書評”大体良い”:抗鬱剤の場合

2016年6月20日
ピーター・クレイマー氏は、彼の最近の抗鬱剤を祝う発言で、精神科医としての経歴を振り返り、恵まれた仕事仲間、良き患者、良き恩師に恵まれて幸せであったと述べている。そして彼が好む薬の話に及ぶと、少し言葉を詰まらせて「プロザックに会えて、プロザックと仕事をしたことに感謝している」と書いている。
医師と薬の関係は、理性的であると同時に、極めて人間的でもある。プロザックに代表される抗鬱剤も、過去10年間にその安全性と効果に疑問が寄せられ、抗鬱剤は毒だと言う人もいれば、高価な偽薬の程度だとも非難され来た。

ブラウン大学の教授のクレイマー博士は、プロザックがマーケットに出始めたころから有名で、1993年に「プロザックに聞け」のタイトルで本を出版している。その彼が最新の本の中で、逸話とデーターを交えながら、一つ一つ丁寧に批判に反論している。彼は、抗鬱剤も他の一般処方薬と同様、患者をほどほどに健康にすると主張し、”大体良い”としている。

抗鬱剤は魔法の薬ではないのを彼も認める。副作用があり、子供に服用させるのは危険を伴う。それでも、普通の大人の鬱状態には、統計値を使って有効としている。専門外の素人には、彼の提出したデーターには納得させるものがあるが、それ故に、将来反論が加えらえる余地が十分にある。その理由は、心に作用する薬を厳密に科学分析する難しさだ。

多くの病気、心臓、腎臓、肝臓、骨髄の病変、腫瘍等は数値で表現できるが、脳はそうは行かない。複雑な感情の変化、鬱から来る体感愁訴や生活の変化を数値に表すのは難しい。だから、抗鬱剤に関する研究では、患者からの聞き取りや回復、再発等から判断されている。

理論的には、数値と精神科医と患者とのやり取りの記録は同じであるはずである。だから、1950年代から数々の抗鬱剤が政府によって認可されて来た。三環系抗鬱剤やプロザックが市場に出回り、将来はケタミンにつながるだろう。しかし、数値が本質を語るかと言うと問題である。鬱とは脳の生理学的不均衡により発症しているわけで、将来は、医師が患者の神経伝達物質と神経経路の異常を検知して、それを正す薬を処方することになるが、現在は経験や知識に頼って診断が下されている。

大規模な新薬の実験に参加する患者と、一般の患者では薬の評価が異なって来る。前者では、実験に関わる人や会社が、患者の心理に影響を与えて、必要以上に偽薬効果が現れる可能性がある。又、多くの研究ではその対象規模が小さすぎるから、他の研究と統合して結果を出そうとして、偏りが生ずる。例として、セルゾンと言う抗鬱剤がある。今は効果が少ないとして使われてないが、セルゾンを含む大規模研究では抗鬱剤の効果は少ないと出たが、セルゾンを対象から外すと抗鬱剤は効果あると出ている。

最後に、クレイマー博士は、鬱病そのものが19世紀のそれと違って来たのではないかと考えている。また、医師の直感は大事であり、抗鬱剤は効果があると言うが、これが科学を重視する人たちを怒らせている。診断は、医師のエゴや収入と切り離せないため、患者はその間で翻弄される。私はこんな情景をイメージするがどうであろうか。精神科医が長椅子に座る患者に向かって、「本当に良くなっていますか、それとも良くなっていると感じるだけですか」と詰問している。当たり前で、バカバカしい質問でもあるが、クレイマー博士も時々、患者に”しばらく医師から離れたらどうですか”と促す時がある。



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