2007年8月31日 |
最初は極めて当たり前の心臓動脈の閉塞を取り除く手術で部分麻酔で済む処置であったが、手術が終わって感覚が元に戻る頃に事態は一変した。フローレンス・コーエンさんは心停止に襲われたのだ。ベルとサイレンが鳴り渡った事、エレベーターの中にいる事、誰かが彼女の胸に心臓マッサージをしている事等を覚えていたが、次に起こる不思議な体験に比べれば序の口であったと彼女は言う。
「私は手術室にいて手術スタッフに囲まれていたが、私自身は自分の体から抜け出て天井に行きそこから下の情景を見ていた。ベッドに横たわる私の体は緑色のガウンをまとっていた。『私を切らないで、私は目を覚ましている』と叫んだが、その時、円錐形をした何かの中に輝く光を見た。突然ドカーンと言う音と共に円錐形の先端に私は吸い込まれて行き、記憶はそこで停止した。これは20年前の話なのですが、何か信じられないような話なので人には話したくなかったのですが、未だありありと思い出せます。あの時見た光は今まで見た事が無いような輝く光でした」と彼女は言う。 フローレンスが語っているのは、いわゆる臨死体験であるが典型的臨死体験では無かった。典型的体験では、それ以外にトンネルだとか既に死んでいる親族の顔だとか聖人などが登場する。彼等は聖霊に導かれて過去を振り返るが、過去を思い出す度に強い感情が高まり、その感情は圧倒的幸福感を凌駕する。その後、誰かにもう十分だろうと言われて魂は再び頭のてっぺんから体に戻る。この有様はあざやかな体験として記憶に残り多くの場合、その後死に対する恐怖が軽減するか全くなくなると言う。 臨死体験とは最早それが存在するかどうかの段階でなく、何故起きるかの時代になった。これまでの報告から心停止からよみがえった人の内、4〜18%の人が臨死体験をするとされている。臨死体験に対する考え方には2つあり、1つは、臨死体験は酸素が欠乏した脳に起きる生理学的反応であるとする考えで、ミネソタ不眠症センターのマーク・マホワルド氏は次のように言う。「多くの人は宗教的、超自然現象と説明したがるが、臨死体験は何等神秘的ではなく科学が説明すべき現象です」。 2つ目の考えは臨死体験は脳科学では説明出来ないとし、意識は脳とは無関係に存在すると主張する。「臨死体験は部分的には神経科学や心理で説明出来るが、説明のつかない未知のメカニズムがあると考えるべきだ」とオークランドの精神科医であるカール・ジャンセン氏は言う。 バージニア大学の精神科医であるブルース・グレイソン氏は、臨死体験をした人の報告、例えば蘇生措置の仕方とか看護婦が履いていた靴の色等が正しいかどうかの興味深い報告をしている。また、ケンタッキー大学の神経生理学のケビン・ネルソン氏は、臨死体験とは瀕死の脳に起きる特殊な睡眠状態ではないかと言う。「これが最終回答とは言わないが、興味深い仮説ではないか。何故なら多くの疑問をこの仮説で説明出きるからだ」とネルソン氏は言う。 心と体は別だとする考えには嘲笑が聞こえてきそうだが、だからこそ真剣に検討しないとならないと反発する人達もいる。臨死体験には本来起きてはならない現象が起きているので、これを説明する新しい理論を考え出す時期に来ているのかも知れない。 去年フランスのマルティーグ市で開催された世界最初の国際臨死体験医学学会では、8人の自称熱心な医師、研究者グループが声明を発表した。その中で「臨死体験は脳の化学変化で起きている可能性もあるが、単なる幻覚とするにはあまりにも豊で複雑であるから、先入観を除外して研究をすべきである」としている。 心臓が止まると脳に供給される血液は停止し、脳の機能は急激に下がる。心臓と脳をモニターしている機械は、心臓が停止した後11〜20秒以内に脳波の停止を示す。脳波計は脳の障害を示すものではなく、単に脳が停止しただけだ。臨死体験を長く研究しているオランダの引退した心臓の専門家であるピム・ヴァン・ロメル氏は、コンピューターの電源コードを引き抜いた状態に例えている。脳の回路は切断され幻覚は起きようも無く、ゼロの状態と言う。 しかしこの脳の電源オフと蘇生の中間に多くの臨死体験が起きる。「臨死体験を経験した人達は、脳死を目前にして鋭敏な知覚、思考、記憶を戻すようだ。この現象は一般的科学では説明がつかない」とバージニア大学のグレイソン氏は言う。 沢山の臨死体験報告があるが、その中でも1991年に動脈瘤で脳の手術をしたパム・レイノルズさんのケースは常識を超えている。手術前に彼女の目と耳をテープで塞ぎ、臨死状態で脳波計が脳の最低レベルを記録していたが、それでも手術から回復すると彼女は臨死体験をまざまざと語り、頭蓋骨を切るのこぎりの音までも聞こえたと述べている。 オランダの心臓の専門家であるヴァン・ロメル氏は、臨死体験は科学で説明がつくと長年考えていた。しかし1970年代の中頃、アメリカのレイモンド・ムーディーによる「死後の世界」と題する臨死体験本に刺激されて、1988年からオランダの10の病院で心停止から蘇生した344人の人達の調査を開始した。ヴァン・ロメル氏は英国の医学雑誌であるランセット誌に2001年その結果を発表し、調査にあたった18%の人に臨死時の記憶があり、7%に強い臨死体験があったと述べた。 この研究では臨死体験する人としない人の違いを説明出来なかったし、心理的背景、医療措置、宗教等も指摘出来なかった。もし酸素の欠乏が臨死体験を起すのなら心停止から蘇った人の全てがそれを経験するはずだから、生理学的起きていると言えない。 数年前にヴァン・ロメルは現役を引退して臨死体験専門に研究を始めた。「私は世界中の人に講義をしているし、批判的な質問にも答えている。臨死体験を説明するには、意識と記憶は脳に存在すると言う、従来の科学の概念に疑問を呈する必要がある。臨死体験が意味するものは、意識とは時間と空間を越えた異次元で経験されると考える。脳とは意識を作りだすものではなくて、脳により意識が知覚されると考える。脳をテレビジョンに例えれば分りやすい。テレビは電磁波で運ばれた情報を受信してそれをディスプレーに再現する。目覚めている時の意識とは脳が意識の一部を読んでいるに過ぎない。意識が強化された時、我々は臨死体験をするのだろう」と彼は言う。 脳が異次元の状態になり得るの考えに精神科医のジャンセンも同意している。彼は、臨死体験あるいはそれに似たものが麻酔薬であるケタミンによって引き起こされると本に書いている。臨死体験がケタミンで引き起こされるなら、それは幻覚に近いのではと彼は考えた。しかし今はそう思っていない。「我々が見ている世界は全て自分が感じる世界です。他人が見ている世界と自分が見ている世界が同じであるとは誰も証明できない。心をオープンにしてあらゆる可能性を受け入れよう」と言う。このジャンセンの考えを受け入れる専門家もいるが、従来の経験と実験を飛び越えるような説明を拒否する人達も多い。 心停止やケタミンの注入以外にも臨死体験に似た状態は引き起こされる。例えば気を失った時、重篤な病気、崖から転落のような危機一髪の時に起きている。だから、臨死体験とは死や恐ろしい瞬間を否定するような脳の間違った反応ではないかとも考えられる。 更に重要なことは臨死体験は文化によって変化する事である。間もなく出版されるオーストラリア研究チームの調査によると、中国の臨死体験では、単に体から抜ける体験だけで何等楽しい記憶が無く、日本ではトンネルの代わりに洞窟を見ると言う。メルボルン大学の精神科医であるマヘンドラ・ペレラ氏は臨死体験は幻覚ではないという。何故なら人の最後の経験が文化と言葉と経験に裏打ちされているからだ。 現在の科学は次のように説明するかも知れない。生存は我々の最も強大な本能であるから、心臓が停止し、酸素の補給が停止すると脳はあらゆる手段で機能を守ろうとする。神経伝達物質はやたら発射されて、側頭部に記憶されているイメージや感情がほとばしり出る。過去の記憶が蘇る現象は多分脳が危機に瀕して、記憶のファイルを必死にめくっているのであろう。輝く光を見る現象やトンネルは、それぞれ後頭部と側頭部の機能異常から起きているだろう。多幸感は危機に瀕した時の坑パニックメカニズムで、神経伝達物質により引き起こされていると。 臨死体験で最も不可解な部分である体から魂が抜け出る経験については、スイスの神経学者であるオラフ・ブランケが注目ある発表を2002年にしている。癲癇の患者にその側頭頭頂結節点を電気刺激した所、体から抜け出る体験をしたと発表した。「脳の血液が流れを停止すると、先ず側頭頭頂結節点に変化が起こる。この部分は脳の分水嶺と考えられ、ここに異常が起きると体外離脱感覚と言う幻覚が発生する」とブランケ氏は言う。 臨死体験で本当に魂が天井に上るのかどうかを解明する為に、バージニア大学のグレイソン氏は2004年に次の実験を始めた。突然死の可能性のある患者に除細動器を埋め込み、心停止を試みた。天井にはノート型パソコンを配置し、そのディスプレーに画像を映しそこまで抜け出た魂だけが見えるようにする。大変独創的ではあったが52人の心停止患者の内、魂が抜け出た経験をした人は誰もいなかった。「この結果に我々も驚いているが、我々には未だ臨死体験が何もわかっていないのだ。更に研究したいと思う」と氏は言う。 臨死体験の科学で欠落しているのは、臨死体験が何故これほど明瞭に経験されるのかだ。2007年の3月2日に”神経学”誌に発表された2つの研究では、ネルソン氏が率いるケンタッキー大学研究チームが、睡眠状態と臨死体験の近似性を指摘している。ネルソンは脳が危機状態になった時ある種の睡眠障害が起きるのではと考える。ネルソン氏のこの仮説は急激に支持者を集めている。「私はネルソン氏のREM睡眠侵入説が正しいと思う」とミネソタの睡眠専門家であるマホワルド氏も言う。 REM睡眠とは目を激しく動かす睡眠状態で、この時に多くの人は夢を見る。REM睡眠侵入とは一種の障害で、この状態では心は覚醒しても体は睡眠状態で麻痺の状態にある。「素人は寝るか起きるかの2つだけを考えるが、その中間もあると言う事だ」とネルソン氏は言う。 ネルソン氏は数年前に臨死体験した人からの報告を読んでいて、ある点に注目した。この女性の臨死体験では彼女が手術台に横たわっていて、手術スタッフが彼女の死を宣告するが、彼女は必死に生きていると抗議しようとしたが体が麻痺して言えなかったと言う。この報告を読んだ瞬間に、ネルソン氏は臨死体験とREM睡眠侵入の関連性に閃いた。 ネルソン氏は55人の臨死体験をした人とそうでない人を選んで、REM睡眠侵入を経験した事があるか無いかを調べた。結果は臨死体験をしたグループでは60%の人がREM睡眠侵入を経験した事があるのに対して、そうでないグループではわずか24%であった。 ネルソン氏は次のように推測する。REM睡眠侵入と臨死体験では脳の覚醒を起すシステムに不具合が生じていて、意識が覚醒と睡眠の中間状態になっている。臨死体験は夢を見ている状態ではなく、REM睡眠メカニズムを経験している状態で、その最中は感情、記憶、イメージが鮮明になっていると。 脳幹は体の最も基本的営みをコントロールする部分で、そこには睡眠と覚醒のスイッチがある。心臓が停止した時に上部にある脳は活動を停止しても脳幹は比較的長く活動している。「脳死は一気に起きるのではなく順繰りに起きるのであろう」とマホワルド氏は言う。臨死体験はこの時に起きる。「臨死体験とは意識は無いが、一部の脳が常軌を逸した活動をしている状態であろう」とネルソンは言う。 ネルソン理論はスピリチュアル派の2人のアメリカの研究者からは酷評されていて、最近発表された”臨死体験研究誌”の中でジェフェリー・ロングとジャニス・マイナー・ホールデンが「ネルソンが調べた臨死体験では40%がREM睡眠侵入を経験していないのだから、REM睡眠侵入が臨死体験を起しているの説明は疑問ばかりだ」と述べている。 「脳が危機に瀕した時、脳は我々の理解を越えた反応をする」とネルソン氏も言う。しかし彼は更に進めて、一定の条件で臨死体験様の症状を起こす人のREM睡眠状態を今後調べるつもりでいる。 神経学者のブランケは、より沢山の臨死体験をした人の脳のスキャンを取ろうとしている。自然な臨死体験をした人とケタミンを使って臨死体験をした人の比較検討結果も間もなく発表される。「我々は嬉々として研究を進めているが、大いに進歩したのか、そうでないのか誰も分からない」とジャンセンは語る。 結局の所、臨死体験は我々の脳に起きていて、蘇生しなければこの脳の最後のショーは消滅する。脳の中に幽霊がいるわけではないであろうが、脳は我々の理解をはるかに越えて活動している。 脳科学ニュース・インデックスへ |