神経細胞対自由意志

インテリジェントライフ誌
2012年3月4月号から

By Anthony Gottlieb


1769年10月10日の午後、哲学問題をあつかう法廷で、「我々には自由な意志がある。これにはまったく疑いがない」と言うボスウェルをジョンソン博士は黙らせた。それから2世紀半経つが、自由な意志があるかないかについてはますます議論が高まり、今や新しい展開を迎えている。

何時の世にも人間に自由があるかどうかを疑う人がいる。古代ギリシャでは、アナンケという女神(宿命と強制力の神)とその子であるフェート(人間の生命を支配したといわれる)が恐れられていた。
紀元前5世紀の哲学者であるルイキッポスは、原子の動きはアナンケにコントロールされているから、すべての事象は運命付けられていると説いた。
中世の神学者は人間の自由と神の予見力とを折り合わせる努力をした。17世紀に入ると科学が進歩し始め、哲学者は宇宙を説明する永遠不変の法則の発見に取り組んだが、その当時決定論が現れて、やはりギリシャ人と同じように宿命に対する恐れを示していた。

20世紀に入り心理学が登場して、これも我々の自由意志の存在を疑った。フロイトによれば、我々は自由に行動をしているようで、実は無意識に影響されていると言う。現在は脳スキャンの時代であるが、荒涼とした映像があふれ、調べれば調べるほど我々の自律的自己の存在があやしくなってきた。
一体、我々の行動のどの過程で自由意志なるものが関与しているのであろうか。

ハーバード大学心理学のダニエル・ウィグナーによると、自由意志なるものは幻であるという。

2011年にアメリカのサム・ハリスは「自由意志は自然界ではうまく説明できない。我々の行動は生物学的現象であり意思とは関係がない」言った。本当だろうか。脳の灰白質が我々の思考、感情の源であるのを疑う人はいないだろう。この考えは別に新しくなく、ヒポクラテスが紀元前5世紀にすでに同じことを言っている。それでも、脳細胞の信号の発射を見て、心の一端だと考えるやり方に異論を唱える人が出てきた。なぜなら、人間特有の行動は我々の脳の外で起きているからだ。

カリフォルニア大学のマイケル・ガザニガとイギリスの神経科学者であるレイモンド・タリスは“Aping Mankind”と言う本の中で、脳に人間の活動を発見しようとするのは、森のざわめきを聞こうとして、その木の種の音を聞くようなものだと述べている。

この種の現代の脳科学に対する疑いは、最近頻繁に現れる脳スキャンイメージの解釈から来ている。今や、fMRIやPETスキャンのようなハイテク診断技術が、我々の心を解き明かすかのような印象を与えている。心が脳の中に存在しているのは間違いなさそうだが、脳の中をのぞき込むだけでは不十分であろう。

昔から言われているジョークの一つに、「酔っ払いと落し物探し」がある。
ある酔っ払いが車のキーを落としてしまったが、それを探すのに彼は通りまで行って、街路灯の光があたる場所を探した。もちろんキーはそこには発見出来なかった。

今日の脳スキャン技術は、残念ながら、まだぼんやりとした街路灯が地面を照らす程度でしかないのだ。この技術は神経細胞の活動を直接見るのではなくて、fMRIなら血液中の酸素濃度の変化を、PETなら間接的に血液流量を測定している。神経細胞群の大きな信号爆発を検知しているのであって、数百万個以下の神経細胞群の発する信号を捕らえているのではない。

脳スキャン技術の信頼性を調べたカリフォルニア大学の2人の心理学者は、2010年にこれらの技術はまだ不安定で診断技術としては不十分である結論した。思考、感情、人格の研究には無理ということである。

やはり研究に疑いをもったマサチューセッツ工科大学とカリフォルニア大学の研究チームは、55本の脳スキャンを使った研究発表の著者に、どのようにデータを分析したかを質問した。2009年のその報告によると、ほぼ半分にあたる研究で、研究者等が間違ったやり方で、彼等の望んでいる方向に実験結果を誘導しているのが分かった。

この事実は次の実験で見事に裏付けられている。
1980年代にカリフォルニア大学の神経生理学のベンジャミン・リベットは次の実験を行った。被験者に手首を曲げたい時に手首を曲げるように指図し、実際曲げた時間と、脳から電気信号が発射された時間の差を調べた。

その結果、驚くことに手首の曲げは意思決定の後でなく前であったのだ。すると、我々が何かをするときには意志に基づいていないことになる。同じような結果がその後のテストでも確認されている。

だが、手首を曲げる動作は意志を確認する場所としては少し不自然であり、先ほどのキーをなくした運転手のジョークを思い出す。
タリスも指摘しているように、この実験に参加した人達は、手首の動作以外にも数々の活動をこなしている。研究室に時間通りに来なくてはならないから、目覚まし時計をセットするだろうし、他の約束をキャンセルしたかも知れない。あるいはバスに乗る、研究室の部屋を間違えないようにゆっくり歩く、実験の内容を真剣に聞く等、 ありふれた行動を数々しているのであり、これこそが自由な意思に基づく行動であろう。

これらの行動の中に意識が存在しないと考えるのも無理だろうし、いくら詳細に調べても、必ずしもジョンソン博士が好むような自由意志をも発見できない。

このように、我々の行動は自由意志に基づいているようで基づいていない。今時、脳スキャンを使った研究発表を疑って見るのも良いことだ。



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