脳スキャンで鬱が見えるか

2005年10月18日

つい少し前までは、間もなくブレインスキャンの技術が今まで分らなかった心の病に迫り、新しい診断と治療に結びつくと考えられていた。殆ど毎週のように脳のイメージ技術による鬱、注意欠陥傷害、神経症等の新しい発見報告があった。

しかし、どうも我々の希望と要求が科学の進歩より余ほど先に行ってしまったようである。スキャン技術が現れてから30年経つが、まだこの技術での標準化された心の病の診断、治療は確立されていない。

アメリカ精神医学協会はこの10年を「脳研究の10年」と呼び、多くの研究者がこの研究に参加したが、1990年代に期待された成果は未だ実現していない。。

現在年間500以上の脳スキャン研究報告があり、アメリカ国内では脳スキャン専門のクリニックも登場した。

最近はこのデータの積み上げが一体何を意味しているか、研究のアプローチに問題が無かったかと専門家も反省し始めている。

「私は脳スキャンの専門家ですが、同時に週末は子供の精神科医でもあります。今週こそ精神科医に影響を与える研究結果が出るのではと考えて来たのですが、結局それは出ませんでした。毎年『おや、脳は我々が考えていたより複雑だ』と誰かが言う。それを10年間繰り返して来た分けですから、最近は余り驚かないのです」と脳イメージを14年間研究しているジェイ・ギード氏は言う。

精神科医はそれでもMRIとかPETが脳の外傷、癲癇、腫瘍の診断には欠かせないものだと考えている。精神医学の進歩は大変時間がかかり、何十年もの地道な研究が大きな発展につながると専門家も言う。しかし、最近は脳スキャンで心の病気を判定するのは未だ先の話ではないかと考える人が増えてきた。

「精神医学界は脳イメージ技術を過大に評価し過ぎていると思う。余りに期待するものだから、脳は人間の知的探求の歴史の中で最も複雑な物である事実を忘れてしまった。心の病で脳のどこが悪いかを見るのはそんな易しいものではありません」とハーバードの神経生物学の教授でありNIMHの前の理事であるスティーブ・ハイマン氏は言う。

難しさの1つは、脳は人の性格と同じく個人差が大きいからだ。各種の研究から分裂病では脳細胞を次第に失うのが分っていて、例えば20歳の分裂病患者では次の10年で5〜10%の脳細胞を失う。

10%の喪失は大きい。特に前頭葉での喪失は脳機能喪失の形ではっきりと現れる。しかし人と人との違いでも脳の容量は10%も異なる。だから脳の容量をイメージ技術で測定しても病気は判定出来ない。

脳の活性化状態を測定するスキャン技術も同じ問題を含んでいる。例えば、ある人の脳に現れた特に活性化した場所をホットスポットと呼ぶが、他の人の脳では同じホットスポットが通常の状態だったりする。

「イメージ研究で発見された脳の変化はそれ自身、一般の変動幅の枠を超えているとは言えません」とコロンビア大学医療センター精神医学部長であるジェフリー・リーバーマンと言う。

更に事態を複雑にしているのは、今までのイメージ研究報告それ自身が論争を呼んでいるのである。重症の鬱病では海馬(記憶中枢)と呼ばれる脳に明らかな萎縮が見られるとされていたが、別の研究報告によるとこの事実を発見できなかったと言う。専門家によると海馬に傷害を持つ人は記憶喪失になり、鬱状態にはならない。注意欠陥傷害とか躁鬱病では今の所はっきりしたイメージ研究報告は無い。

一体、イメージ技術の研究目的は病気か、脳の構造の異変か、それとも観察された機能なのか、その辺の問題に未だ答えていない。この解答を得る為には子供から大人にかけて数千人の脳のイメージを取り、健康な人と病気の人との比較研究をしなくてはならない。実施する難しさからも費用からもそれは無理だとハイマン氏は言う。

重度の鬱病患者の脳のイメージを研究しているエモリー大学精神科のヘレン・メイバーグ氏は、脳の不可解な活動を発見している。PETスキャンを使って彼等の脳を調べると、患者が抗鬱剤やプラセボを飲んで回復するに連れて、脳の6箇所の部分で、活動が活発だったり低調だったりする現象が見られた。この現象は患者の全てに共通していたが、ばらばらに動く活動を関係付けてその意味を探るのには成功していない。

スキャンに現れた山と谷を回路に見立てると、例えば、クリスマスツリーの一連の飾りライトのように、その中の1つのスポットが、全体のライトをあたかも変圧器や調光器のように明るさをコントロールをしているが分った。メイバーグ氏はこのスポット(Brodmann area 25と呼ぶ)が健康な人の脳にも存在しているのを脳スキャンで確認している。健康な人でも悲しい記憶を思い出す時にこの部分が活性化した。

今年の3月にメイバーグ氏等の研究チームはトロントにあるロットマン研究所で、6人の患者にスポットBrodmann area 25の横に電極を埋め込む治療を試みた。彼等の殆どが重症の鬱病患者で既存の治療には殆ど反応していない。埋め込まれた電極はパーキンソン病に用いられるもので、脳の活動を鈍らせる効果がある。しかし何故鈍らせるかは研究者も分っていない。治療を受けた人の内4人の患者は目に見える回復を示し、未だ抗鬱剤を飲んではいるが4人全員仕事に復帰した。この研究をメイバーグ等はニューロン誌に発表した所、300人以上の人から治療依頼があったと言う。

「未だ実験段階であるので、次はプラセボを使って効果を確認したい。もしかしたら新しい療法になるかも知れない。今の所結果は大変面白いですが、鬱状態の激しい人には電極埋め込みしかないとは悲しいことです。脳は大変巨大なシステムですから、治療法確立云々の前に、我々の仕事がその中で何を意味しているのか考えてみたい」とメイバーグ氏は言う。

しかし多くの人はイメージ技術が十分成熟するまで待てない。カリフォルニア、ワシントン、イリノイ、テキサス州等では、既にクリニックが注意欠陥傷害、鬱病、攻撃的性格の患者に脳スキャンを取るように薦めている。

カリフォルニア・ニューポートビーチで精神科をしているダニエル・エイメン氏は、過去14年の間にシングルフォトン断層撮影法(Spect)で28,000のスキャンを取ってきた。記者とのインタビューでエイメン氏は、脳スキャンを使わないのは精神科医として良心的でないと言う。「問題になっている臓器を見ないで、子供に5種類も6種類もの薬を処方しているのが精神科ですから」とエイメン氏は言う。

彼によれば脳スキャンの技術は注意欠陥傷害の子供とそれ以外の子供を選り分けるのに役立つと言う。又、脳スキャンは人々に問題の本質が生物学的であり、従って薬や治療法が必要になると説明する上で役立ったと、彼の論文や著書の中で述べている。「患者は治療に積極的に加わり、心の病に対する恥じ、罪の意識を払拭しました」と彼は言う。

ヒューストンにあるブレインウェイブズ脳神経イメージクリニックでは、脳イメージ技術を使って診断し治療法を選ぶ。インターネット上では、多くの医師が、特に注意欠陥傷害を対象としてイメージ技術を宣伝している。しかし専門家によれば、1回10万円以上もするイメージ技術が既存の心理テストより大きく勝る証拠は無いと言う。

「現在のイメージ技術で捉えられるのは脳の中に腫瘍があるかないか、あるいは脳神経の損傷があるかないかだけなのです。イメージ技術は診断技術としては未だ確立していないので、何十万円もかけてスキャンを取るのは意味が無いです」とペンシルバニア大学の生物倫理センターのポール・ルート・ウォルプ氏は言う。

イメージ技術がその真価を発揮するとすれば、他の技術、例えば遺伝子学とか生化学と共同で研究をする時だろうと専門家は言う。

脳の特定の受容体に放射性元素でマークを付けて、ドーパミンのような感情に作用する化学物質が分裂病患者の行動にどのような影響を及ぼすかを調べる研究がある。鬱病関係では、鬱病を引き起こすであろう変異遺伝子から鬱病を引き起こす回路がどのように発生するかを調べる研究も進行している。

科学技術は日進月歩で、新世代のMRIは既存のMRIの2倍の解像力を持つから期待は大きいとリーバーマン氏は言う。「解像力が増えれば我々はもっと良い仕事ができます。脳の容量を測定して分析する技術だけでも有力な診断技術になると思う。既に我々は膨大なイメージ技術の蓄積があります。この蓄積が今や応用されるのは時間の問題でしょう」とリーバーマン氏は言う。だが、今の所それが何時になるか、誰にも分らない。


脳科学ニュース・インデックスへ