もう1つの脳

2005年8月23日

脳が2つあればそれに越した事はないが、脊髄の頂上にある脳と腸にある別の脳の関係に於いてもそう言える。腸にある第二の脳は腸神経系(enteric nervous system )と呼ばれている。

「第二の脳」の著者でありコロンビア大学の解剖学と細胞生物学の教授であるマイケル・ガーション氏は、自身の経験から、「私が国立衛生研究所に研究助成金の件についてたずねる時は私の腸も敏感になります」と言う。

事実スピーチ前のそわそわした時の胃腸の悪い感覚や、試験の前の晩に決まって下痢を経験した者には、我々の体には2つの神経系があると気づく。2つの脳の関係は心と体の両面で問題を起こす。現に神経症、鬱病、過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome)、胃潰瘍、パーキンソン病等は心と消化器の両方に症状が現れる。
「多くの神経症や鬱病の患者では胃腸器に変調を来たしている」とカリフォルニア大学の生理学と精神医学の教授であるエメラン・メイヤー氏が言う。

1902年に行われた試験では、犬に唸られた猫では消化管の食物の動きに変化が合ったと報告している。

一つの神経系が別の神経系を悪化させたり癒したりする。例えば、抗鬱剤は処方された人の4人に1人が胃にむかつきを起こす。胃の辺りの緊張感は、緊迫した場面で体内から大量に分泌されたストレスホルモンにより引き起こされる。またストレスは食道内にある神経を刺激して、咽喉が詰まった感じになる。

ガーション氏は神経胃腸学と言う比較的新しい学問を研究している学者で、1996年に第2の脳と言う言葉を作り出している。腸神経系(enteric nervous system )は食道から胃、小腸、大腸に至るまでの全ての消化に関わっている。この第2の脳、あるいは小さな脳は独立して存在し、脳と同じように精巧な自律的神経回路を持ち、神経伝達物質と蛋白で情報を伝達をしている。

「神様は消化器をコントロールするのに遠く離れた脳でするより、消化器の直ぐ横に神経系を置いた方が有利と考えているようです」とオハイオ大学の生理学、細胞生物学教授のジャッキー・ウッド氏は言う。

「脳とか神経系がする重要な任務は動きをコントロールすることです。消化器にあるもう一つの脳はその中に、あらゆる環境下の腸の動きを書いたプログラムを沢山保存しています。消化器神経系はその消化の状態により、どのプログラムを使うか決定します」とウッド氏は言う。

例えば昼飯を抜かすと消化器の動きは静かになる。昼飯を食べると小腸の収縮が始まり、食べ物を消化酵素と混ぜ合わせ、更に奥へ送り込む。もしその食物が腐っていた場合は、食物を逆向きに送る収縮が起きる。小腸にあったものは全て胃に逆流し、食道を通って口から吐き出す。

どの場合も胃腸は自ら事態を判定し、どのような行動を起こすか決定し反射運動をする。
「胃腸は圧力を検出し消化の進行を見ている。栄養素、酸、塩分を測定する。胃腸は丁度小さな実験室です」とガーション氏は言う。

腸システムはこれら一連の検出、測定、動作の命令を脳からの働きかけ無しに実行している。
腸システムなる言葉は1921年、イギリスのラングリー医師が最初に言い出している。彼によれば、腸システムとは副交感神経系、交感神経系と並ぶもう1つの自律神経系であるとした。すると腸システムは他の2つの交感神経に並列するものになる。

ラングリーの死後、この腸システム理論は忘れ去られてしまった。しかし、ガーションが再び腸システムを取り上げて、この神経系が脳と同じ神経伝達物質を使っていると発表すると大いに嘲笑された。

「ニューヨークのタクシー運転手が、メトロポリタン歌劇場で歌劇トスカを上演しているのを知っているみたいなものですよ。ようするに、その間違いは明らかだと皆は言う」とガーション氏は言う。

1980年代の初めには、腸システムと言う別個のシステムがあり、その神経系ではセロトニンのような神経伝達物質が使われていると多くの人が認め始めた。

「遂に臨床の医師も、消化器の変調は中央の神経系と関係ありと感じ始めたのです」とバーモント大学の解剖学と神経生物学のゲイリー・モー氏は言う。

問題は心が先か体が先かである。

腸神経系も中央神経系もその系を動かすのに同じセロトニンと言う道具を使う。セロトニンは脳に作用して幸福感を作り出すから、SSRIと呼ばれるセロトニンのレベルを上げる薬剤が抗鬱剤として使われている。

しかし、95%の体内セロトニンは消化器内に存在し、神経伝達物質であると同時にシグナルのメカニズムを構成している。消化は腸クロマフィン細胞(enterochromaffin cell )が小腸の壁にセロトニンを吹き付けることから始まる。この壁面には少なくても7種類のセロトニン受容体が存在し、情報は神経細胞を通って伝達され、消化酵素が分泌され、食物を腸の奥へと移動させる。

セロトニンはまた脳との仲介役もし、脳に消化管の状態を逐一報告する。このコミュニケーションは殆ど一方的で、90%が腸から脳に向けられている。

腸からのメッセージは大抵気持ちの良いものではない。乳癌に使われるドクソルビシン(doxorubicin)と言う薬があるが、この薬は腸でセロトニンの分泌を促すために、吐き気や嘔吐を起こす。

セロトニンは更に過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome)に関わっていると言われている。過敏性腸症候群とは腹痛、痙攣、膨満感、下痢と便秘の相互症状を引き起こす慢性の症状であるが、今まで心身症に扱われて来た。

「過敏性腸症候群の患者を検査すると、大抵問題を発見しません」とモー氏は言う。
しかし過敏性腸症候群は鬱状態と同じく、セロトニンレベルの変化により引き起こされているのが分った。この場合、セロトニンが足りないのではなく、あり過ぎて問題が起きている。

健康な人ではセロトニンが小腸で分泌され、腸の反射運動が始まると余ったセロトニンはセロトニン搬送体(serotonin transporter, or SERT)により腸から汲みだされる。このセロトニン搬送体は腸壁裏側にある細胞で発見される。過敏性腸症候群の人はセロトニン搬送体を十分持っていないために、セロトニンが溢れて下痢を起こす。更に、過剰なセロトニンは腸のセロトニン受容体を圧倒し、今度は便秘を引き起こす。

ガーション氏がセロトニン搬送体を持たないネズミを使った実験では、ネズミが人間の過敏性腸症候群と同じような症状を示している。

そこで、腸抗鬱剤と称する新しいセロトニン薬が出て来て、慢性的な消化器病の解決に役立ち始めている。

もう1つのメカニズムで腸の不調の原因となるものに、腸のマスト細胞(mast cell)システムがある。このシステムは免疫反応に重要な役割をしている。

強烈なストレスが襲った時や精神的外傷を受けた時に、腸の内腔(lumen)(食物が消化されている部屋)と他の腸の境目が壊れてしまう。すると病原菌が内部に入り込む危険性が高まる。すると脳はマスト細胞を活性化し、腸壁の免疫機能を活発化しようとするとウッド氏は言う。

マスト細胞はヒスタミン及び他の炎症性物質を放出して、腸システムを刺激するから下痢をする。下痢は有害菌を強制的に体外に放出する効果がある。

マスト細胞により炎症を引き起こされた胃腸は過敏になる。ストレスを常に受けて慢性的にマスト細胞が増殖していると事態は悪化する。

動物では炎症が感覚神経細胞を刺激し、一種の過剰反応を起こす。「慢性胃腸炎では腸内で注意欠陥障害(attention deficit disorder )のような状態になっているのではと考えているのです」とモー氏は言う。

ガーション氏はこの胃腸障害の原因はやはり生理機能に問題があると言う。「過敏性腸症候群を患う人の腸の細胞に欠陥を発見しました。もし貴方が下痢で血便をした場合、気持ちが落ち込むでしょう」とガーション氏は言う。

でも心理も影響しているのは次の実験で明らかだ。動物を使った最近の実験では、子供の頃に激しいストレスを経験すると、その後慢性胃腸炎を起こすのが分っている。「ネズミを水に囲まれた台の上にのせると、ネズミは下痢の症状を示す。これはネズミにとって、とてもストレスが強い条件なのですね」とメイヤー氏は言う。

他の実験では、子供のねずみが母親から強制的に離されると、腸壁を作っている細胞が弱くなり、バクテリアが通過しやすくなり、免疫細胞を活発化させるとしている。

「これはネズミが適応しようとしているのです。ネズミがストレスの強い環境に生まれると、より用心深くなり、将来起きるストレスに活発に反応しようとするわけです」とメイヤー氏は言う。

メイヤー氏が治療する慢性胃腸炎の患者の70%までが子供の頃にトロウマ(両親の離婚、慢性の病気、親の死)を経験している。「各個人の遺伝的背景と幼少期の過酷な体験が、ストレスに直面した時に消化器が過剰に反応しやすくしている」と彼は言う。


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