自殺を多く出す家系

2003年8月4日

 
最初は彼の母親であった。彼女はホテルで38口径のピストルで自殺した。彼の兄弟の一人は散弾銃で地下室で自殺した。彼のもう一人の兄弟は下宿で服毒自殺した。彼の一人の姉妹は寝室で自殺した。そして3年前には父が銃口を自分に向けて自殺した。アレン・ボイド・ジュニアにはボイド家の暗い歴史が付きまとっている。

ボイド自身は今まで銃口を自分に向けた事は無い。ノースカロライナに住む45歳の男性だが、明るい女性との結婚を夢見ている。しかし、自分がボイド家の一員である事も知っている。父の死後、自殺が又起きるのではないかの嫌な考えが5分置きに現れ、寝付けない事もしばしばあった。

「自殺は自分の体の中にあるようだ」と彼は言う。

専門家も、最近は自殺の原因が遺伝子にあるのではと言い始めている。自殺の家族遺伝性云々は長いこと議論されて来たが、果たしてどのように家族の一員から他の一員に自殺行為が移るのか説明出来ていない。感情の連鎖反応と言う学習行動にあるのか、一部の専門家が言うように、自殺遺伝子と言う物があるのか、はっきりしていなかった。

今週発売のアメリカ精神医学誌によると、自殺遺伝子発見への研究が開始されている。最近の考えでは、自殺を多く出す家系には単に心の病が存在するだけでなく、衝動的行動に突っ走る何かがあると見ている。

「この考えは、自殺家系は人間時限爆弾を抱えるようなものだと言うに等しく、人の理解を得るのが難しいだろう」とジョーン・ホプキンス大学精神科医であり、有名な自殺研究者でもあるレイモンド・デパウロ氏は言う。

会議で最も焦点になったのは、もし家族に危険要素を発見した場合、医者が自殺発生を予防できるかどうかであった。この研究の指導者であるデイビッド・ブレント氏の自殺研究は、青少年精神科病棟に勤務していた頃に溯る。この病棟では、誰が自殺をしようとしているかを判断するのが重要な職務であった。ある日、数人の女子来訪者を面接していて、ある一人を病棟に入院させ、もう一人の女子を家に帰した。すると女子の父は、帰すか入院させるかの判断は一体何処にあるのですか、と強く迫った。ブレント氏は正直言って回答が無かったと言う。ブレント氏は現在ピッツバーグ医科大学の精神科教授である。

「私自身にも、精神医学にも、この方面の知識が全く無い。コインを放り投げて判断するようなものだ」と氏は言う。

最近の研究では生理学の面から自殺因子に迫っている。自殺者の脳を調べた所、セロトニンの代謝誘導体のレベルが低い事が分かった。 セロトニンとは神経伝達物質であり、感情を左右する重要物質である。セロトニン不全が引き起こす自殺リスクは高く、 普通の10倍にも及ぶが、臨床の医師にはこの知識を応用する事が出来ない。何故なら、セロトニン不全であるかないかを調べるには、腰椎穿刺しなければならないからである。

研究者が共通遺伝子を求めて調べていくと、自殺が多発している家系に行き当たる。

1996年、マルゴー・ヘミングウェイが薬の飲み過ぎで死んだが、それが自殺であったと判定された。彼女の自殺は、ヘミングウェイ家4世代の内の5番目の自殺であった。最初は祖父で有名な文豪でもあるアーネスト・ヘミングウェイであり、次は父のクラレンス、その次は姉妹のアーネスト、次に兄弟のライセスターであった。

自殺家系の研究は、伝統に固守し質素な生活を送るアーミッシュの中でも行われた。マイアミ大学の研究チームは、20世紀にアーミッシュ部落で起きた自殺の半分(僅か26人)が2つの家族とその親戚で起きていたのを発見している。その内の73%が4つの家族に集中していた。アーミッシュの部落は小さいから、4つの家族の人数は部落全体の16%を占める。自殺多発の原因は、単に心の病が家系にあっただけでは説明出来なかった。何故なら、他の家族にも心の病があり、自殺率は高くなかったからである。

その後の調査でも、自殺家系の特徴を説明出来ていない。社会学的、心理学的、遺伝子学的にも解明されなかった。今の所、専門家も自殺については色々な要素が絡み合っていると言うだけである。

「自殺原因を探るなんて不可能だ。今後、数百年も同じ議論をするのでは無いか」とアメリカ自殺予防協会の会長であるアラン・バーマン氏は言う。

しかし、ボイドにしてみれば、遺伝子云々より、母の自殺が家庭に及ぼした影響の方が余程深刻である。同様な事が他の自殺未遂者にも言えるであろう。

母がホテルでピストル自殺をして以来、家族はその衝撃で粉々になってしまった、とボイドは言う。ボイドの父は母親の行動を厳しく批判した。しかし、ボイドの兄弟であるマイケルは、母親と共にいたいと言って、一ヵ月後に16歳の年齢でピストル自殺をした。マイケルの双子の兄弟であるミッチェルも、先例にならって自殺未遂を繰り返した。その中には、ノースカロライナのアッシュビルにある一番高いビルディングから飛び降りようとした事もあった。後に、彼は分裂病と診断されて、36歳の時に下宿で服毒自殺をした。

ボイドの姉妹であるルース・アンは結婚して男の子を産んだ。しかし、男の子が2歳の時に理由不明で子供を銃で撃って、自分もピストル自殺をした。享年は37歳であった。彼女の自殺の4ヶ月後、父のアレン・ボイドも、やはりピストル自殺をした。ボイド自身も3回自殺未遂をしている。

「母親が家族全員に種をまいた。我々は母親の自殺を見て、どうするか決定したようだ」とボイドは言う。彼はアッシュビル市民タイムズ紙にシリーズで登場した。今は”家族の伝統:ある家族の自殺の記録”と言うタイトルの回想録を執筆している。

「人間は集団で生活する動物であるから、お互いに頼りあっている。人々に私に起きた事を伝えれば、多少とも世の中の自殺を食い止める事が出来るでしょう。もし、貴方が自殺を免れたなら、貴方の家族が同じ経験をしないように努力する義務があるであろう」と、この大変背の高いボイドは、鼻にかかった声で語りかける。

研究者は、家族を自殺に走らせるのは、その家族の受けた精神的苦しみと言うより、自殺を起こさせる遺伝子にあると考えている。ブレント氏は、自殺が多発する家系に共通するものは何かを研究しているが、結果は遺伝子説を裏付けている。ブレント氏の研究チームは自殺家系の一人一人、その兄弟、その子供達を調べた。その結果、19人の自殺傾向のある両親(この両親の兄弟も自殺傾向がある)から生まれた子供は、他の両親から生まれた子供に比べて、はるかに高い自殺危険性がある事が分かった。彼等は、自殺傾向が少ない家族の子供に比べて、8年早く自殺を試みている。

研究者は他の要因、例えば虐待、不幸、精神病質等も調べたが、衝動的行動以上の要因にはなり得なかった。次ぎの研究は衝動的行動を起こさせる遺伝子の発見であるとブレント氏は言う。

「我々は傾向のその又傾向を裏付ける因子を探している。きっと自殺を起こす遺伝子が発見されるだろう」とブレント氏は言う。

扱い難い自殺学と言う分野では、毎年のように概念の争いが繰り返される。必ずしも多くの学会員が遺伝子説を支持するわけでは無いが、今の所、生物学的因子説が社会学、文化理論、精神力学理論より有力である、と85歳になるアメリカ自殺学協会の設立者であるエドウィン・シュニードマン氏は言う。

「家族で自殺が多いと誰かが言った場合、誰もそれを遺伝子に結びつける人はいないでしょう。例えば、ある家族ではフランス語を話す人が多いとして、その家族ではフランス語が遺伝しているわけではない。各家庭はそれぞれの歴史があり、神秘が隠されている。うちの家族にはのんべーが多い、と自慢げに言う人もいる」とシュニードマン氏は言う。

アレン・ボイド・ジュニアに戻ると、心理療法と薬で鬱は大分快復している。最近はボイド家の次ぎの世代を明るく考えられる余裕が出てきた。

「私の両親は犬、猫を上手に育てた。私も良い犬、猫の育て方を知っている。私が、もし明るく積極的でバラの香りの好きな女性と結婚したら、良い人間を育てて、ボイド家の悪い傾向を一掃出来るとおもうのだが」とボイドは言う。



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