英雄行為
 
2007年1月7日

今年の1月2日午後0時45分、50歳の元海軍兵士で現在建築現場で働いているオートリー氏が、マンハッタンの地下鉄駅で発作を起こして線路に落ちた見知らぬ人を、英雄的行為で救った。彼は電車が迫っているにも関わらず、飛び込んで落ちた人に覆い被さったのだ。人によりこのような英雄行為が出来るように脳が出来ているのだろうか。我々にそれが出来るかと聞かれたら大抵ノーであろう。

この日、カメロン・ホロピター君(20歳、ニューヨークフィルムアカデミーの学生)はプラットホーム上で急に発作を起し、倒れ込んだ。近くの女性2人とオートリーが助けようと近づくと、彼は立ち上がろうとしたが、次の瞬間プラットホームから線路上に転落した。2本のレールの中間に落ちたのだが、オートリー氏は迷わす飛び込み、僅か間隙30cmの空間に押し込むようにして、彼の上から覆い被さった。電車が急ブレーキをかけたが間に合わず、2人の頭の上を5両通過して止まった。その時、オートリー氏はホーム上にいる人の絶叫を聞いたが、車両の下から「大丈夫だ。お父さんは大丈夫だと娘に言ってくれ」と叫んだ。その時、思わずホームから歓声がわいた。この危機一髪の行為で、何と彼が被っていた毛糸のキャップの淵が列車の油で汚れただけで済んだ。

オートリー氏が飛び込んだときにプラットフォームに2人の娘を残していた。彼は飛び込んだ理由を、単に人を助けたい一心にやったと説明している。

このような英雄行為をさせるものは彼にだけあるのであろうか。専門家は多分そうでは無いと言う。生存には社会的サポートが必要であり、孤立している人より社会と強い結びつきがある人の方が成功する。変質者を除いて人間は他人の困難に共感し、行動を開始するように出来ていると、ケース・ウェスターン・リザーブ大学の生物倫理の教授であるステファン・ポスト氏は言う。彼は5月に「何故善良な人にはよい事が起きるか」と題した本を出版する予定である。

我々にはミラー神経細胞と言うのがあり、他人の喜び悲しみを共感させる働きを持つと最近の科学が言う。

多分、オートリー氏がホロピター君のホームから転げ落ちるのを見たとき、彼の脳は我々と同じように反応したであろう。彼の視床は、目から送られる視覚情報を分析処理する為に脳の他の部分へ送る。不安の中枢である扁桃体が活発化し、感情処理された情報を運動野に送り込む。彼の前部帯状回(脳の中の脳と言われる決断の中枢)が活性化し、どう行動するか決定したと、ハーバード大学医学部のグレゴリ−・フリチョン助教授は言う。

しかし問題は次の一瞬の動作だ。

「他人を助ける行動は必ずしも論理的打算に基づかない。しかもこの場合、時間的に余裕が無いから尚更である。むしろ衝撃、弾みとなって一気に出たかも知れない。彼の持って生まれた徳の高さか、子供の頃のカルチャー教育からか。彼の行為は比較を絶する利他的行為であり、大変希な人です」とニューヨーク州立大学の進化生物学のデイビッド・ウィルソン氏は言う。

彼が海軍で訓練を受けたのも影響しているであろう。軍隊では、困難な状況下で迅速に行動するように訓練される。「迫ってくる電車に飛び込んで救出するような動作は、前もって訓練している人には可能かも知れない」とマイアミ大学心理学のマイケル・マッカラー氏は言う。

この行為で更に不可思議なのは、オートリー氏の4歳と6歳の2人の娘がプラットフォームに彼と一緒にいた事である。一般的に、親と子供の関係は他者よりはるかに強い。でも子供を思う心が一瞬に利他的行動に転化したのかも知れないとフリチョン氏は言う。オートリー氏は、実はホロピター氏が発作で崩れ落ちようとした時に、助けようと近づいた3人の内の1人であった。共感はこの時に始まるのであろう。

自分が属すると考えるグループの中の人に緊急事態が起きた時は、人種の違いは考慮に入らないだろうとポスト氏は言う。助けたオートリー氏は黒人であり、助けられたホロピター君は白人であった。

「助ける前に自分の子供を考えるのが普通なのにそれを超えたばかりか、人種を超えての人間性を示した所に大変共感を覚える」とポスト氏は言う。

「このような英雄行為は1つや2つの原因では説明出来ない。しかし、ナチのユダヤ虐殺で救出活動した人や、現在の救急隊員を面接して分かったのは、英雄行為をする人達は元々慈しみのある家庭に生まれて、他人を思い共感し行動する事を小さい時から学んでいる場合が多い。所で、この事件に一緒にいて行動を起さなかった他の2人は、別に悪い人達では無い。彼等はホンの少し違う思考回路を持っていただけです」とハンボルド州立大学の社会学教授のサミュエル・オリナー氏は言う。



脳科学ニュース・インデックスへ