のドラッグのような一時的心を高揚させる薬で治せるとした。抗鬱剤の効果とは鬱病の症状を覆ったに過ぎない。 抗鬱剤が示した効果とは、脳をぼんやりさせて本来なら感じる落ち込みをごまかしている」と彼女は言う。
SSRIを止める時に経験する激しい苦痛は、SSRIが引き起こす化学物質依存であり、離脱症状なのである。

「鬱を脳の病変と考えても解決しない。鬱は環境の変化、人生の激変に対する脳の反応です。逆境を経験した人が強い鬱を経験するのは既に事実です」と彼女は言う。

この点は世界の専門家も同じ意見である。ある調査では精神的に過酷な経験をした人が普通の人より2.5倍も鬱を経験をしている。治療困難な鬱には、ストレスが原因になっているとの報告もある。

鬱治療にはどの療法が良いかは人により異なる。モンクリーフは、鬱の対処法を習う方が抗鬱剤を使うより良いと言う。多くの精神科医は、抗鬱剤はストレスにより変化が起きた脳を元に戻す力があるから有効だと主張する。
ストレスホルモンが分泌されると、脳は神経伝達物質であるグルタミン酸を分泌する。グルタミン酸が多く分泌されると脳は慢性的な刺激過剰状態になると、ペンシルベニア大学医学大学院のマイケル・テーズは言う。

「グルタミン酸は興奮したり困難を経験すると多く分泌される。しかし、グルタミン酸も異常に高いレベルが続くと神経毒になります」と彼は言う。
脳スキャンで調べると、脳が高いレベルのグルタミン酸を長く浴びると、デンドライトとかアクソンと呼ばれる棘のある腕の形をした部分が萎れて、脳細胞間の連結が切断される。ストレスにより引き起こされた不眠、生活の質の低下が更なるグルタミン酸の分泌を促し悪循環が始まる。

SSRIはセロトニンを増やしてこの悪循環を停止させるとマサチューセッツ総合病院のジェロルド・ローゼンバームは言う。
 「SSRIの効果が現れるまでに数週間がかかるのは、脳の柔軟性の回復期間と言えるでしょう」と彼は言う。
「SSRIは脳の健康回復に役立つだろうが、だからと言って数か月、数年も飲む理由にはならない。初めて飲んで良く効くのなら6か月とか9か月で十分で、それ以上は医師と相談すべき」とテーズは言う。

抗鬱剤はニセ錠剤以上ではない
ホロウィッツの報告が出てから数週間後、長い事SSRIに批判的であったカーシュは、アメリカ食品薬品局の研究者と共に抗鬱剤関係の臨床データを分析した。強い鬱と診断された73,388人の患者のデーターを調べたところ、一般の抗鬱剤10種類はわずか15%の患者に有効であった。

研究で分かったのは、SSRIは重症の鬱病患者にのみ有効であったことだ。ならどうしてこれだけ莫大な人がSSRIを飲むのであろうか。それは、人はSSRIを飲むと鬱が改善したとあやまって感じるからだろう。これを偽薬効果と言い、医療界では一般に知られている。以前の研究では、鬱治療でも偽薬効果は30%から40%あるとしていた。

アメリカ食品薬品局の研究は、SSRIの偽薬効果が如何に強いかを示している。そしてその効果を製薬会社は販売促進に利用していた。
食品薬品局は製薬会社に販売許可を与える前に、2度の臨床試験を要求し、薬品が偽薬以上の効果があることを求めている。1度では単なる偶然か、偏見である可能性があるためだ。意に反する結果が出たらそれも報告しなければならないが、公にはしてない。

思わしくない臨床結果の割合は意外に多いと、食品薬品局のエリック・ターナーは言う。あまりに多い否定的な結果に驚いて上司に報告したら、上司はそんな事は何時ものことだと言っていた。

2015年には彼は大学にもどる。そこで調査した抗鬱剤テスト12件12,564人のテストでは抗鬱剤が 偽薬より効果があったのはわずか51%であった。否定的あるいは疑問の残る結果をだした試験33件では、22件が公表されず11件は公表されたが効果ありに書き換えられていたとターナーは New England Journal of Medicine誌に書いている。半数の試験で有効が判定できないのに公表された報告では94%が効果ありであった。

ハーバード大学のカーシュは偽薬効果について研究している。偽薬効果とは、未だメカニズムは解明されてないが、単なる砂糖をまぶした錠剤でも飲むと痛みを和らげ、血圧も下げ、膝の手術後の予後も改善する幻の薬効だ。彼は1990年代後半に発表されたデーターを元にSSRIの実際の効果を推計した。その結果は全面的なSSRIの否定であった。

「データーの示す所は、SSRIとは偽薬効果ほどのものであった」と彼は述べる。
カーシュの同僚は時に彼を非難するが彼の最近の報告には反論が出来ない。論文を書いた5人の内の4人は食品薬品局で働いていた人たちで、その一人のマーク・ストーンは局で副長官をしていた。カーシュは、この4人が彼に再評価調査のメンバーに入るよう促したと言う。73,388人の患者に対する比較試験では88.5%に効果が認められたが、偽薬を飲んだ84.4%の人にも同じように効果が見られた。

最大の違いは本物のSSRIを飲んでいたグループで患者の24.5%で効果を示した。 偽薬では9.6%であるからその違いは15%で、「これがわずかに認められた違いなのです」とカーシュは言う。

それでも精神医学の本流はSSRIをひっこめない。効果のほとんどは偽薬効果程度だから、SSRIはいらないとはならないとハーバードのローゼンバームは言う。

鬱病と言う言葉を作ってから40年以上経つが、鬱病とは一体何かが今もってはっきりしないと言う。
「二人患者がいるとして、両者共通する症状が全くないのに二人とも鬱病とする。子供の頃に発病する人もいれば、中年過ぎて発病する人もいる。短期の繰り返し症状に悩む人もいれば、慢性的に苦しむ人もいる。原因は外部環境からもあれば、体内からもある」と言う。

癌とか心血管病を治療する場合は、患者に合わせて治療法を選べるが、それをしようにも未だ診断基準がない状態だとイギリス・オックスフォード大学のアンドレー・シプリアニは言う。
「精神医学に限ってはまだ19世紀の状態だ。でもそれでは最早通じない。患者による違いを考慮しないとならない」と彼は言う。

改善できるとすれば、鬱の軽重を分ける事だ。しかし現在の診断基準では出来ない。2010年にペンシルベニア大学医学大学院のジェイ・アムステルダムは、彼が作った質問用紙で患者の鬱の軽重を調べた。それにより重症と判定された患者にはSSRIは良く効いたが、中程度以下の患者ではほとんど効果がなかった。

現在、医師がSSRIを処方する時、患者の症状の軽重を調べているデータはないが、2000年代の初めの頃、ブラウン大学は地域の精神科クリニックの147人の患者を調査した所、患者の40%が中程度の鬱であったのに、97%の確率で患者にSSRIを処方していた。

SSRIを飲む事に危険性がなくはない。事実、SSRIは依存性を増し、感情鈍麻の原因になるとモンクリーフは言う。セロトニンは他の神経細胞の活動や神経伝達物質にも影響しているとアラバマ大学のリチャード・シェルトンは言う。

セロトニンの急激な上昇がストレスに対して抑制的に働く。だから不安とかストレスに対しては効果があるが、鬱特有のやる気の喪失の緩和になっていない。これがSSRIを飲む患者の訴えであるぼんやり感、感情の鈍麻の原因になっている。

2017年現在、英国では17%以上の大人、730万人が抗鬱剤を処方されていて、SSRIの離脱症状が問題になり、国会では関連議員が抗鬱剤の新しい処方基準を作成した。目的は、既存のガイドラインを書き改めることにある。抗鬱剤を止めようとした人の56%が離脱症状を経験し、その内の半分は症状が深刻で、数か月あるいは6年間続くと言う。

「2004年以来、一人の患者がSSRIを飲む期間が倍以上に伸びている。原因は離脱症状にあるでしょう。それを緩和するために医師はSSRIをまた処方する」と議会のワーキンググループのメンバーであるジェームズ・ピーター・デイビーズは言う。

イギリスではNICEもそのガイドラインを書き換えて、特に非重症型鬱では抗鬱剤は最初の選択肢でないとした。代わりに認知行動療法、運動、カウンセリング、心理療法を勧めている。
「イギリスでは抗鬱剤の離脱症状は重大な問題です。政府はこれに対処しないとならない」とデイビーズは言う。

しかし今の所アメリカ心理学協会からの反応はないし、精神医療の権威も動きが鈍い。抗鬱剤を止めても高価な会話療法など現実的ではないからだろう。
「地方に住んでいたら良い治療法が見つからないし、あったとしても大変高価なものになる。手に入る医療と言えば抗鬱剤くらいで、それが嫌なら何もしないと言う事になる」とローゼンバームは言う。

心を病むアメリカ人には健康保険適用の心理療法を求める事は出来ない。ほとんどは近くのクリニックに行き抗鬱剤をもらうと、アメリカ国立精神衛生研究所長であるジョシュア・ゴードンは言う。

抗鬱剤服用は今後も増え続けるだろう。昨年秋、アメリカ小児科学会は子供と青少年の心の問題で非常事態宣言を出した。12月にアメリカ公衆衛生局長官は2009年から2019年にかけて高校生で鬱を経験した生徒が40%増加したと言う。コロナパンデミックが事態を悪化させたと彼は言う。

ホロウィッツは抗鬱剤の見直しを求めて、国会議員にロビー活動を開始した。彼は最早前のような不安に駆られる人間ではないが、それでもまだ薬を減らす努力をしていて、毎日飲む時は最小限に割って飲んでいる。



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