ロブスターは人間と同じように痛みを感じるだろうか。ロブスターを火にかざすと身をくねらして強烈な痛みを現わす。人間と同じように侵害受容体と呼ばれるセンサーを持っているから痛みは感じるであろうが、意識はどうであろうか。専門家は脳の構造が大きく違い、意識があるとは考え難いと言う。
「犬のような人間に近い動物では、意識も働くであろうがロブスターではないだろう」とウィスコンシン・マディソン大学のグリオ・トノーニは言う。単純な脳の構造を持つ動物にも意識があるのかないのか、意識とは一体何か、コンピューターが将来意識を持つことがあり得るだろうかと興味は尽きない。
トノーニは情報統合理論と呼ばれる意識論を発表し注目が集まっている。未だ証明されてはいないが、検証可能で何れ判断が下されるだろう。
彼は、十代の頃、倫理と哲学に魅了された。「意識とは何か。意識がどう形成されるか分かれば、宇宙や生きる意味も分かるのではと考えた」と彼は言う。この問題を解くために彼は医学を志す。
「医学の現場で働いていると、意識を失う患者を目の当たりにして、解明するヒントが生まれる」とトノーニは言う。
彼はまず睡眠に関する先駆的研究を発表して評価を得た。2004年には、最初の意識に対する考察を発表する。彼の理論はまず意識とは何かと規定する事から始まった。
周りの景色を見て判断する時、物の相互の位置を確認する。それぞれの経験はそれぞれの要素を持つから、無限の組み合わせが生じる。
机の上に赤い本が一冊あるとすると、色、形、場所を脳は認識し、それらを統合して「今、ここに、何が」の意識が形成される。理論によれば、情報がより多くより精密であれば、高いレベルの意識が形成される。
デジタルカメラと比較すると分かりやすい。デジタルカメラは、センサーでピクセルと言う形で光の情報を受け取り、ピクセルを統合して画像を作る。目では網膜にある光のセンサーが光を捉え脳の各部に伝える。シグナルを送られた脳は輪郭を感じ、色を感じて全体の像を作り上げる。画像の一部が欠けても、過去の記憶から補って欠損部分を埋める。即ち情報を統合して意識的経験が形成される。
脳の記憶はデジタル映像のようには記録しない。記憶は互いに重なりあい影響しあい、新しい経験は過去の経験に上書きされる。だから、何かのきっかけで、過去の思い出がどっと出て来ることがある。
全身麻酔薬のプロポフォルとキセノンで眠らせた人の脳を観察した研究が2015年に発表された。実験では、経頭蓋磁気刺激装置で、麻酔下にある脳に磁気を照射して、脳波を調べる。脳が覚醒状態では、磁気を照射すると脳の活動が脳波となって現れる。
プロポフォルやキセノンで麻酔すると、磁気照射で惹起される脳のざわめきは見られない。麻酔薬のため神経伝達物質が抑制され、脳内の情報統合が働かなくなっている証拠だ。実際、被験者は意識を失っている。
ケタミンとの違い
比較のために、ケタミンを使って同じく全身麻酔状態の脳を調べると、麻酔中外界の刺激に反応しないが、麻酔から覚めた後、悪い夢を報告する事がある。プロポフォルとかキセノンではこれがない。磁気反応を調べると、ケタミンでは麻酔下でも脳が磁気に反応し、意識は存在することを示していた。
トノーニの睡眠研究でも同じ現象を発見している。ノンレム睡眠では脳は磁気照射には比較的反応しないが、レム睡眠(夢を見ながら目を早く動かす睡眠状態)では反応し、意識が形成されているのが分かる。
トノーニ理論は脳に障害を負った人達の経験とも一致する。小脳は脳の基部に位置し色はピンクがかった灰色で、ウォールナットの形状をしている。機能は、動作のコントロールと言われている。小脳の神経細胞の数は脳皮質より4倍も多く、その数は脳全体の半分に達するほどである。ところが、小脳が生まれながらない人もいて、それでも意識は可能であり、比較的長生きしている。
もし意識を形成するには一定数の神経細胞が必要ならば、これは成り立たない。多分小脳は情報統合には参画していないのだろう。
一方、植物状態になった患者の脳に磁気照射をして脳波の反応を見るのも重要だ。意識があれば磁気照射に反応する。
トノーニの理論は未だ推測の域で、証明には精密な測定器必要とする。計測に時間がかかり、現状では数百億年もかかり不可能である。
カリフォルニア大学バークレーのダニエル・トーカーは劇的改善方法を発見して、数分に縮めた。ニホンザルを使って可能を証明している。意識を数学で解く可能性が出てきて、ロブスターにも意識があるのかの疑問が解けそうだ。意識とは情報統合だと証明されたら、動物擁護団体の活動が激しくなるだろうし、社会を根本的に変える可能性もある。
最近は、意識を獲得した人工知能を不安視する向きもある。しかし、現在のコンピューターはトランジスターのネットワークから出来ていて、情報統合を排除しているから、人間のような意識は出来上がらないとトノーニは言う。
「何れコンピューターは人間と同じくらい、あるいはそれ以上の能力を持つようになる。既に囲碁とかチェス、顔認識では人間を凌駕し始めた。情報統合によりコンピューターが人のようになるかは、身体の特性もあってそこをクリアー出来ない」と彼は言う。
マサチューセッツ工科大学のトーマス・マローンは、トノーニの理論を人のグループに応用して実験を試みた。実験によると、チームがどれほど情報を統合しているかにより、グループの仕事の成果が予測できると言う。グループの活動が脳の意識のようになるとは、いささか言い過ぎではあるが、多くの人が一つの脳のように考え、感じ、記憶し、決定し行動する可能性を示している。
ただ、今まで述べたことは推測で、まず、情報の統合が意識の本質であることを証明しないとならない。トノーニの理論により、意識の神秘が解き明かされることを期待する。
脳科学ニュース・インデックスへ