至福の死は可能か

2020年2月6日


生きるとは、死の直前までの死への戦いと言われる。それほど嫌な死に対して、一体、我々は死との折り合いをつけることは可能であろうか。

私は緩和ケアーを専門とする人間であるが、自分の経験から、人は死の2週間位前から死のプロセスに入って行くことを学んだ。このプロセスでは人は日々状態が悪くなり、意識も途切れがちになり、最後は食事も飲み込めなくなる。多くの人は二日か三日しか持たないが、人によっては一週間も続く。

また、体内では肉体的ストレスを示す化学物質が増える。癌患者では細胞が感染症と戦っている結果、炎症マーカー値が上がる。死に近づくとエンドルフィンの分泌が活発になると言われるが、実験で確かめられたわけではない。しかし、2011年のネズミを使った研究では、死の直前にセロトニンのレベルが通常より3倍に上がったと報告している。セロトニンは別名幸せホルモンと言われ人を幸福にするが、ネズミの実験結果を人に当てはめられない。

人間でも、エンドルフィンやセロトニンを測定する事は技術的に可能であるが、死に面している人の血を、死の数時間前から繰り返し採取するのは容易ではない。費用的にも、イギリスの癌研究に支払われる予算は756億円に対して、緩和ケアーに対する予算は僅か2億円である。

痛み止め薬がエンドルフィンの邪魔をする
痛み止めがまさかエンドルフィンの分泌を妨害しているわけではないだろうが、死ぬ前に痛みがそれほど強くない人の場合、死に際がよい。この理由として、痛み止めを多用してないから、エンドルフィンの分泌が良かったと解釈できるが事実は分からない。
戦場では、兵士が重傷を負っても痛みを感じない事がよく起きる。この場合、地獄の戦場で心の焦点が何か別方向に強く向いているためであろう。オックスフォード大学のイレーン・トゥレイシーの研究でも、 偽薬、暗示、信仰力、瞑想が痛みを和らげる効果があるのを確認している。

至福の経験
エンドルフィン以外に、死に直面した時、至福感を与えるものはあるだろうか。死とは体の機能が停止するのだから、脳も非常事態になり、それが臨死体験を生むのだろう。
Jill Bolte-Taylor(アメリカの神経学者)がTED talk(ユーチューブのプログラム)で臨死体験を説明していたが、彼女の場合、脳卒中で左脳が機能を停止している。左脳は理性的思考をする脳だから、そこが停止すれば至福感を得るのかも知れない。しかし、右脳に同じことが起きても臨死体験があると言う報告もある。

読者の中にも家族が霊的経験をした人がいるだろう。私の祖父は死の間際に手を上げて何かを指さした。祖父の妻を呼んだのだろうと父は言った。祖父の死顔は安らかであり、幸せな祖父の最後であった。

仏教徒は、人は死んでも輪廻は転生すると考え、死を万物のプロセスの一環と取る。でも強い信仰心が幸せな死を保証するわけではない。私が知っている範囲でも、死の間際に大変不安になった司祭、尼僧がいる。彼らは良心に何か感じることがあったか、最後の審判を恐れたのだろう。

結局、死の迎え方は人により違うと言う事だ。特に若い人の場合、死が納得できない場合が多い。幸せな死を迎えたと判断できる人たちは、死を受け入れることが出来た人たちであった。それにはケアーが重要な役割をし、良いケアーは死期を伸ばすことも出来る。          

三度目の細菌感染後に変わった女性
ある卵巣がんの女性は、既に口から栄養を取る事が出来ず、静脈から栄養を注入していた。この場合、細菌の感染リスクが高い。三度目の細菌感染後に、彼女は大きく変化した。彼女が病院を短期間退院していたある日、美しい夕日を見たと言う。

このような出来事はケアーをしている人に大きな励みにもなるし、私個人としても強い印象を受けた。人類が医療と言うものを開始してから5000年も経つだろうが、結局、死は今も分からない。溺れる時、心臓麻痺を起こした人がどの様に死ぬかを説明できるが、癌とか肺炎になると分からない。

誰でも輝くような死を迎えたい。将来、死の間際にエンドルフィンがどんな役割するか分かる時が来るであろうが、今は、死のプロセスを幾らかでも解明して、人の最期を幸せにしてやること事だ。

最後にスウェーデン出身の元国連事務総長であるダグ・ハマーショルドの言葉が適切かも知れない。「死を求める必要はない。死は向こうからやって来る。ただ満足感をもって死にたい」。



脳科学ニュース・インデックスへ