管理医療と認知療法

2002年9月3日

 ウーディアレンの心理療法を扱った映画では、長椅子に寝て自分の母親や、苦しかった子供時代を語るシーンがあるが、医療現場ではもう余り目にしないであろう。最近のセラピストの所に行くと、全く違ったやり方を目にする。即ち結果を重んじ目的を目指す短期療法であり、ここでは患者は椅子にまっすぐ座っている。

この療法はある種の認知療法である。認知療法は最近最も流行っていて、鬱病から分裂病まで325の臨床例でその効果が調べられている。経済的あるいは文化的理由で、今までオーソドックスと信じられていたネオ精神力学療法を、その位置から追い落としている。この現象はアメリカ全体に及び、小クリニックから大病院に至るまで起きていて、良くも悪しくもいわゆる療法らしい療法になりつつある。

その名前が示すように、認知療法とは患者の不安認知に注目する。認知療法では患者の感覚と思いこみが不安反応を作り出すと考える。即ちマイナス思考癖が鬱病、神経症その他の感情障害の原因と見て、患者にこのマイナス思考癖の存在を認めさせ、思考癖を変化させるよう指導する。これに対して精神分析では無意識の葛藤、子供時代のトロウマが病気を引き起こしている原因と考える。

認知療法では数週間から数ヶ月で中程度以下の鬱状態を治療する為、他の心理療法に比べて格段に治療期間が短い。この短期治療はコストを考える保険会社には受けが良い。保険会社は認知療法をする療法家には保険を適用しようとする。平均で7回のセッションまでは保険が見とめられているから、療法家も認知療法を次第に取り入れ始めている。

患者側もそれを知ってか知らぬか、行動療法の発展を歓迎している。ジョージメイソン大学の教授であり、認知療法家でもあるジョーン・リスキンド氏は「この現象は80年代、90年代のわがまま勝手放題の反動だ」と言う。アメリカ人は今や実用主義に生きていて、車の信頼性から教育の質、そして今は精神医療の効率まで問題にしている。他の心理療法と違って認知療法は効果が多症例で実証されていると彼は言う。SSRIと呼ばれるプロザック、ゾロフトは現代の鬱病、神経症の標準的治療法であり、鬱状態の治療を受けた1400万人のアメリカ人の80%がこの抗鬱剤を飲んでいる。

しかし次第にSSRIには不満の声が聞こえるようになった。SSRIの処方を受けた患者の60%が大した効果も無く、次ぎから次ぎへと薬を変えているのが実態であるが、製薬会社の宣伝は口を閉ざしている。あるいは偽薬を飲んだグループがSSRIを飲んだグループと何等変わらない鬱改善効果を示すと言う報告もある。SSRIを止めると60−70%の割合で鬱再発の事実もある。更に副作用も問題であり、特に性欲減退は患者を薬から遠ざける。

一方、学者、精神科医の側にはイーライリー社(プロザックのメーカー)程広告宣伝費は無いから宣伝力に負けている。しかし認知療法は鬱病に対しては薬と同じ位効果がある、との報告が沢山寄せられているし、神経症や強迫行為では効果が薬より以上とも言われるようになった。5月に開催されたアメリカ精神学会では、認知療法は重度の鬱病の治療にも効果があると報告されている。1年間で16週間プラス数セッションを受けた患者の再発率は25%であり、同じ1年間にパクシルを飲んだ患者の再発率40%より少なかった。

他の報告によると、認知療法とSSRIの併用で更に良い結果が得られたとあった。2年前のNew England Journal of Medicine誌によると、慢性鬱病の患者に認知療法と化学療法を組み合わせて実施した所、85%で充分症状の改善が見られた。それに対して薬だけでは55%であり、認知療法だけでは52%だけの効果であった。他の報告によると認知療法は薬と同様に強迫行為、対人恐怖患者の脳内化学物質を変化をさせるとしている。

これらの報告より次第に認知療法は正当な療法と認められ、各種の心の病治療の補助的手段として利用されるようになった。更に認知療法で効果が出た患者は、その後も効果が持続して、生活の質を高めるとしている。

「薬は生きかたを教えない。プロザックは確かに気分を改善するでしょうが、職場での人間関係をスムーズにする技術は教えない。認知療法はどうしたら生活を改善出来るかの戦略を患者に与える。目下の所では最も実用的な療法であり、療法が終わった後も患者の生活を引き続き改善する」と認知療法協会の責任者であり心理学者のロバート・リーヒイー氏は言う。

フロイト以後
エロン・ベック氏は80歳でペンシルバニア大学の精神科教授であり、認知療法の父として知られている。彼の認知療法理論は鬱に対する考え方、捉え方、治療の方法を根本から変えた。1989年、その功績を認められ彼は特別科学賞をアメリカ心理学会から受賞している。昨年は心理病理学にパイオニア的貢献をした功績を記念してハインツ賞が贈られた。

今日の午後はフィラデルフィア郊外にある自宅で娘さんと共に座り、彼の仕事について語っている。

ベック氏はジークムント・フロイトが支配的な精神医療の中で精神科医師としての人生を開始した。1959年、彼はフロイトの鬱理論が正しいかどうか判定する為に、その証拠検分を始めた。患者の夢を分析して、果たして鬱が無意識の葛藤から生じているか疑問に思った。フロイトの理論では、例えば患者は亡くなった人への不当な怒りを阻止しようとして鬱が起きると説明している。患者が愛する母親は実はわがままな人であるが、彼はそれを認めないで(認めると罪の意識に駆られる)、起こる反感を抑え自身を悪い息子と責める。これが無意識下に行われて葛藤が生じて鬱になると説明する。

ベック氏は、もしフロイトが正しいなら鬱病患者の夢を調べると全て内なる反感を発見するであろうと考えて、患者の夢を詳細に調べた。しかし発見したのは患者の意識思考の反映であり、自分自身を現実の中でどう見るかの復元でもあった。例えば試験に落ちた夢を見た人は自分自身を駄目なものと見ていたし、人生に失敗したと感じている人は何か重要なものを無くす夢を見ていた。

更に”自由連想”(椅子に横になりながら思い浮かぶ事を語らせる精神分析の手法)を長くやればやるほど患者の症状は悪化した。自由連想を中断して、現実の問題に如何に対処するかをカウンセリングをすると、患者の症状は急激に改善した。検証の結果、フロイト理論を支持する実験的事実は何も発見しなかった。それどころか、他のやり方で患者に問題の理解を迫ると鬱症状の改善が見られた。そこで彼は”精神分析とは宗教である”との結論に達した。「私には宗教か科学かの選択であり、勿論科学を取った」とベックは言う。

一対一
それ以来ベックは精神分析を止めて患者に一対一で接して、現実の緊急問題について話し合うようにした。彼はフィラデルフィア総合病院ー鬱病神経症部門で1960年代から1970年代にかけて認知療法を研究し、技術を磨き上げ、誰でも認知療法を実行出来るように、標準化しマニュアル化した。

最初の頃は認知療法は真面目に取り上げられなかったらしい。60年代、70年代の鬱の心理療法は精神分析だけであり、他は生物学的アプローチであった。「認知療法とはちょっと気分を良くする程度で、マラリアを扇風機で治すみたいなもの、と人に言われた」とベックは回顧する。

1973年にベックとペンシルバニア大学のチームは最初に認知療法と化学療法とを比較調査した。このような心理療法の比較調査は過去試みられたことが無かった。この結果、認知療法は鬱病、神経症に効果ありと判明した。1979年ベックは”認知療法による鬱病治療”と言う本を出版して、心理療法家に認知療法実施への詳しいガイドを書き記した。

認知療法とは患者とセラピストが共に協力してマイナス思考を発見して、それをどのように扱うかを患者に学ばせるプロセスである。マイナス思考は自働思考とも呼ばれるが、次の幾つかのタイプがある。

1・・他人の心を間違って読む(あの人は私をきっと馬鹿だと思っているに違いない。だから私は本当に馬鹿だ)
2・・破滅的考え(自分は終わりだ。皆に拒否されている)
3・・オールオアナッシング思考(何をやっても駄目だ)

鬱状態の人はこのようなマイナス思考をあたかもエンドレステープを聞くように繰り返し、次第に感情を曇らせ行動を制約する。
「患者から発せられるこのような表現に注目して、実際それが本当か、1つ1つ検証しつつ、ソクラテス的対話を患者と繰り広げる」とロッブ・リーヒイ氏は言う。

「患者は意外と早く理解する。例えばある患者に今日何が一番苦しかったですかと問うと、『自分はなんて駄目な母親であるか分かりました。子供達が食事中に喧嘩をしてものを投げる』と言う。ええ、充分貴方がいらいらするのが分かります。でもこのような事はお宅以外でも起きていませんか。『ええ、妹の所でも近所のお宅でも起きています』。

それでは他のお母さんもご自分を駄目なお母さんと思っていると思いますか。『そうでは無いでしょう』。ではなぜ子供が食事中に喧嘩するか考えてみてください。『えーと、子供は皆食事中に喧嘩するかも知れない』・・・ここで患者は自分の問題を理解してマイナス思考から距離を置き始める。患者は認知療法が終わった後もマイナス思考に疑問を呈するようになる。しかもそれが長く続く」とベックは言う。

「これは古い格言で言う所の”人に一匹の魚をあげるとその人は1日の食事にありつけるが、魚の取り方を教えると一生食事に困らない”に当るでしょう」とバンダービルト大学の教授であり認知療法研究者であるスティーブン・ホロン氏は言う。

標準的認知療法では一定のプロセスがあります。療法を開始する前に患者は自己報告書を書き上げ、ベックの指針に基づく鬱状態指標を完成します。21の質問項目があり、自分の感情のランクずけをする。例えば悲しさの項目では自分は終日悲しいとか、自殺企図のそれでは自殺なんか考えた事も無いと書きこむ。その後に診断基準に照らし合わせて鬱レベルを判断する。

セラピストは患者に認知療法を説明して治療の目的を説明する。患者は薬の服用をむしろ勧められ、面接が終わると宿題をもって家に帰る。

宿題は認知療法と行動療法の特徴であり、それ故に認知療法は両者をまとめて認知行動療法と呼ばれる。もし患者が人から疎外されている、あるいは受け入れられていないと感じる時は、帰ってから友達に映画に誘うよう宿題が渡される。その結果をセラピストに報告するわけであるが、行動療法との違いは行動療法では活動自身が行動形態を変化させ鬱状態を改善すると考えるのに対して、認知療法では、患者に全く駄目ではないと動きと共に理解するように指導する。やれば出来ると自分に証明する事により、マイナス思考が現実のものでは無いと患者に理解させる。

患者は自動的に起きるマイナス思考をノートに書き記すように命じられる、と同時にそれに挑戦した試みを書かないとならない。更に家では認知療法で有名な本である”気分爽快”デイビッド・バーンズ著を読むよう指導される。

全てが純粋な認知療法士では無い
ベックが言うように認知療法士を称しているセラピストが全員正規の認知療法をやっているわけではない。現在350人の認定された認知療法セラピストがアメリカにいる。彼等は認知療法学院で訓練され認定されている。認知療法学院はベック認知療法研究所により運営されている。

認知療法研究所はベックの家の近くであり、ペンシルバニア州バラ・シンウッドに位置している。8年前にベックと彼の娘であり心理学者で研究所主事でもあるジュディス・ベックにより設立された。研究所は世界からセラピストを呼び寄せ、訓練をし患者も診る。アロン・ベック自身も研究をしており患者を診断している。

娘のジュディスによると「数万人の精神医療関係者が認知療法技術を使っているか、あるいは使っていると主張する。彼等の一部はアトランタ、ニューヨーク、サンフランシスコ等の認知療法センターで訓練を受けているが、当認知療法学院での能力試験は受けていない。

アメリカに197ある臨床心理教育プログラムの中で20ヶ所、認知療法コースを設けている。その中にはペンシルバニア大学、シカゴ大学、ボストン大学が含まれる。多くのセラピストは正規教育は受けてないが、すでに認知療法の知識はあり、他の心理療法と共に臨床現場で実施している。

しかし認知療法を本当に実行しているセラピストがどの位いるのかは確かでない。1990年に発表されたProfessional Psychology誌によるサーベイ結果によると、回答された内の68%が取捨選択派あるいは統合派と答えている。即ち治療に当って効果のある治療法を選択する。この内の72%が精神力学法(精神分析)を採用し、54%が認知療法、49%が行動療法を採用していた。単一の療法を実施しているセラピストの内、17%が精神力学を採用して5%が認知療法であった。

最近の調査では42%が認知行動療法を原則的に採用して、18.8%が精神力学あるいは精神分析を採用していた。

更なる認知
認知療法は日本、中東を含む世界各地で実施されている。特に英国では多く採用されていて、鬱病、パニック障害、強迫行為の治療の最初の選択肢である。また薬を併用しながら分裂病や躁鬱病にも施されている。

アメリカ国内では採用が遅れている傾向があるが、最近の管理医療と緊縮財政そして研究体制の整備により、次第に認知療法は採用される傾向にある。首都ワシントンでも例外では無いとセラピストは言う。

カソリック大学、アメリカン大学、ジョージメイソン大学、メリーランド大学等は認知療法コースを持っている。アメリカン大学とジョージメイソン大学は臨床訓練もしている。認知分析研究所であるマックリーンクリニックでは、認知療法と精神分析の統合さえ試みられている。ワシントンで認知療法を開業しているスティーブ・ホランド氏によると、ワシントンは歴史的に精神分析訓練のセンターであったので、精神分析に片寄る傾向がある、との事である。ここには認知療法学院で認証されたセラピストが20人活躍している。

アメリカでは何処でもそうであるが、ここワシントンでも精神医療関係者は、他の療法を訓練しているにも関わらず、認知療法の技術を習おうとする。多くの関係者は、健康保険が摘要される療法セッションの回数が少ない為、それを認知療法との関連で解決しようとしているようだ。

精神医療の大学院であるWashington School of Psychiatryの学長であるブルース・プリック氏は、”認知療法”とは管理医療で述べられる共通言語と言う。認知療法の訓練も受け、総合心理療法もする彼であるが、管理医療の関係者に説明する時は治療を認知療法の言葉で説明する。

「費用が問題なのは分かる。しかし認知療法なら認可すると言うので無く、効果のある療法なら認可すると言葉を改めてもらいたいものだ」と氏は言う。

しかし結果を重んじる医療の時代では、保険会社も医療機関も医療の標準化を求めている、と同時本当に効果がある治療法をも求めている。その中で認知療法にはかなりの効果があるとデータが集まっている。

「認知療法をしていないと、効果的治療をしていない雰囲気がある」とデトロイトのヘンリーフォード行動健康クリニックの精神医療教育責任者のキャシー・フランク氏は言う。

管理医療の関係者の意見を聞いていると、認知療法を含む心理療法は鬱病治療に必須のようである。「我々は薬の処方と心理療法の組み合わせがベストであると信じている」とCigna Behavioral Health社臨床部門副社長であるジョディー・アロンソン氏は言う。シグナ社では患者を精神科医とセラピストの両方に紹介する。保険会社は認知療法のような効果が確認できる療法を受け入れ易いし、保険を8セッションまで直ぐ許可する。それ以上の申請も可能だ。

エトナにある behavioral healthの責任者であるヒョン氏(エロン・ベックに直接訓練を受けている)は認知療法に対する偏見を指摘する。「心理療法に効果があるかどうかを議論する時代では無い。効果が実証されている療法は何かである。」

裏切り
認知療法が広まるに従って、精神力学(精神分析)をやるセラピストは保険会社と疎遠になって来た。彼等は治療効果を質問されるのを嫌がる。療法には時間がかかるし、保険が支払われるにしても小額であるからセラピストも段々離れて行く。

「精神科医と患者の間に第3者が入るのは問題だ。私は保険医でも無いし、それに成れもしない。だから小数の患者を診る事にしている」と精神力学療法をするアメリカ精神医療協会の前の理事であり、カリフォルニア大学精神科教授であるダニエル・ブーレンシュタイン氏は言う。

「管理医療が短期間で効果が確認できる療法を求め、一方患者側の要求に答えようとするセラピストとぶつかると、最終的にどうなるであろうか。時間がかかりデータに不足する療法は、認知療法と同じ位効果があるにも関わらずふるい落とされるでしょう」とアメリカ精神医療学会で管理医療問題を担当して、現在はニューヨーク市精神衛生理事であるロイド・セドラー氏は言う。

そしてこれが問題をこじらせている。セラピストは単一の療法コンセプトに無理に押しこまれていると感じている。事態はコストをかけなく、患者のケアーは少なくと言う、管理医療に都合が良い情勢に成ってきている。

アロン・ベックはユーモアでこの状況を語る。

「精神分析医は認知療法を管理医療と同一視し、我々を裏切りとみる。何故なら敵と手を結んだからである。認知療法は最初に開発されたのに彼等は裏切りと言う」とベック氏は笑いながら言う。



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