脳由来神経栄養因子が不安を解消

2010年6月5日

薬物注入で訓練と同じような恐怖減衰記憶形成が期待できると発表された。この発見で神経症治療用薬物の開発可能性が期待されている。

ねずみは、ある音と同時に電気ショックを受けるとその音を聞いただけで恐怖のためにたじろぐようになる。この条件付けはその後、電気ショックなしの同じ音を繰り返し聞くことにより次第に解消される。今回の発表では、ある種の蛋白をねずみの脳に注入するだけで訓練と同じ効果がでると発表された。その蛋白は脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor)で、脳の神経細胞の成長と生存に関わっている。

今までの実験から、訓練をしても恐怖の記憶そのものは消せないが、訓練により同じ音でもショックが減衰するのを確認している。「驚くのは薬物がこの恐怖減衰訓練と同じ効果を出したことだ。薬物が新しい記憶を作った可能性がある」とプエルトリコ医科大学のグレゴリー・クワーク氏は言う。彼は今回の実験の責任者で、結果はサイエンス誌6月4日号に掲載された。

記憶の形成は、神経細胞間の連結の変化あるいはシナプスの可塑性に基づいている。ねずみの恐怖減衰記憶を形成する脳の部分は大脳辺縁系下前頭前野皮質(infralimbic prefrontal cortex)である。シナプスの可塑性を阻害する薬物をねずみの大脳辺縁系下前頭前野皮質に注入すると恐怖克服記憶の形成が出来ない。

脳由来神経栄養因子は、神経細胞間のシナプス連結を強化、拡大させる事が以前から確認されている。今回の研究では、ねずみが恐怖の記憶を形成させた後に脳由来神経栄養因子をねずみの大脳辺縁系下前頭前野皮質に注入した。すると、ねずみはあたかも恐怖克服訓練を受けたように、同じ音に対して恐怖にたじろがなくなった。

脳由来神経栄養因子は恐怖の記憶そのものを消すことは出来ない。脳由来神経栄養因子の効果は、恐怖克服記憶形成だけに限られていて、一般的不安の軽減および動物の多動性には影響を及ぼさなかった。

実験では、ねずみの脳に脳由来神経栄養因子が不足していると、恐怖克服練習の成績が悪いのが分かった。脳由来神経栄養因子は海馬で不足していて、この部分は記憶、記憶削除に重要な役割をしている。また海馬は大脳辺縁系下前頭前野皮質にもつながっている。恐怖記憶の消滅が難しい例として心的外傷後ストレス障害(PTSD)があり、PTSDの人の海馬、大脳辺縁系下前頭前野皮質は健康な人に比べて小さい。

「今回の実験で、脳由来神経栄養因子をこの回路に増やすとPTSDとか薬物中毒が改善できる可能性が出てきた」と実験に参加したジャミー・ピーターズ氏は言う。

「心の病の多くには脳由来神経栄養因子が関わっているのが最近分かって来ている。脳由来神経栄養因子を増やす薬物を開発して、PTSDや他の神経症を治す可能性が出てきた」とトーマス・インセルは言う。問題は脳由来神経栄養因子をどうやって脳で増やすかである。今のところ運動とか抗鬱剤が考えられている。



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