ケタミンの認可

2019年3月5日
 
PETスキャン画像、左が鬱状態の脳で右は健康な脳
健康な脳に比べて青、緑の部分が濃い。白と黄色の部分は暗くなっている。

ケタミンが政府により抗鬱剤として認可され、いよいよ処方薬として使われる。薬効が早く表れ難治性の鬱にも効果があると言われるが、果たしてどうか。

現在アメリカでは1600万人の人が鬱状態に苦しんでいると言われ、その内の4分の1は療法、薬とも効果がない難治性の鬱である。しかし、5日、アメリカ食品医薬品局は、麻酔薬であるケタミンから作られたスプレー式点鼻薬を処方薬として認めた。
ケタミンは古くから使われている麻酔薬で、抗鬱剤として使うと従来の抗鬱剤に比べて効果が出るのが早いと言われる。
新しい薬はエスケタミンと呼ばれ、ジョンソンージョンソン社の一部であるヤンセンファーマにより開発された。久しぶりの新薬の登場で、従来のプロザックに代表される抗鬱剤から脱却が出来るかどうか注目されている。これが実現すると、ヤンセンファーマは1兆2000億円の抗鬱剤市場に踏み入れる事になる。

「エスケタミンは従来の抗鬱剤とは作用の仕方が違う。だが余り期待が先行するのは避けたい」とオレゴン健康と科学大学のエリック・ターナーは言う。

ケタミンのジェネリックによる鬱治療は、既に数多くのクリニックで実施されていて、今までの所、難治性の鬱に対して効果があると言う。しかし、魂が体から抜け出るような幻覚を引き起こす副作用も懸念される。1980年代、1990年代にはスペシャルKの名前でストリートドラッグとして出回っていた。

エスケタミンによる治療は、一週間に2回で4週間続ける。同時に抗鬱剤も服用する。薬の服薬は病院内と制限され、少なくても2時間は院内で観察され、様子も記録される。当日の車の運転は許されない。患者のためのスペースを確保する必要があり、物流問題が生じるかも知れないと指摘する精神科医もいる。費用は一カ月コースでは50万円から70万円である。エスケタミンはケタミン同様に依存症を引き起こす可能性がある。

従来の抗鬱剤は、神経伝達物質であるセロトニンの活性を高めたが、効果が出るのに数週間から数か月かかり、また効果もはっきりしなかった。エスケタミンの登場は鬱治療にインパクトを与える事になるかも知れないと専門家は言う。エスケタミンでは効果が数時間から数日で現れ、難治性の患者にも有効と言う。

「即効で重篤の鬱病に対しても有効だからうれしい」とメリーランド医科大学のトッド・グールドは言う。彼はヤンセンファーマの研究には加わってはいないが、ケタミンが体内で分解される時に出来る代謝物を同定している。この代謝物も薬効を呈する。

プロザックが市場に投入された今から30年前は、あまりにもプロザックに対する期待が先行したから、専門家は今回の新薬に対して複雑な反応を示している。エスケタミンの試験がヤンセンファーマの費用で行われているのも問題だ。
エスケタミンと偽薬の比較臨床試験では、鬱状態を60ポイントで示すと、エスケタミンでは21ポイント改善して、偽薬では17ポイント改善している。しかし他の二つの試験ではエスケタミンと偽薬の違いは見られなかった。政府は一般に許可する前に、2つの短期間試験を見るが、今回は条件を緩和して、良く効いた患者の鬱が再発するかどうかを調べた。

ヤンセンファーマの報告では、エスケタミンで治療した患者の25%が再発しているのに対して、 偽薬の場合は45%が再発している。
「抗鬱剤に関しては、もう30年も新薬が登場していない。もしこの薬に効果があれば、これは神の賜物である」とバンダービルト大学のスティーブン・ホロンは言う。

患者の強い要望
もう一つの疑問は、ケタミン静脈注射とスプレー式点鼻薬の違いである。ニューヨークに住み英語の教授をしている57歳になるテレサは、長い事、重度の鬱状態に苦しんでいたが、昨年の夏にケタミン静脈注射を地元のクリニックで受けた。6回ほどケタミン注射をし、従来の抗鬱剤も投与された。毎回費用は5万円である。
「何か浮かんだような感じで、ハイになり音、質感、形に敏感になった。最初の静脈注射は効果がなかったが、3回目、4回目になると違いが出て来た。不安は未だ変わりないが、体の中にしっかりしたものを感じ始めた。夫もそれを認めている」と彼女は語る。

ニューヨーク・マンハッタンにあるケタミン静脈注射クリニックのグレン・ブルークスは、2300人の患者をケタミン静脈注射で治療をしている。患者の訴えは多岐にわたり、PTSD、不安症、強迫行為、鬱と広い。
「彼等の訴えで共通しているのは、治療の全てがダメだったと言う事です。だからケタミン静脈注射と言っても信じなかった。多くの場合、注射後直ぐ効果が出ます。しかし50歳以上の患者では効果が減った」と彼は語る。

ヤンセンファーマが政府に提出したデーターも65歳以上の患者には効果が薄いとしている。ケタミンは50年以上も前に、麻酔薬であるフェンサイクリジンの安全な代替薬物として開発されて、世界中で使われている。WHOも1985年以来ケタミンを必須薬品としている。

1990年代に入ると、政府の専門家であるフィル・スコーニックが、神経のグルタミン酸塩経路を刺激すると抗鬱効果があると主張して以来、ケタミンは鬱病治療薬として注目されるようになった。グルタミン酸塩経路は脳神経を活性化する働きがある。
2000年には、イェール大学とコネチカット精神医療センターが、ケタミン治療で7人の患者に迅速な改善が見られたと報告している。

2006年には、アメリカ国立精神衛生研究所のカルロス・ザラテが、18人の難治性鬱病の患者にケタミンを試みて、数時間内に改善があったと報告して、一躍注目されるようになった。

「ケタミンの特色は鬱ばかりでなく、不安、自殺念慮、無気力にも有効な事で、心の病全般に応用が効きそうだ」とザラテは言う。自殺念慮を鎮める効果は魅力的で、特に刑務所や精神医療の現場では多くの命を救う可能性がある。果たしてスプレー式点鼻薬がどれ程有効か、「ここからが勝負所です」とザラテは言う。



脳科学ニュース・インデックスへ