僧侶の戦い


私がダライラマと去年の11月に日本を訪れた時、ダライラマは次のように述べた。「中国が世界の枠組みに入りたいのだから、我々は彼等を世界の主流に引き込む必要があります。統一された平和な中国は世界の平和であり、とりわけ中国に住む600万人のチベット人にも平和です。しかし平和は心からなされなければならない。決して銃口で達成されてはならない」と。1980年以来もっとも激しい流血の騒乱を今回チベットから聞くと、ダライラマのこの言葉を思い出す。事実ダライラマは毎朝中国の同胞に向けて祈り、チベット人に中国語を学び中国との対話をせよと呼びかけている。

チベット人亡命者グループによれば99人が殺され、中国政府は13人の関係の無い人達が暴動により殺されたと発表している。チベットの首都ラサでは仏教徒達がデモを開始した直後から中国警察が動員されたが、騒乱は他のチベットにも広がり、問題は拡散しているように見える。今や3月25日から始まるオリンピック聖火リレーを見苦しくせず成し遂げるのは中国政府に取っても容易ではない。

この危機がどのように展開するかは単に中国政府ばかりでなく、北インドのダラマサラに亡命しているダライラマの言葉と行動にもかかっている。仏教徒としてダライラマは全世界の人達に表現と思想の自由を訴え、暴力は決して物事の解決にはならないと主張する。もし流血事態が止まらないなら彼はリーダーとしての地位を退く決意だ。しかしダライラマがその地位を退いてもチベット人のリーダーとして活動は続けるし、彼が打ち立てた民主チベット亡命政府は首相を既に決めているからこれは象徴的行動に過ぎない。

私は33年間もダライラマと会話しているが、彼の言葉は理論的現実的であり、分析的探求的でもある。彼によれば仏教は科学であり、仏教徒は理性に従わなければならない。ふれあいと対話を重視し中国との対話を促し、中国政府の下でも仏教を学ぶよう中国政府もそれを可能にするよう訴えている。

彼は物事をありのままに見つめ、医師のように明確な診断を下す。この姿勢が彼を現在世界で最も有力な人権活動家にしている。仏教の教えでさえも科学により否定されたなら否定するいさぎ良さは彼を除いて世界にいない。エリザベス女王やタイのプミポン国王、フィデルカストロ等以上の68年に渡ってチベットを指導してきた。彼の事務室の机には分解組み立て可能な脳の模型があり、この模型で脳を考えている。

現在のような宗教的に分断された世界では彼の存在は重い。人々に宗教で混乱したり悩んだりする必要が無いと説き、チベットの古い体制が現在の苦境をもたらしたとも言う。彼はカソリック教徒や脳科学者、あるいはチベットを旅行する一般の人に教えを請う時もある。彼等がダライラマに救いを求める場合、むしろ自国の伝統の中に救いを求めなさいと教える。世界は今年の8月に開催される北京オリンピックに注目しているが、この機を逃さずチベット及び新疆ウイグル自治区の人達はその苦しみを訴えるであろう。

ダライラマは僅か20戸の小さな村の中の一軒の石と泥で出来た農家に生まれたが、今や世界をリードする人権スポークスマンになり、国家の分断、人種、宗教をその根源でメッセージを送っている。去年の11月に彼に会った時は半世紀前の暴動以来続くチベット人の不満とデモを視野に入れながら、テロの発生には深い原因があり、その問題が解決されるまではテロは止まないであろうと述べた。

科学者
1974年以来、私はダラムサラのダライラマを定期的に訪ねているが、その間彼は世界各国から集る心理学者、非仏教聖職者、哲学者に話しかけている。私自身はジャーナリストであり仏教徒ではないが、スリランカからベイルートまで戦争と革命を見ていると、中国人とチベット人は隣人であり、互いに敵と見てはならないと説くダライラマの思想が素晴らしい。

仏教徒の集りの中で、キリスト教とイスラム教ほど違う哲学の中で彼の教義を語ろうとする時、あたかも医者のように誰でも関わりのある日常の細事を取上げて説明する。精神的苦しみには物は役に立たないし、精神の豊な者は物質的欠乏を克服するから、我々はもっと内なる資源である心を大切にすべきであり、恵まれた世界に住む人達も心に注目すべきと説く。

ダラマサラの埃っぽい混み合った町を歩くと、ダライラマを信仰する人達も彼の教えに必ずしも賛成しているわけではないのが分かる。亡命チベット政府も”拷問を受けた人へのプログラム”や”チベットの声”組織し彼等の声を吸収しようとする。1990年に私はチベットを訪問した時は、首都ラサに戒厳令が敷かれていた。ヨクハン寺の周りの低い建物の屋上には兵士が配置され、町の境界線の直ぐ外側には戦車が陣取っていた。

今やダライラマ等が提案する大きなアイデンティティーは特別の今日性を有する。我々は新しい現実の中に生きていて、そこでは我々とか彼等のコンセプトは無い。もしテロリストが攻撃して世界の人が宗教に対して懐疑的になるなら、宗教が伝統的に与える慰めと道徳指導にダメージを与える。

亡命と機会
ポーストアイデンティティー思考運動はダライラマ信奉者やバツラフ・ハベル、デズモンド・ツツにより推進され世界に明るい希望を与えている。ダライラマがその中でも光っているのは、この原則を彼の亡命生活の中に実践してきたからであろう。多分この点が評価されて1989年にノーベル平和賞が授与された。

ダライラマは僅か4歳の時にラサで即位し、第2次世界大戦が始まった7歳の時には、フランクリン・ルーズベルト大統領からチベット越えの軍事物資供給の申し出を受けている。11歳の時には既にラサで騒乱が勃発し、高校生生活を楽しむべき年頃に政治リーダーとして毛沢東と渡り合った。中国のラサへの圧力が頂点に達した23歳の時にチベットを脱出してインドに亡命した。

以上から、彼は決して山の頂上から抽象的、希望的説教するのではない、厳格な現実主義者であるのが分かる。以前笑いながら、自分はBBCニュースの中毒になっていると言ったが、それほど彼は毎日世界のニュースを詳細に追っている。彼の好きな言葉に”夢に描くな”があるが、外の世界に助けを求めたり霊感を求めたりしないで今すぐ行動をせよの意味だ。

仏教の教義はこの世の生き物は総て相互依存であり、帝釈の網(Indra's Net)と呼ばれるネットワークの中に生きていると教える。この教義によれば中国人をチベットの敵と呼び、チベット人を友と呼ぶのは自分の左目を敵と呼び右目を友と呼ぶにふさわしい。「以前は敵を倒すことが自分の勝利であったが、現在のような一体化された世界では、自分の敵の破壊は自分自身の破壊である」と去年の11月に言っている。

もう一つの仏教の重要な教え(仏教と言うより心の科学と呼ぶのがふさわしい)に我々がどう見るかにより我々の世界が変わるという考えがある。「善とか悪とかはあるわけではなく、我々の考えが善と悪を作り上げているだけだ」とハムレットが言った。

1959年にチベットを脱出した直後から彼はチベット人のための民主憲法作成に取りかかった。この民主憲法ではダライラマさえ弾劾可能であり、変化を促し時代遅れなもの、過度に儀式的なものを廃し、女性に博士や大修道院長への道を可能にした。科学を修道院のカリキュラムに取り入れ、亡命チベット人の子供には10歳になるまではチベット語の授業をさずけ、それ以後は英語を学習させる。チベットのアイデンティティーを保ちながら世界との交流も確かなものにしているのだ。

このダライラマの民主化が世界に散らばる難民の中でもチベット難民を成功例にならしめ、3300万人いるとされる世界の難民に、地図からは抹消されても魂と想像力さえあればアイデンティティーを維持できるの重要なメッセージを与えている。

中国への挑戦
ダライラマの亡命地ではこれだけの画期的前進が見られたのに本国チベットでは過去50年間に進歩は殆ど見られない。「私の全面的妥協にも関わらず、中国の姿勢はかたくなである」とダライラマは12年前に私に言っている。最近のチベットでの騒乱は、チベット人がその基本的自由さえ奪われ、ダライラマの肖像を掲げる事を許されない現実を示している。今回もダライラマの呼びかけに対する北京の回答は「ダライラマは分裂主義者でありチベット人民の敵である」の決まり文句であった。

もちろん彼の考えにも批判はある。保守的なチベット僧の中にはダライラマの急進的改革が伝統的チベット文化を失わせていると言う意見もあるし、西側で活躍している1960年代の革命を経験した仏教徒には、彼の離婚、性の免許についての反対意見に異議を唱える向きもある。

彼はかねて中国には防衛と外交を任せ、それ以外の自治は任せるように要求している。しかし亡命チベット人の間では非暴力を何時まで訴え続けることが出来るか疑問が高まっている。「彼は現在と過去を考えないで将来だけ考えているように見える。我々は今自由が欲しいのであって将来ではない」とCIAに訓練を受け中国に戦ったことがあるゲリラ戦士は率直に言った。

2006年にラサは高速鉄道で北京と結ばれ、毎日6000人以上の漢人がチベットの首都に押し寄せている。過ってはラサは神の住居と言われ、伝統的な小さな町であったが、今や人口30万人の東のラスベガスとまで呼ばれるようになった。市の中央部だけでも238軒のダンスホールとカラオケバーがあり、658軒の売春宿がある。何世紀もの間、ポタラ宮殿はチベット文化の象徴であり、その僧侶によりラサは統治されてきたが、今は遊園地に囲まれている状況になっている。

ダライラマは「この北京ラサ新鉄道は進歩の一形態であり、チベット人もこの物質的進歩に浴している。しかし大事なのは中国政府が真にチベット人を思って建設したかどうかだ」と4ヶ月前に述べている。

チベットに関しては2つの自由の概念が衝突している。仏教徒に取って自由とは無知とそれがもたらす苦しみからの開放であり、中国人には自由とは過去と後進性、そして宗教からの自由であった。ダライラマによれば、最近の第6回目の中国政府との会談で中国政府は「チベットでは総てが上手く行っていて問題は存在しない」と述べたと言う。「それほど何も問題が無いのなら何故我々に現地を見させないのか」と亡命チベット人は不満だ。

長い道
チベット問題での喫緊の課題はダライラマが死んだらどうするかだ。ダライラマは長年、ダライラマの職務とはその前のダライラマの職務を受け継ぐだけだと述べている。ならば中国政府に擁立された15世傀儡ダライラマは真のダライラマになり得ない。彼は1996年頃に「ある時点でダライラマ制度は消滅するかも知れないが、チベット仏教とその文化が消滅することはない。何故ならチベット人は伝統的に心のリーダーを常に求めるからだ」と述べている。

より大事なのは本質的なものが継続されているかどうかである。ダライラマの職務とは仏陀の職務であり、それは先見の明と思いやりを人に示すことであるが、同時に我々誰でもがその職務を遂行出来ると示すことにある。ダライラマや仏教の存亡が重要ではないにも関わらず、過去半世紀に渡るチベットからのチベット人の脱出により、チベット文化と仏教は世界に拡散し、1968年の段階では西側には僅か2ヶ所のチベット仏教センターしかなかったが、現在ニューヨークだけでも40ヶ所あり台湾にも200以上ある。フランスではフランス人自身が仏教徒という時代になった。

多分最もチベットの文化と仏教に惹かれる人達は中国の市民ではないか。彼等は50年以上も宗教を奪われている。2002年にラサを訪れた時に私は多くの中国人が町の中心部にあるヨクハン寺院に巡礼しているのを見ている。彼等はラマ僧に教えを乞い、チベット語さえも習おうとしている。去年の11月に、ダライラマの日本縦断の旅に随行した時には中国人の一行が涙を浮かべて彼の祝福の言葉を求めていたし、その後には別の中国人グループが彼を取り囲み、中国本土の民主化計画を話しかけようとしていた。

「30年後にはチベットは600万人のチベット人と1000万人の中国人仏教徒の国になる」と5年前に彼は言った。世界は北京で8月に行われるオリンピックに注目し、中国政府はその経済の発展を世界に示すであろう。一方チベット人等はこの機会を捉えて彼等の失われた自由と人権を訴えようとする。しかし僧衣をまとった冷徹な科学者であるダライラマは、真に我々の幸せを保証し永続する革命は我々の心の中にあると主張する。



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