2022年5月29日 |
ニジェル・マックリーは、精神科医マイケル・ミソファーの診察室で靴を脱ぎ長椅子に横たわる。ミソファー医師の妻であり看護婦でもあるアニーが血圧測定しようとすると、 「今まで特に問題はなかったのですが、今朝はどうも不安でどうしようもない」とマックリーは医師に訴える。 マックリーは元海兵隊員で、2004年にイラクから帰還して以来PTSDに苦しんでいる。人を警戒し不眠に悩まされアルコール依存症にも苦しんでいる。自殺念慮がチラつく中、妹がMDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン、麻薬で俗称はエクスタシー)を使ってPTSDの実験的治療をしている所があると聞いて来た。2012年、迷うことなくそれに参加することにした。 PTSDは沢山の人が苦しむ心の病で、多くが戦争体験で発症している。アメリカではアフガニスタン、イラクからの帰還兵の内13%から25%がPTSDであると言う。PTSDは1980年に一般に広まった病名であるが、未だ確実に治す方法はない。 「現状では二人に一人が良くならない。治療後も三分の二はPTSD患者である」と精神科医のステファン・ゼナキスは言う。 そんな中、MDMAがPTSDの症状を抜本的に改善すると言う報告が出てきた。昨年Nature Medicine誌に掲載された報告によると、14年以上PTSDに苦しむ90人が試験に参加し、MDMAを1か月の間隔を開けながら3回、2人のセラピストの監督の下で飲んだ。 治療後2か月でMDMAを受けたグループでは67%が最早PTSDではないと診断され、偽薬を処方されたグループではそれが32%であった。尚、MDMAは強い副作用は起こさない。 マックリーが参加したのは2004年から2017年の間に実施した試験で、the Multidisciplinary Association for Psychedelic Studiesがスポンサーになっていた。この試験では試験後、参加者107人の内56%が最早PTSDではないと診断され、その数値は1年後に67%に増えている。 マックリーは2012年にミソファー夫婦の指導の下にMDMA療法を受けた。 「最悪な状態だったのでMDMAがPTSDを解決してくれるなんて夢にも思わなかった」と彼は言う。 MDMAの試験は今年の10月には終了し、アメリカ食品薬品局は2023年の後半には許可を出すであろう。 「現行の療法に比べて、MDMAのPTSDへの効果は一段上と見る」とマウント・サイナイ大学のラッチェル・ユーダは言う。 「PTSD治療に関してはMDMAが予想以上に効果を上げた」とイェール医科大学のジョーン・クリスタルは言う。 求められる新しい治療法 マックリー40歳は現在オレゴン州ポートランドに住んでいる。彼の家族は軍関係で彼も2003年に海兵隊に入った。 「イラクに行ってイラクの人を助けたいと思ったわけです」と彼は言う。 イラクの人の自由獲得のために働いているはずであったが、実は石油輸送の護衛任務であった。沢山の市民が殺されるのを目にし、自分も爆発の障害を負った。精神的衝撃を受けたに違いないと思ったが、トローマの診断は下らなかった。何故なら、あの頃、PTSDの診断基準がはっきりしていなかったからだ。 「友達がゴミくずのように死んで行くし、障害を負った自分には何も見返りがなかった」とマックリーは言う。 派遣されてから2か月後、銃撃戦に巻き込まれた。銃弾、迫撃砲弾が飛び交う中、白いトラックが逆の方向から向かってきた。警告射撃をしたが止まらない。夢中で撃ちまくってトラックの中をのぞいたら、血だらけの父親と2人の娘が中にいた。 「父親は生きていたが娘は二人とも死んだ。この衝撃が重大なトローマになった」とマックリーは言う。 2005年に、マックリーは不眠と不安の悩みで軍医に助けを求めた。その軍医の応対に不満を募らせ「軍医を怒鳴りつけた」とマックリーは言う。直ぐ彼は人格障害の診断で任務を解かれた。診断には納得できないと抗議したが無駄だった。 自分の家に戻って最初の内は気が安らいだが、友人、家族には心が開けず何か頭がおかしいと感じた。少しでも侮辱されていると感じると怒りだし、一度そうなるともうコントロールが効かなくなった。彼の属した分隊のメンバーのほとんどが、道端爆弾で死んだ事を聞いて心が打ちのめされた。 帰還兵は自国に戻ると生活の再出発を目立たない形でする。概して問題を抱えている事を隠そうとすると、メドスターワシントン病院のカメロン・リッチーは言う。マックリーの場合は良心の呵責でも悩む。良心の呵責とは戦友、あるいは市民を救えるのに救えなかった自責の念で、恥と罪の意識で苦しむ。 マックリーは次第に自殺願望に襲われた。結局、帰還兵クリニックに助けを求め重症PTSDの診断を受けた。しかしそこでは従来型の治療をするだけで症状は改善しなかった。 「現行のPTSD治療は不十分である」と帰還兵PTSDセンターのポーラ・主ナーは言う。聞くところによると現役、退役を含めて兵士の40%が途中で治療を放棄すると言う。 「治療を拒否するのがPTSDの特徴なのです」とカリフォルニア大学のジョゼフ・ピーリーは言う。マックリーも療法の効果を疑い、ふらつきと眠気を催す薬も飲めなかった。 PTSDが危険なのは慢性化すると生命さえも危なくなることだ。統計によれば、アメリカでは毎日17人の退役軍人が自殺していると元海軍で現在精神科医のコッフマンは言う。 「あの頃、苦しみを終わらせるために死ぬことばかり考えていた」とマックリーは言う。 自分の内側を見つめる マックリーはミソファー医師のクリニックで1時間半療法の説明を受け、治療中に向き合う困難な記憶にどう対処するかを学んだ。最初の試験は8時間かかり二重盲検法試験であるから、マックリーもミソファーも飲む量が分からない。多分30mgと125mgの間であるが、実際には75mgであった。 「何が起こるかは考えないようにする。漠とした気持ちで待つ」とミソファー医師はマックリーに言う。「なぜこう考えるのかを考える」とマックリーは自分に言う。 錠剤を水とともに飲み、目隠しをして長椅子に横たわった。部屋には静かに聖歌が流れる。一時間ほどすると体が温かくなり、音楽も気持ちがよく聞こえる。しかし不安が湧きおこり、音楽を止めてくれと言いたくなったが、不快な事は払いのけるのではなく受け入れると言われたのを思い出した。 何故、親切に近づいてきた友人を寄せ付けなかったのだろうか。ミソファー夫婦にこの一件を話すと、今もし人が貴方に優しく近づいて来たらどうするか夫人は彼に質問する。 「抑制を解かなければならないだろうが、それが出来るだろうか」とマックリーは言う。 トローマは遺伝子を変え、ホルモンを変え、脳まで変えるとマウント・サイナイ病院のイェフダは言う。PTSDではストレスホルモンの分泌が激しく、扁桃体が過活性化している。「でも脳にも回復力があり、MDMAは心をリセットして脳を良い方向に向けるのです」とイェフダは言う。 MDMA療法はMDMAだけではだめで、会話を組み合わせて、始めて効果を現わす。ミソファーはこれを癌に対する免疫療法に例える。 「免疫を高めて免疫が癌細胞を攻撃するように、脳に備わった自然の回復力を高めてPTSDを克服するのです」と言う。 専門家もMDMAの役割を十分分かっているわけではない。鼠を使った実験ではMDMAは脳の柔軟性を回復させると出ている。 「MDMAは脳に臨界状態をもたらす。臨界状態では苦しみの再評価が可能で、即ち、脳が経験の書き直しをする」とジョーンホプキンス大学のギュール・デーレンは言う。 遂にマックリーには人を寄せ付けなかった理由が分かってきた。戦争体験が極度に人を恐れさせていたのだ。 もう一人の帰還兵 ジョーン・ライセンウィーバーはベトナム戦争で迫撃砲弾の爆発で障害を受けた。2歳の子供も間違って殺してしまい、帰還すると誰に対しても怒りを爆発させるようになった。 怒りの爆発を押し殺すには極度の抑制が必要で、それが彼を苦しめた。苦しみから逃れるためにはアルコールが必要だった。PTSDを弱さの象徴であると信じていた彼は、自分がPTSDだなんて考えたこともなかった。 2017年に彼は妻と共に精神科医に行き、そこでPTSDの診断が下された。治療を受けたが変化がなく、2019年にMDMA療法を試す事にした。最初は治療が症状を悪化させるのではないかと心配したが、数週間後に気持ちが和らいだ。 「外を歩いていると風を感じるようになり、人を見ても何を考えているのだろうと感じ始めた」と彼は言う。 3回目のセッションでトローマの苦しみに直接向かい合う決意をした。それは真っ暗な穴で激しい衝撃を感じた。以後眠れなくなり体が震え出したが、その穴こそが心に受けた障害であると説明された。このような苦しみを経験しながら、次第にPTSDは改善した。 「MDMAのおかげで自分が負った苦しみ、恐怖に理由があるのが分かった」と言う。 洞察と共感 マックリーはMDMA療法の最初のセッション後、彼の心を一歩下がって見る事が出来るようになった。 「今は自分を上から見ている」とミソファーに言う。以後ぐっすり眠るようになり不眠が戻ることはなかった。次のセッションでは2人の子供を殺した記憶を思い出したが、自分を優しく見つめることができた。 最近彼には子供が生まれ、海軍には交渉して、退役理由を受動的人格障害から戦争によるPTSDに変更することにも成功した。現在の状況は時々フラッシュバックに襲われるが、いつ来るか予見できるようになり回復も早いと言う。 「PTSDはMDMA療法により治るのだと人に伝えたい。MDMA療法の合法化に取り組みたい」と彼は言う。 脳科学ニュース・インデックスへ |