性格を変える薬

2020年1月8日


ある5番と呼ばれる50代の後半の患者は、たった一回の処方薬が彼の人生を変えてしまった。彼は糖尿病と診断され医師に、コレステロールの値を下げる薬であるスタチンの薬効を測定する臨床テストに参加を勧められた。しかし薬を飲み始めると直ぐ、彼の妻は彼の性格が激しく変わったのを感じた。今まではごく普通の物分かりのよい夫であったが、急に理由もなく怒りだす事が多くなり、車を運転しても怒りが激しく、家族旅行を途中で打ち切ることがあった。

彼女が自分の安全さえ心配し始めたある日、彼も気が付き始めた。「考えて見れば、この激情が走るようになったの、スタチンの臨床テストに加わってからではないか」とカリフォルニア大学でスタチンの副作用を研究しているビートライス・ゴロムに打ち明けている。

夫婦は心配になり、スタチンの臨床実験を指導する責任者に詰め寄ったが、意見を受け付けようとせず、スタチンを飲み続けるように指導した。怒り出した彼は医師の意見をきっぱり否定して、ただちに薬を全て破棄した。するとなんと2週間後には元の彼に戻った。

彼の例はまだ良い方で、多くの患者では離婚、失職ばかりか妻を殺す直前にまで行ったケースもあったとゴロムは言う。スタチンを止めると直ぐ普通に戻るが、スタチンを飲んだり止めたりを五回も繰り返す人もいた。ゴロムによると、多くは自分の性格の変化に気が付かない。まして原因がその飲む薬であるとは。世界的に有名な科学者も同じ原因で自殺している。

身の回りの薬が危険
我々はLSDのような薬が性格を変化させるのは知っているが、普通の薬が心に影響を及ぼすとは思わない。アセトアミノフェン(解熱鎮痛薬)から抗ヒスタミン薬、スタチン、喘息薬、抗鬱剤まで、我々の身の回りの薬が我々を衝動的にし、怒りを爆発させるとは驚きである。幸いな事に殆どの場合、気が付かない程度である。

2011年に、フランスの二人の子供の父親がグラクソスミスクライン社を訴えた。彼が飲むパーキンソン病薬がギャンブルに、同性愛セックスにと走らせたと考えたからである。2015年には、肥満予防薬ドロマインが痴漢行為の原因だという訴えもあった。最近では、殺人犯が抗鬱剤を原因と抗弁する事が多い。

もしこれらの主張が事実だとすると社会的に深刻な問題である。世界は過剰医療の時代で、アメリカだけでもアセトアミノフェンを一人当たり一年に298錠飲み、毎年49,000トンも消費している。世界は老齢化時代であるから薬の消費が下がる事はない。イギリスでは、65歳以上の老人の10人に一人が毎週8種類の薬を飲んでいるという。これらの薬が脳に影響を及ぼすと考えると恐ろしい。

ゴロムは既に20年も前からスタチンと人格の変化の関連性を疑っていた。コレステロールのレベルが低い人は暴力的死を迎える事が多いからだ。ある日、彼女はコレステロールの専門家と廊下で話していて、コレステロールと人格の変化を話したところ、即座にその専門家は否定した。以来、疑いはまして文献を探しまくった。「猿を低コレステロールの餌で飼うと、攻撃的になるという報告もあった」と言う。

何故コレステロールを下げると攻撃性が増すのか。動物では、コレステロール値を下げるとセロトニンのレベルも下がる。セロトニンは、脳内の神経伝達物質で、動物の感情に影響を及ぼす。ミバエでさえセロトニンのレベルを下げると喧嘩を始めるという報告もある。当然人でも暴力性、衝動性が上がるだろう。

ゴロムの実験では、女性が生理後に攻撃性を増している。2018年に行われた魚のナイルティラピアの試験では、スタチンの投与で魚は攻撃的になった。ここから分かるのは、コレステロール値低下と攻撃性の増大は、太古の昔からあったという事だ。「スウェーデンで得られたデーターでは、25万人の犯罪歴を調べたところ、コレステロール値が低い場合、暴力沙汰で逮捕される確率が高かった」と彼女は言う。

しかしゴロムが最も驚いたのは、人はこの事実に興味を示さない事であった。「副作用と言うと、筋肉とか肝臓に与える生理学的影響を気にする」と彼女は言う。

アセトアミノフェン
オハイオ大学のドミニコ・ミシュコフスキーは独自にアセトアミノフェンの心に及ぼす影響を調べている。 アセトアミノフェンの鎮痛効果は、脳の”島皮質”と言われる部位の活動を鈍らせる事で鎮痛作用が現れるが、この部位は我々の感情にも関連していて社会的痛みを感じる所でもある。アセトアミノフェンは物理的痛みを和らげるばかりでなく、社会的に拒否された時の痛みの感情さえも取り去るのが分かった。鎮痛剤は共感と言う大事な心の部分にまで影響を与えているのだ。fMRI画像を見ても、島皮質は他の人の幸せを共感する時に活発に作動している。

これ等の事実から、鎮痛剤は人を無共感にしているのではないかとミシュコフスキーは考える。今年の初めころ、彼は学生を募り二つのグループに分けて実験をした。最初のグループは1000rのアセトアミノフェンを飲んでもらい、別のグループは偽薬を飲む。全員に心がウキウキするようなお話、例えば、若い男性が遂に決心して女性にデートを申し込み彼女から承諾をもらうストーリーを聞かした。
実験から分かったのは、アセトアミノフェンは人から大きく喜びの共感を奪っていた事実だ。この実験ではマイナスの共感、即ち他人の心の痛みの共有は調べていないが、プラスの共感と同様であっただろうとミシュコフスキーは言う。

共感とは、単に感じの良い人間であるとか悲しい映画を見て涙を流すという単純な話ではなく、実際面で重要な役割をしている。恋人との安定した関係を維持し、子供であれば育てやすい子供になり、仕事でも成功に結び付く。だから不用意に共感度を下げると重大な結果を招く。

現状ではアセトアミノフェンが性格を変える問題はそれ程深刻ではない。何故なら効果は数時間であり、長く飲む人は少ないからだ。しかしミシュコフスキーは、この事実を知っている必要があると強調する。「酒を飲んだあとに運転を控えるのと同じで、アセトアミノフェンを飲んだ後は深刻な会話を避けるべきだ」と言う。我々の体の臓器はそれぞれ独立体ではなく、互いにつながり合い、薬物の影響は他の臓器に伝播するからだ。

喘息薬と注意欠陥・多動性障害
喘息薬と注意欠陥・多動性障害との関連性を専門家は長く疑っていた。喘息と注意欠陥・多動性障害は互いに関連していて、一方が亢進するともう一方も50%亢進するのが分かっていたからだ。喘息薬はセロトニンのレベルに変化を起こし、体内の炎症物質も変化させる。この両者の変化が注意欠陥・多動性障害を引き起こす理由であろう。

抗鬱剤
2009年にノースウェスタン大学の研究者が、抗鬱剤が我々の性格に影響を及ぼすか調べた。特に注目したのは神経症的性格が変化するかであった。神経症的性格では不安、嫉妬、自責の念が強く現れる。実験では鬱状態にある大人の3分の1に抗鬱剤のパロキセチンを飲んでもらい、他の3分の1の人に偽薬を、残りの3分の1には会話療法を施し、その後16週間に渡って感情や性格の変化を調べた。「結果は、偽薬と会話療法では変化は現れなかったが抗鬱剤では変化が現れた」と実験を指導したロバート・デルビーは言う。

抗鬱剤は鬱状態の改善と神経症性格の改善にに現れた。性格が内向型から外向型に変化した例もあった。しかしこの研究は比較的小規模の研究であり、再現性は確認されていない。神経症的性格の改善とは嬉しい話ではあるが、性格とは諸刃の剣でもあり、神経症的性格が危険を避けて寿命を延ばしている事実を忘れてはならない。

「抗鬱剤を飲むと人は注意するべき事を注意しなくなることがあるから危険だ」 とデルビー は言う。もしそれが本当なら、抗鬱剤の容器にはその注意が書き込むべきだ。「普通、薬には副作用が列記してあるが、抗鬱剤にも心に与える副作用を書くべきでしょう」とデルビーは言う。
しかし、副作用があるにも関わらず、現状では薬の使用停止をデルビーは考えない。抗鬱剤は自殺を救い、スタチンはコレステロールを低下させて、数万人の人たちの命を毎年救っているからだ。

パーキンソン病治療薬であるL-dopa
でも薬の接種による性格の変化があまりにも激しい時は別だ。パーキンソン病治療薬であるL-dopaを飲むと、飲んだ患者が賭け事に走り、商品を買い漁り、痴漢になることがある。2009年にはパーキンソン病に苦しむ人が600万円の商品詐欺をして逮捕されたが、彼はその原因は飲んでいるL-dopaにあると訴えた。パーキンソン病ではドーパミンを生産する脳が次第に破壊されるが、L-dopaは脳にドーパミンを補給する役割をする。ドーパミンは喜びと報酬の感情を作るホルモンでもあるから衝動性が増す事が考えられる。

利益と副作用のバランスの問題
「我々は人間であり必ずしも良くないものを飲んでいる。アルコールがその一つで、飲みすぎない範囲なら心をリラックスさせ食事を楽しませる。薬物も同じで、副作用があってもそれ以上の利益があるから飲んでいる」とミシュコフスキーは言う。

どの辺に軸足を置くかは難しい問題ではあるが、好ましくない副作用を避けるために、沢山の服用は良くない。我々には情報も知る権利がある。何故なら、まだ詳しい事実は分かってないからである。



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