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知能指数と賢さは比例するか

2015年4月14日
BBC News
In Depth
By David Robson

 神童が必ずしも成功するとは限らない

高い知能指数は天の恵みか、あるいは苦しみの原因か。
もし無知の方が幸せなら、高い知能指数は苦痛の種になるのであろうか。高い知能指数は必ずしも幸せにしていない例として、次を示す。
バージニア・ウルフ、アラン・チューリング、リサ・シンプソン等は、輝かしい才能を燃焼させたにも関わらず、社会から孤立し、自殺して行った。彼等は実存する苦難と不満、そして孤独に苛まれていたのかも知れない。文豪のアーネスト・ヘミングウェイも、”私が知る限り、知能の優れている人で幸せな人は見たことがない”と述べている。幸せでないばかりでなく、高い知能は正しい判断を保証しない。むしろ簡単な間違いをする。

現在の教育は、学業的知能指数向上を目指している故に、我々は莫大な費用と時間をかけて向上を図っている。知能指数で全てを判断するのは問題があるのを誰も知ってはいるが、今までの所、認識力を測る指数として重要視されている。それゆえに、もしこのIQが人の賢さとは何ら関係がないと知ったら、どう対処したらよいであろうか。

IQが賢さと同じであるかどうかを調べる研究が、1世紀前に既に始まっている。アメリカではまだジャズが華やかな頃で、第一次世界大戦で召集された兵士に新しく登場したIQテストが実施された。1926年には心理学者のルーイス・ターマンが、IQをもとに、ずば抜けた才能の子供をを発掘し、そのIQと知恵の関係を研究している。

彼はカリフォルニア州の全ての学校から、1,500人のIQ140以上の児童を選抜し、この人たちのその後の生活を調べた。この研究は今日に至るまで続けられている。選抜された児童の中にはIQが170を突破している人が80人もいる。
期待通り、この人たちの多くは富と有名を勝ち得た。その中の一人に、1950年代にヒットしたテレビドラマの” I Love Lucy”を書いたジェス・オッペンハイマーがいる。彼を含む高IQグループの人たちの平均サラリーは、普通ホワイトカラーの2倍であった。しかし警察官とか、船乗り、タイピストになった人もかなりいたのも驚く。

この理由から、ターマンは知能指数と物事の達成とは必ずしも一致していないと結論した。ましてや、幸せを保証するものでもなかった。彼等の離婚、アル中、自殺のどれを取っても国民の平均値と変わりなかったからでもある。高い知能は、必ずしも人生を満足をさせるものでもないし、悪くすると不満に満ちて終わってしまう可能性がある。全て高い知能を持つ人が苦しむとは言わないが、何故高い知能が長い人生で見ると必ずしも貢献しないのだろうか。

重課
可能性としては、彼らが、自ら高い知能を自覚しているのが原因になっているかも知れない。実際、1990年代に、彼らに80年の人生で、何を思い出すかを質問した所、成功物語を語るより、若いころの周りの期待に答えられなかった事を悔やんでいるようであった。

特異な例として、スーフィア・ユーゾフを挙げると、彼女は数学に天才を示し、12歳でオックスフォード大学に入学している。しかし、学年の最終試験を受ける前に学校を逃げ出し、ウェイトレスとして働き始めた。その後コールガールに変身して、セックスの最中に客に方程式を暗唱して驚かせている。

もう一つよく言われるのは、彼等が世の中の失敗に対して明晰な判断を下すため、普通の人なら気にしないで通過するのもを、彼らは苦しむと言う問題である。
この問題を解くために、カナダのマックイーアン大学のアレキサンダー・ペニーは、生徒に面接して、知能の高い人が不安を訴える回数が多いのを確認した。彼らの悩みは、ありきたりな日常の心配であり、その繰り返しであった。
この傾向は、言葉の知能に関係があるのではないかと彼は言う。ペニーは、言葉の知能が優れていると、不安を言葉に表現しやすく、反芻しやすいと推測する。

心の盲点
高い知能は必ずしも分別ある判断を意味する物ではなく、むしろつまらない判断をしてしまうことがある。
トロント大学のケイス・スタノビッチは、過去10年間、合理性を如何に判断するかの作業をしている。その作業の過程で、公平で偏見に基づかない判断は、必ずしも知能指数とは関係がないことを発見している。

自分が集めた情報を良しとする傾向は誰にでもあるが、賢いやり方は、自分の集めた情報はひとまず脇にやり、広く意見を聞くことであろう。しかし、知能の高い人たちは、自分の情報に固執しているのをスタノビッチは発見している。認識テストでずば抜けた成績を残す人たちは、自分の意見に固執するあまり、思考の盲点を持つ場合が多かった。結果的に、他人の欠点はよく指摘しても、自分の欠点に盲目になった。

彼らはまた、いわゆる”ギャンブラーの誤信”に陥りやすかった。”ギャンブラーの誤信”とは、コインを10回投げて全て表が出た場合、11回目には裏が出ると予想することだ。この誤信がルーレットで大損する原因になり、株式投資でも株相場がピークに達する前に売ってしまう原因になっている。

高知能者は、合理的判断に頼るより直観に頼る傾向がある。道理で、知能指数が高い人たちが、超常現象にのめりこんでいる理由が分かる。あるいはIQが140もある人が、普通の人より2倍の頻度でクレジットカード限度いっぱい使いきってしまう。

「我々の社会には、このように十分すぎるほどの知性がありながら、理性的判断ができない人たちが沢山いる。反予防注射キャンペーンをしている人達などは、普通より良い教育を受けて高い知能を持った人たちなのです。頭の良い人たちほど間違った方向に行く」とスタノビッチは言う。

もし知能が合理的判断を保証しないのなら、何がその代わりをするか。カナダ・ウォータールー大学のイーゴール・グロスマンは、昔からある知恵に求めるべきであるとしている。「知恵とは偏見のない公平な判断で、霊妙な価値があるのです」と彼は言う。

グロスマンは学生ボランティアを募って、ウクライナの戦争やら、新聞に寄せられた人生相談まで取り上げて、どう対処するか聞いてみた。彼等の意見を聞きながら、心理の専門家が彼らの論法の正確性と偏見を判定した。論法が完成されているのか、未完であるか。未完ならそれを認める用意があるか、あるいは論法の矛盾を指摘された場合どのような態度を取るかを調べる。

良い点数を取った人の生活は充足され、人間関係もよく、不安が少なく、嫌な事を反芻して思い出すことが少なかった。そのため、寿命さえ長かったが、残念ながら高い知能の人には点数の良い人は少なかった。
グロスマンは、これによりIQが素晴らしい知恵に結びつくものではないとしている。「頭の良い人たちは、自分の意見の正しさを論ずるには熱心であるが、賢こさを示さなかった」と言う。

学んだ知恵
将来は、会社が人を雇う時、IQの代わりにこの知恵の能力を測定するかも知れない。グーグルは既に、採用基準に知的謙虚さを知能以上に評価するプランを発表している。

幸いにも知恵は不動のものではない。「知恵は鍛えられるものだ。問題を考えるときに、自分を第三者に置き換えて考えると良いかも知れない。問題に対して一定の距離を保ち、偏見を避けて、より建設的対話が可能になる」とグロスマンは言う。

この点に関しては更に研究が必要であるが、同じような結論が引き出されるであろう。我々は自分の弱点を認めたくない。特に自分が輝かしい成功を収めていたら、なおさら事実を認めるのは難しい。
ソクラテスが言うように、最も賢い人は、”自分は何も知らない”と謙虚に認める人であろう。



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