我々は、今、知的には最高度に発達した時代を生きている。
知能指数が発案されて以来100年、人間の知能指数はその間確実に向上してきた。現代の一般の人の知能指数は、1919年に生まれた人のそれに比べると、天才の水準にまで達している。この知能指数が上がる現象をフリン効果と言う。
大変喜ぶべきではあるが、知能指数の伸びは現在ピークに達していて、既に鈍化の傾向を示していると言う。これは何を意味していて、今後どんなことが起きるであろうか。
先ず、人類の祖先から考えると、約300万年前に我々の祖先は木から降りて歩き始めた。当時の最初の2足歩行動物の脳容積は400㏄で、現代の人間の脳の容積の3分の1であった。
脳は体全体のエネルギーの20%を使うと言う恐ろしくエネルギーを消費する臓器だから、余程の理由がない限り、脳は現在のサイズになってないはずだ。ここまで脳を発達させた理由として、人間がグループとして行動し、より発達した認識力が必要であったと言う考えがある。
サルが木を降りて二足歩行を開始すると、生存のために次第に大きなグループを構成するだろう。その方が捕食動物の攻撃から身を守れるし、食料を互いに分け、子供を集団で養育出来る。でも、人と行動を共にするのは楽な事ではない。それぞれの個性があるし、好き嫌いもある。だから、グループで行動をするには知恵が必要となる。
社会が発展すると発明、改善があり、人もそれに合わさないとならない。これが知能指数の改善につながったのだろう。
40万年前のホモ・ハイデルベルゲンシスでは、現在の人の脳より少し小さい1200㏄であった。7万年前に我々の先祖がアフリカを出る時は、既にどのような気候にも順応出来るほどの知能を獲得していた。洞窟に描かれた彼等の作品を見ても分かるように、宇宙論を語る事が出来るほど知能は発達していたであろう。それに比べて最近の知能指数向上は、あまりにも短時間で進化で獲得したと考えるには無理がある。
知能指数と言う人の知能を数字で表す方法が広く世間に受け入れられたのは、指数と我々の各種認識力が一致していると考えられたからだ。即ち、数学の成績よければ、空間認識やパターン認識も良いと推測できる。知能指数は一般に社会に認められ、特に学校の成績を予想する上に便利であった。
最近は、専門家が知能指数の時代別変化に注目している。
ジェームズ・フリンが過去1世紀の知能指数の動向を調べた所、指数が毎年増加しているのが分かった。10年に3ポイント上がる計算で、国によっては1世紀の増加が30ポイントに届いた所もあった。フリン効果については未だその原因はつかめてないが、遺伝子の変化と言うより、環境が及ぼす変化ではないかと言われている。
変化が環境によるのか遺伝子によるのかを判定するには、身長の変化を見るのが良い。我々の身長は19世紀に比べて11㎝も伸びている。これは遺伝子が変化したからではなく、健康状態がよくなったから伸びたのであろう。医学が進歩し、乳幼児死亡が激減し、栄養状態が改善されれば身長は伸びる。同時に脳も改善したかも知れない。知能指数の向上は、ガソリンに加える鉛を禁止したからと言う議論もある。実際大気に排出される鉛は脳に悪影響を及ぼす。
現代ハイテク社会では抽象的思考が常に要求されていて、人は若い頃からその訓練を受ける。コンピューターやスマホを使う動作が知能指数テストの成績向上につながったのであろう。
でもどうやら知能指数向上もピークに達したようで、最近は少し下がり始めた。フィンランド、ノールウェイ、デンマークでは、1990年代の半ばから年間0.2ポイントづつ降下していて、一世代では7ポイントの下落になる。この現象を説明するのは難しい。一つの理由として、最近の学生は計算機を使って計算するからかも知れない。
過去30ポイントも上昇した知能指数は、我々に何をもたらしたのだろうか。
コーネル大学のロバート・スターンバーグは次のように述べる。
「人は確かにスマホやコンピューターを使って情報入手が早くなったが、我々は賢くなっているだろうか。2016年のアメリカ大統領選挙を見ても、酷いものだった。富の不公平な分配、貧富の格差、気候変動、汚染、暴力、麻薬とどれを取っても知能指数向上の効果は見えない」。
スターンバーグの言い方は少し悲観的過ぎるかも知れない。医学の進歩は幼児死亡率を激減させたし、貧困をなくすことは出来なくても、貧困の数は減っている。多くの恩恵をもたらした科学技術の向上は、人々の知能の向上によるものが多い。
フリン効果がどれほど我々に役立ったか、疑問に思うのはスターンバーグばかりではない。フリン自身も、知能指数向上は、推論する時に役立っているだけではないかと言う。運動は重要であるが、注意しないと偏った筋肉だけの訓練になってしまうように、我々も全体の思考を向上させないと意味ない。
創造性を考える時に専門家は、必ずしも芸術的センスを見る分けではない。もっと生活に根差しているもので、例えば問題が発生した時に、一般常識を超えて推測が出来るかを見る。
知能は創造力を良くするはずであるが、知能指数が増加した割には創造性が良くなったように思えない。
合理性の問題はどうであろうか。合理性とは根拠を検討し、関連のない情報を消去し、妥当な結論に達する思考プロセスを言う。人は知能が高いと、より合理的判断が出来ると考えたいが、実際はそう簡単ではない。知能指数の高さと計算力は結び付いても、計算力が必ずしも合理的判断に直結しない。
例えば、95%脂肪抜き食品と、5%脂肪含有食品では、前者がより健康食品に響く。自分に都合の良い情報を好んで聞き、自分の嫌う情報を聞かない態度を確証バイアスと言うが、これは知能指数に関係ない。特に政治を語る時に起きやすく、世の中が混乱する原因だ。
無駄と分かっていても、プロジェクトへの支出を続ける事を埋没費用バイアスと言うが、これも知能指数の外側にある。有名な例に、超音速旅客機コンコルドの開発があった。将来ビジネスとして成り立たないと分かっていながら、イギリス、フランス政府はコンコルドの開発推進を続けた。
その他、自分の考えに固執しない柔軟さ、情報の欠落を予知する能力、物事を別の見地から見る等、いずれも必ずしも高い知能指数を必要としない。アメリカでの調査によると、このような思考は高度の教育でも難しいとしている。
一方、学校や大学でも、批判的思考に取り組んでいる。例えば、学生に陰謀論を敢えて討議させ、誤った考えを指摘し、裏付けを取る訓練をする。こうすれば知能指数の増加を有効に取り込むことが出来るだろうし、今後の知能指数の多少の下落は気にする事もない。
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