細菌と脳の会話

2019年1月28日
 

腸内に棲む細菌は脳と会話をしている。この会話が痴呆、自閉症その他の心の病に関係しているらしい。

2014年、アイルランド、コーク大学の教授であるジョーン・クライアンは、微生物の専門家としてカリフォルニアで開かれたアルツハイマー病学会に出席した。会合で彼は、アルツハイマー病には腸に棲む微生物が関係しているのではと述べたが、参加者に無視されたようだ。
「多くの人はこの考えに賛成しない」とクライアンは言う。でも最近は雰囲気も変わって、微生物と脳はつながっているらしいと言う専門家が増えて来た。パーキンソン病、鬱、統合失調症、自閉症その他の心の病気にも、微生物が関連しているのではないかと言う。

アルツハイマー病学会の会合には、シカゴ大学のサングラム・シソーディアと言う批判的な人もいた。その彼が、本当かどうか簡単なテストをやってみようと言う。
テストでは、アルツハイマー病を起こしやすいマウスに抗生物質を与えてその脳の変化を調べた。すると、抗生物質を与えられたマウスの脳には、アルツハイマー病特有の蛋白形成が少なかった。抗生物質はマウスの腸に生息する微生物を殺し、それが有害な蛋白を阻止したらしい。

「この結果は、分子生物学や神経科学をやる者には予想外であった」とシソーディアは言う。一連の実験の結果、アルツハイマー病を起こす微生物は数種、あるいはたったの一種類かも知れないことが分かった。微生物が化学物質を分泌し、脳の免疫システムに影響を与えるのではとシソーディアは言う。

我々の体の中に微生物が棲んでいるのはかなり昔から知られていた。1683年、オランダの科学者アントーニ・ファン・レーウェンフックは、彼の歯垢を顕微鏡で検査して微生物を発見している。しかしその後は、ペトリ皿で生きられるものだけ注目され、腸に生息する微生物は手付かずであった。

2000年代の初め、腸内細菌のDNA同定に成功して以来、急激にこの分野は進歩した。先ず、皮膚、腸と微生物の関係が調べられたが、脳はいわゆる血液脳関門と言う障壁があるため、微生物は脳には入らないとして、研究から除外されていた。2011年の時点でも、微生物と人間の行動を結び付ける考えは馬鹿げているとされていた。

カリフォルニア大学のロッブ・ナイトは、腸内微生物と脳の関係を示すヒントを発見している。実験では、遺伝子変異で太るマウスの糞を、腸内に細菌が全くないマウスに移植すると、そのマウスは太り始めた。

微生物が脳に影響するのは食欲だけではない。クライアンの研究によると、腸内に細菌のいないマウスは、孤独を好むらしい。その脳を調べると、扁桃体が稀なタンパク質を生産し、神経回路が変化していた。人間でも、自閉症の子供の便の微生物相は違っている。自閉症ばかりでなく、他の心の病気でも微生物相の違いが見られる。しかし、微生物だけでアルツハイマー病を説明できるように思えない。
アルツハイマー病の患者は、しばしば食事の嗜好が変化するから、そこから微生物相に違いが生じるかも知れない。

シソーディアは、アルツハイマー病を起こしやすいマウスを抗生物質で治療し、そのマウスに普通のマウスから採取した糞を移植した。すると、マウスでは、アルツハイマー病特有の有害蛋白の形成が始まった。「細菌がアルツハイマー病を起こしているのだろう」とシソーディアは言う。マウスの尾を抑えると、マウスは振り放そうともがく。所がそのマウスに鬱状態の人間から採取した糞を移植すると、マウスは抵抗を直ぐ止めてしまい、動かなくなると言う。

大変おもしろい実験結果ではあるが、限界もある。糞を移植する場合、移植される微生物は多岐にわたり、どの微生物が影響を及ぼしたのか特定できない。しかし、最近は微生物も特定できるようになった。

ヒューストンにあるベイラー医科大学のマウロ・コスターマチオリは、2種類のマウスを用いた。一つはSHANK3と言う遺伝子の変異体を含むマウスで、繰り返し身づくろいをし、他のマウスから離れている自閉症的症状を示す。もう一つのマウスは、母親が提供する脂肪分の高い餌を食べて自閉症の症状を示す。この二つのマウスの腸内微生物を調べたところ、ルテリ乳酸菌がいないのが分かった。そこでルテリ乳酸菌を餌に混ぜた所、マウスは社会性を回復した。

「ルテリ乳酸菌がある種の物質を生産し、腸の神経末端にシグナルを送る。迷走神経がこのシグナルを脳に送り届けて、脳はオキシトシンと呼ばれるホルモンを生産し、社会性が増す」とコスターマチオリは言う。

他の微生物も迷走神経を通してシグナルを送るが、血流を通しても脳と連結している。微生物と人間の関係は子供が生まれる前から始まっている。妊娠女性の微生物相が産出する物質が、胎児の脳に影響を与えるからである。

ミシガン州立大学のレベッカ・ニックミーヤーは幼児の脳をfMRIで調べた。彼女の報告によると、微生物相に厚みがない子供の場合、扁桃体と他の脳との連結が強かった。微生物相が薄いと子供の心が不安定になるということらしい。

もし微生物が脳に影響を与えるなら、心の病気に応用できる。1900年代の初めに、癲癇の患者に低炭水化物、高蛋白、高脂肪の食事を与え、癲癇発作を低下させる事に成功している。癲癇マウスに、ケトン誘発食を与えると同じ効果が出るが、カリフォルニア大学のイレイン・シアオはやはり微生物が影響していると見ている。

シアオは、先ずを微生物を持たない癲癇マウスを作り出し、これにケトン誘発食を与えたが発作に変化はなかった。しかしこのマウスに、ケトン誘発食を食べた普通のマウスの糞を移植すると発作は和らげられた。ケトン誘発食を食べたマウスでは、特に二つの細菌が繁殖していた。これ等の細菌が、ある種の神経伝達物質の分泌を促進し、この神経伝達物質が脳の電子回路の乱れを抑えているのではないかとシアオは言う。

将来、癲癇の患者が、バクテリアを含むピルを飲んで済ます時代が来ないとも限らない。カルテックのサーキス・マズマニアンは、マウスにパーキンソン病を引き起こす細菌を同定した。その細菌が放つシグナルを抑制する物質を今カルテックは研究している。

一方、微生物がパーキンソン病を引き起こす意見に反対な人達もいる。
「プロバイオティクスと呼ばれる、微生物入りサプリメントが販売されている。注意しないと、似非科学と科学の境目が分からなくなる」とシアオは警告する。

「ルテリ乳酸菌が、将来自閉症に悩む子の救いになる可能性もあるが、未だ薬局に行くのは早い」と、コスターマチオリは言う。 「効果のある種を探しているが、臨床テストをするには十分とは言えない」と コスターマチオリは言う。

フランス・ボルドー大学のカタージナ・フークスは、コスターマチオリの研究に批判的で、無菌マウスへの糞の移植で動物の変化を調べるのは、大変難しいと警告する。「我々は今心の病を解く何かを得たようだが、それが何であるか分かってない」と彼女は言う。



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