臨死ケアー

2003年12月30日

それは1958年の事で私が16歳の時であった。母は末期癌で体はチューブで連結されて病院のベッドに横たわっていた。死期が迫ると看護婦はぞんざいに酸素マスクを母の顔にあてがい、それを私が持つように言った。とても私にも母にも最後の別れの言葉を交わす雰囲気は無かったわけで、この記憶が今でもつきまとっていて残念だと思う。近代ホスピスの基礎を作ったシシリー・ソンダーが「家族にとって家族の一員の死ぬ様は長く記憶に残る」と言っているが、上のような経験をするのは私ばかりでは無いようだ。

現代の臨死ケアー専門家は私の母への処置は間違っていて当時の無知の為だと言う。しかし45年経った今、どれほど変化しただろうか。医学の進歩と臨死ケアーの向上にも関わらず、病院やホスピスでの対処の仕方は殆ど変わっていない。高度延命処置はより痛みと苦しみを長引かせ、家族との最後の別れを不可能にしている。

デーブ・ファルカソンの場合も同じであった。彼はガールフレンドとジョギングをしている時に車にはねられた。緊急処置室に入れられ、家族は3時間に渡って面会を断られた。既に彼は話す事が出来なかったが2時間置きに1人が5分間だけ入室を許された。ガールフレンドは不満のあまり家に帰り、両親は待合室で寝てしまい、起きた時に看護婦に息子の死を知らされた。

ローズ・ビラニ氏(カリフォルニア州デュアルテにあるCity of Hope National Medical Center の研究員)とダリア・ソファー氏(記者)はアメリカ看護誌の中で去年の5月、臨死ケアーシリーズで詳しく語っている。両者はファルカソンのケースを残念がっていて次のように述べている。。

「ファルカソンさんの場合、病院と家族の間に意思疎通が存在せず、これが不必要な苦しみの原因になった。意思疎通も大事であるが、不必要な高度延命処置も問題である。必要以上の処置をされる人がいる反面、十分な治療を受けられないで死を迎える人もいる。又医師と看護婦から違った意見を聞き、混乱の中で死に至る場合もある」とここで述べている。

心臓発作で死ぬ人が減り、寿命が長くなるにつれて死はより長いプロセスになりつつある。死に臨む数週間、数日、数時間に患者には何が起きているのであろうか。どのように対処すれば良いのか、どの程度までの処置が必要でどの程度が必要でないのか。これらを理解するのが医療従事者、家族共に重要になって来た。

アメリカ老人病協会が1996年に安楽に死を迎える為の原則9つを発表した。

  • 精神的身体的苦痛の緩和
  • 患者の尊厳の維持
  • 治療は患者の希望を反映したものにする
  • 不必要な高度治療を避ける
  • 患者と家族の水入らずの場を設ける
  • 患者に出来るだけ良質な生命を与える
  • 家族の費用負担を最小にするよう心がける
  • 患者には健康保険の適用を説明する
  • 死に向き合う家族を援助する

しかし、6年後に行われた再調査では大変不満足な結果であった、と老人病協会が発表した。その中で、ビラーニ氏とソファー氏は「圧倒的多数の人は不必要な治療を受けていて、しかも痛みや症状の緩和が不適切であり、病院と患者、家族の意思疎通が不足している」と指摘している。

臨死の日々
人が死に近づくと身体的、精神的変化が起き、これが介護をする人を混乱させ、結果的に良くない処置を招く傾向にある。患者が食事を咽喉を通して取れない場合、チューブで栄養を補給し、呼吸が苦しくなれば酸素マスクをと誰しも考えるが、専門家は必ずしもこれに賛成しない。

エリザベス・ピトラック氏(クリーブランドのウェスターンリザーブホスピスの責任者)はその看護論文で人が死に迫っている時に何が起きるかを次ぎのように説明している。

「体全体の機能停止は一般に10−14日かかるが24時間以内の短時間でも起こり得る。臨死の患者は脱水症状になっていて、飲み込みは難しく、末梢血管の循環は悪化している。この為に発汗して、触ると冷たい皮膚になっているが、それにも関わらず毛布を掛けるべきではない。死に直面した人は手足にかかる少しの重量も耐えられないからである。

肺のうっ血のために患者は苦しくあえぐが、必ずしも酸素マスクが苦しみを和らげるとも限らない。多くの場合、酸素マスクもあまり意味が無いからである。それより窓を開けて、扇風機で風を送り込んだり、ベッドの回りのスペースを確保する。あるいはモルヒネ等の麻薬で息切れと不安を緩和させるのが良い。

食物の飲み込みが難しくなると患者は脱水状態と栄養の断絶によりケトンが血液に増加し、無痛の恍惚状態になる。この恍惚状態を防ぐには静脈点滴で少しの糖を補給してやると効果的である。 臨死の患者に食物を食べさせようとすると嘔吐が起きて、平和な死より激しい死になりやすい。患者は脱水状態になっているからもうろうとしていて、その改善に静脈点滴は効果的であるが、一方それは浮腫みと吐き気や痛みを起こす。患者がモルヒネを受けていて、しかも腎臓が機能しなくなると、心の混乱と筋肉の痙攣発作が起きるから、水分の補給と麻薬の量を控えるのが良い。

人が死期に近づくと、例えそれが3ヶ月も前であろうとも、気持ちは内側に向き、会話が成立しなくなる場合はよくある。これを会話の拒否と捉えてはならない。下界から分かれる準備であり、あの世を見つめていると解釈できる。

末期症状と分ったら、最後の数時間まで待って話し掛けるべきではないでしょう。100例の末期癌患者の例を取ると、56例で1週間前に覚醒状態であり44例はうとうとした状態であった。昏睡状態の人は誰もいなかった。最後の6時間では8%の人だけが覚醒していて、42%はうつらうつらしていて50%が昏睡状態であった。当然その時は会話は出来ない。

死が迫ると口の回りの筋肉が弛緩し、分泌物が咽喉、気管支に溜まってくる。その為に呼吸音(いびきのような音)が激しくなりこれを死の呼吸音と呼ぶが、それが悩ましい。当然痰を吸引する処置が適切に思われるが、患者に負担になるし、成功することは殆ど無い。それより患者の寝ている向きを変えたり、頭を少し上げたり、分泌物を少なくする薬が役に立つ。

臨死の患者は苦しい息の中でうめく事があるがこれは痛みとは関係が無い。この時期には患者は語る事が出来ないから痛み止めの薬物は常に投与すべきである。痛み止めの薬物が患者の死期を早めると言う証拠は無いから心配するする必要は無い。

患者が自分が死ぬかどうかを聞いてきたら真摯に答えるべきでしょう。後に残る人は大丈夫であり、安心しなさいと言うべきであり、何時死んでも良いとは言うべきでない。注意すべきは聴覚は死の直前まで機能するから、言うべきでない事は慎むべきです」とピトラック氏は言う。

医師の立場

死期が迫り最早治療手段が無い時に家族はしばしば医師にも見放されたと感じて不満を言いますが、医師も同様に無力感を味わっているのを理解するべきです。

2年前のアメリカ医学会誌でダイアン・ミーア氏とシーン・モリスン氏(ニューヨーク、シナイ山医療センターの痛み緩和の専門家)は「患者が好転しない時は医師も罪悪感、不安感、不適格感に悩まされる」と言っている。その場合、その気持ちを家族に告げるより、病室から立ち去る方が良いかも知れない。あるいは少ない時間を他の患者さんに使った方が有効だと合理化する医師もいるであろう。

例えば、次の例では友人の主人は末期の肺癌で、有名な癌の専門家に治療されていた。もう治療がやりようがなくなった時にその医師は病室から出て行って、代わりに部下の医師が入ってきた。彼の死の後、その医師は何も話さなかったし、電話も手紙もくれなかった。これが友人を腹立たせ悲しみを増幅した。

患者が死んだ時の医療関係者へのアドバイスとして「遺族の気持ちを汲んであげるのが大切です。病室を出る前に慰めの言葉を述べなさい。遺体を病室から運び出す前に最後の一時を家族が一緒に過ごせるように取り計らいなさい」とピトラック氏は言う。


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