心のミステリー 2004年10月3日(日) |
|
何の変哲も無いベテスタホリデーインと言うホテルの舞踏会場で公聴会が開かれていた。この公聴会では家族からのSSRIによる副作用の発表があった。家族とはその子供が抗鬱剤を服用後、首吊りやナイフで自殺した家族である。アメリカ食品薬品安全局がこの公聴会を聞いて抗鬱剤に副作用として自殺を引き起こす可能性がある由の警告ラベルを貼るように決定したのであるが、ここ迄くるには余りにも時間がかかった。13年も前から一部の家族が危険な副作用を指摘していたにも関わらず決定までのびのびになっていた。 何故そんなに時間がかかったのか。1990年には既に一部の研究者がSSRIは若者が飲むと自殺を引き起こす恐れがあると報告をしている。それはプロザックが始めて市場に出てから僅か3年後であった。専門家の間ではこの薬が時に若者には危険があることや、多くの人にはそれほど効果がない事は分かっていた。しかし副作用は大きな問題になる事が無かった。 専門家が警告していたにもかかわらず、誰も真剣に聞かなかったのだ。「副作用を敢えて無視する風潮があったと言う事でしょう」とバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学子供病院精神科医であるジェーン・ガーランド氏は言う。「我々の手にする臨床のガイドラインではSSRIは安全で効果があると言っている。公表されている情報は皆、SSRIは効果があり副作用は無視できる言っていて、それを疑う意見は殆ど無かった」 集団的間違いの問題はジークムント・フロイト時代から精神医学に存在していた。心を理解するとは大変難しい。一般の診療のように血液検査をして患者が鬱状態か不安状態か強迫行為の状態かを診断するわけではない。むしろ患者が述べる主観的訴えや医師の観察で症状で診断する。その結果、重大な精神障害と考えられていたものが、突如不自然な振る舞い程度に変化していたりする。例えばホモセクシュアルは昔精神の病気と考えられていたが、今は単なるライフスタイルの問題とする風潮がある。逆に極度の恥ずかしがりやは今は神経症と言う精神障害に格上げされている。 心の病気の診断は部分的には治す手段に影響されていた。製薬会社は時々の流行の心の病に対して薬を発売してきたわけであるが、精神科医は製薬会社の甘言に影響されやすい。1960年代には多くの心の病が不安症と判断されて、入院するまでに至らない患者はバリウムと呼ばれるトランキライザーが処方された。1980年代では患者は鬱状態と診断されてトランキライザーからエラビルとかナルディルと呼ばれる抗鬱剤に取って代わられた。 しかしこの初期の抗鬱剤には問題があり、ナルディルが属するモノアミン酸化酵素拮抗剤と呼ばれる薬グループは急激な血圧の上昇が起こす危険性があり、エラビルと呼ばれる三環系抗鬱剤は飲みすぎると死に至る場合があるために自殺に用いられたりした。そしてその後、イリライリ社のプロザックの登場であるが、過剰服用の危険性がないから自殺には安全と言うのが宣伝文句であった。プロザックの後にはゾロフト、パクシル、セルゾン、ラボックス、エフェクサーと次々に抗鬱剤が開発された。しかしこの新薬が属するSSRIと呼ばれる薬は従来からある抗鬱剤と効果は変わらないのであるが、その事実は無視されたし、精神科医の多くももろ手を上げてSSRIを歓迎した。その一方で副作用が嫌で服用を諦めた患者も多くいた。 「新しい抗鬱剤に対する期待は異常であった。恐らく開発に国家の税金を沢山投入した関係上その成果を大きく取り上げたかったのであろう」とでデューク大学の精神科名誉教授であるバーナード・キャロル氏が言う。 もう一つこの抗鬱剤が大変受けた理由としては神経伝達物質とか脳内化学物質とかの言葉が新しい精神医学の登場を感じさせたからである。この理論では鬱状態と自殺は神経伝達物質であるセロトニンのレベルが低い事と関係があるとしている。SSRIはセロトニンの再吸収を阻害してセロトニンの量を増やすので鬱状態を解消するわけである。 鬱病がアルツハイマー病の様に生物学的理由で発病しているとの考えは患者には受け入れやすい。とかく心の病には暗いイメージが付きまとうからである。最早、心の病は個人の欠陥、モラルの低下ではなく、脳の生物学的故障であると認識されるようになった。セロトニン理論は医学の分野にも大いにアピールしたがこちらは違う理由からである。今までは心は未知の分野であり、ミステリーに満ちていたが、それを説明出来るようになった。今やフロイトの抑圧とかセックスの理論は非科学的と退けられ、医師は患者に貴方は脳内の化学物質のバランスが悪くなって病気になっていると説明し、抗鬱剤が有力であると患者に言う。問題は心の病気がそんなに簡単に説明出きるのかだ。事実は低レベルのセロトニンと鬱状態との関係を説明する研究は大変少ない。自殺した人の脳内のセロトニンが健康な人のそれよりずっと低いレベルであると証明する研究は更に少ない。実際SSRIが本当に脳内でどのような役割をするかを詳細に知る人は誰もいないのだ。 社会でセロトニン理論が余りに受け入れられた為か、精神医学者はSSRIにも副作用があるのを忘れてしまった。 JA'>専門家の多くは患者の自殺の原因は鬱状態であり薬では無いと主張して来たが、実際は薬が自殺に追い込んだのである。ある研究では、全く健康な人に抗鬱剤を飲ます実験をして、被験者の中に自殺発作を起こす人がいたと報告している。 今までに若い患者がSSRIを飲んだ後に重症の神経症あるいは躁病の状態になったとの報告があったが、多くの専門家はそれをSSRIの副作用とせず、診断の再に見落とされた躁鬱病が現れたのだと解釈した。彼らの理屈ではSSRIが隠れている躁鬱病を表に出したのだと言う。 しかしSSRIを飲まなかった患者がその後、躁鬱病が出てきたなんて報告は今までに無い。むしろSSRIが躁鬱病を引き起こす原因になっていると考えた方が理屈にあう。例えばLSDは脳内の配線に変化を与えフラッシュバックを起こし、街中で取引される麻薬であるMPTPはパーキンソン病に似た症状を引き起こすのが知られている。 私は心の病を軽んじたり、SSRIはマーケットから退出すべきであるとは言わない。事実SSRIはある種の患者には大変有効であり鬱状態、不安、強迫行為の苦しみを和らげている。SSRIは疑いなく患者の自殺を救っている。薬を強く批判する医者でも警告付きで処方しているのが現実である。「SSRIはある種の心の病気には有効である。ただ十分注意が必要だ」とイギリスの精神科医であるデイビッド・ヒーリーは言う。 十分注意をしつつSSRIを使うべきであったのであるが、実際は10年以上にも渡ってメーカーは都合の悪いデータを隠匿し、生物学的に怪しい理論を主張し、一方精神科医は副作用情報を無視した。もうこの辺で患者も親も、医師、製薬会社も立ち止まって考えるべきでないか。 抗鬱剤が登場する以前は、鬱病の発生率は100万人に50人から100人程度と推定していた。今日ではアメリカ人口の10%が罹患していると言われている。これは30年前に比べて、なんと1000倍の増加であり、そんなに多くの人が鬱病になっているとは考え難い。一般に、精神医学は変わりやすく、その診断は主観的である。だから精神医学そのものが病気を作り出しやすいし、製薬会社の新しい薬を直ぐに受け入れやすい素地がある。 一方、製薬会社は薬を売り込むために多くの人が心の病気になっていると煽る体質がある。その風潮が病気を作り出し、医者も気安くSSRIを処方するものだから、子供が飲むSSRIの量が1990年代の半ばに27%も上昇している。現在は注意不全症とか偏頭痛、分裂病という診断のもとに、19歳以下の子供の100万人から300万人がSSRIを飲んでいる。SSRIが余り頻繁に使われるものだから、若者が気安く薬物の話しをするようになっている。 医師達も最近まで、SSRIを処方された若者の2〜3%に自殺リスクが高まる事実に気がつかず処方を続けてきた。最も彼らにも言い分があって、医学の諸問題を解決すべく研究をして来て、この問題に手が回らなかったと言うであろう。しかしキャロール氏に言わせれば、多くの研究者はメーカーが提供する研究資金や便宜と引き換えに即ち製薬会社に協力して薬を政府の認可無しに市場に出そうとしていたのである。 だから、今もって医師はどの患者にSSRIが効果があって、どの患者には危険があるか説明出来ない。当然、SSRIが何故自殺や躁鬱病を引き起こすのかも分かっていない。ヒーリー氏が書いた本である”プロザックを食べよう”では「一体、健康を追求すべき研究者は我々に何をしたのか」と言っている。抗鬱剤開発の分野では多額の資金と人材が投入されたが、未だ脳は殆ど解明されていない。SSRIは今までで最も売り込みの激しかった薬ではあるが、決して十分に調査された薬ではなかったのである。 シャノン・ブラウンリーはバーナード・シュウォルツ研究所の主任研究員である。彼女はアメリカの薬剤の氾濫をテーマに本を書いている。 脳科学ニュース・インデックスへ |