2020年6月15日 |
2年前、”眼球運動による脱感作および再処理法”を受けて、度々起きる交通事故フラッシュバックから立ち直る事が出来たので報告する。 ある日、ハイウェーで運転していると、数回、不安発作が襲って来た。これは過去の交通事故を原因とする精神的後遺症であるが、凄まじい不安で死ぬ予感が離れなくなった。運転不能と判断して、車を道路脇に寄せて深呼吸をした分けであるが、以来、対策を考え始めた。 交通事故の経験がこういう形で襲って来るとは、あらためて交通事故の恐ろしさを感じる。どうしたら解決出来るかを考えたあげく、結局”眼球運動による脱感作および再処理法”に通う事にした。 最近コロナウイルスが世界を震撼させているが、自分の交通事故とその後遺症を考えると、コロナ騒動が将来、社会と人間に残す傷跡が心配になった。 眼球運動による脱感作および再処理法は、1980年代に発案されて、最初は批判にさらされた。「これまた怪しいサイコセラピーではないかと疑った」とトローマ治療の専門家であるベッセル・バンデル・コークは言う。しかしその後データが増えて、コークを含めて他の専門家も一部取り入れ始めた。 この療法では、ジーと音を出すポッドを握りしめながら眼球を上下左右に動かし、同時にトローマを起こした情景を思い出す。そのメカニズムは、目を動かしながらトローマを語る事で苦しい記憶を和らげるらしい。 眼球運動療法をやって気が付いたのは、我々の内には回復力が潜んでいる事であった。水位を保てば、何回でも引き出せる心の貯水池と言っても良いかもしれない。 私が経験したのは、ディストピア文学で言われる所の、資源の投入だったのだろう。セラピストによれば、目の動きを通して良い記憶を固定すると言う。 「誰でも奥深くに、楽しい思い出、安心、充実の記憶があるから、これを掘り起こして強化するのです」と 眼球運動療法を実施しているローレル・パーネルは言う。 私のセラピストは、多くの記憶の中で、安全、育成、保護者、知恵を選びなさいと言う。そこで、私は自分が18歳の時に亡くなった、お婆さんを思い出した。 彼女は台所でタバコを吸っている。 眼鏡をかけて口、目の周りには深いしわがある。風邪薬の匂いがして、抱き合うと彼女の骨があたる。この光景を思い出すと、愛、安全そして強さを感じた。以来、不安になると、お婆さんを思い出すことにしている。 私は、眼球運動療法で交通事故フラッシュバックから回復したのであるが、皆さんは必ずしも高いお金をかけてセラピーに通う必要はない。 「回復力とは困難を克服する力と定義したらよろしい。ある人にだけ備わっている分けでもないし、貯水池のように有限でもない。しかも学習できる」とペンシルバニア大学のカレン・ライビッチは言う。 ではどう学習するか。 ステップ1 今日何が出来るかを考えて見る。皿洗いのような、ほんの小さなことでよい。自分に何かを課して見る。 ステップ2 社会との関連を維持する。社会性は回復力の重要な柱である。コロナ禍の最中、社会性の維持は難しいが、この世の中には貴方を幸せにしてくれる人もいるし、貴方の助けを待つ人もいる。 ルーシー・ホーンは、ニュージーランドで困難の処理を研究する人であるが、彼女自身、クライストチャーチの地震を経験しているし、自分の娘を交通事故で失う悲劇も味わっている。彼女は、各個人が持つ回復力も重要であるが、社会が持つ回復力も重要と述べる。 「回復力は環境の中に存在し、健康保険、精神的援助、有給休暇、保育所、その他近所、友人、家族からの援助等がそれです。個人の回復力は人と共に戦っている時に、より強くなります」と彼女は言う。 個人レベルでの対処の仕方については、彼女はストックデールを引き合いに出す。ストックデールは長い間ベトナムに捕虜として拘留されていた。彼が長い拘留生活に耐えたのは、楽観主義を貫いたのと、直面する現実を素直に受け入れたからであった。 コロナ禍でも、将来を明るく期待すべきであるが、同時に現実を見つめること事も大事である。片一方だけでは失望と悲観だけになってしまう。 ホーンは何かを決定する時、自身に質問すればよいとも提言する。簡単な疑問、質問が大きな変化をもたらすと言う。 また、本能的回復力も我々には備わっている。私の交通事故では、いきなり対向車線を走っていたトラックが中央線を突破して私の方に向かって来たのだ。一瞬のハンドルさばきで、私の乗ったジープは危うく正面衝突を逃れて路肩に突っ込んだ。ジープの側面は激しく破損したが、大した怪我をせず、近くのモーテルにたどり着けた。 手を震わせながら、両親に電話をした。電話が終わった頃には気分は大分回復していた。回復力とは本来我々の中に存在するのだろう。それを信頼すべきだし、実際にある。 脳科学ニュース・インデックスへ |