説明出来ない肥満治療薬

2023年8月17日

時々世の中を大きく変える薬が出ることがあるが、その一つに最近話題の肥満治療薬であるオゼンピック、モーンジャロ、ウェゴビーがある。
「肥満治療に大変化を起こしたと言っても良いでしょう」  とニューヨークのバルーチ大学のジョナサン・エンジェルは言う。

アメリカでは大人 の42%が肥満と言われていて、「肥満は治そうにも今までやりようがなかった」とエンジェルは言う。
研究はしても失敗して製薬会社も意欲を失っていた。社会は肥満とは病気ではなくて本人の意欲の問題と見る姿勢が強い。

癌、心臓病、アルツハイマー等の新薬作成は理論的に到達していても、肥満治療薬に関してはそれが通じない。最近の肥満治療新薬も理論的に発見したのではなくある日偶然見つけている。
「誰でも、薬がどうして効くか知りたいがそれができないのです」とデューク大学のデービッド・ダレッシオは言う。

話題の肥満治療新薬は安全であるが、コレステロール薬、降圧剤のように一度飲んだらずっと飲む必要があると専門家は言う。
アメリカ国立研究所のスーザン・ヤノビスキーは、「未だ薬には未知の部分が多いから副作用がある可能性もあり、患者は医師の看視の下に注射する必要がある。でも肥満そのものが糖尿病、肝臓病、心臓病、癌、睡眠時無呼吸症候群等の障害を起こすので治さないとならない」と言う。

薬には一過性のむかつきと下痢があるが、今まで絶えず感じていた過剰な食欲が消えたと人は言う。体重が減ったのは余分なカロリーを燃焼させたからではなく、食事の量が減ったからだ。
先週発表された臨床報告では、ウェゴビーは体重を減らすばかりでなく、心臓合併症も予防していた。
「製薬会社は試行錯誤の言葉を嫌うが、実際はたまたま当たったが正しい」とトロントのルーネンフェルドタネンバウム研究所のダニエル・ドラッカーは言う。

孤独な研究
1970年代ジョエル・ハビナーはマサチューセッツ総合病院で内分泌系専門家としてキャリアを開始し糖尿病を研究した。糖尿病は血中の糖レベルが高くなる病気で、インシュリン注射で治療をする。細胞に糖を貯蔵する役割をするインシュリンはすい臓で作られる。しかしインシュリンは注射すると糖レベルが低くても更に糖レベルを下げて、患者を危険にすることがある。強い低血糖状態では混乱と震え、意識の喪失を起こす。

血糖を調節するホルモンには他にソマトスタチンとグルカゴンがあり、当時どのように体で作られるかそのメカニズムは分からなかった。そこでハビナーはグルカゴンの生産を指令する遺伝子の研究をする事にした。
1980年代の前半、彼はGLP-1と呼ばれる血糖値をコントロールするホルモンを発見した。このホルモンはすい臓のインシュリン生産細胞に働きかけて血糖値が高すぎる時にだけ作用する。

GLP-1 を使えば効き過ぎるインシュリンに代わる安全な治療が期待できる。当時、コペンハーゲン大学のジェンズ・ジュール・ホルストも同じ発見をしていた。しかし、 GLP-1は注射してもすい臓に到達する前に効力を失ってしまう欠陥があった。即ち長く効力を持つGLP-1が欲しい。
ハビナーと一緒に仕事をしていたドラッカーも長く持つ GLP-1をもとめて孤独な研究を続けていた。

社会は未だ肥満薬については興味が低く、このテーマで内分泌学会で話そうとしても、彼にあてがわれた順番は会議の最後であった。
「私が話す頃には皆、気もそぞろで空港に向かう準備をしているのですよ」と彼は言う。1980年代後半から1990年代はこんな状況であった。

アメリカ毒トカゲ
1990年代にブロンクスにある退役軍人医療センターのジョーン・エングは、医療に使える自然に存在するホルモンを探していた。アメリカ毒トカゲは食べ物がないにも関わらず血糖値を一定に保つ能力がある。そこでトカゲの唾液に注目してそこに長く効果を保つGLP-1の変異体を発見した。

2002年に彼はこれを特許に申請しようとしたが退役軍人医療センターは認めなかった。そこで彼は自分で特許を申請し、特許を得た後にアミリン・ファーマシューティカルに使用許可を与えた。アミリン・ファーマシューティカル はGLP-1の変異体に糖尿病薬としての可能性を見て、エクセナタイドあるいはビエッタの名前で2005年に売り出した。しかしビエッタには問題があり、一日に2回注射しなくてはならない。これでは実用には困難で、そこで会社は長持ちするGLP-1の開発を開始した。

ノボノルディスクファーマでは、 GLP-1を血中タンパクにゆるく接続させて24時間持続させることに成功した。しかしGLP-1がタンパクから離れると血中の酵素がGLP-1を直ぐ分解する。そこでホルモンの構造の一部を変化させて持続性を追求した。試行錯誤の結果、ノボノルディスクは一日一回の注射で済むリラグルチドと呼ぶ物質を作り、会社はこれをビクトーザと命名し政府に申請し、2010年に糖尿病治療薬として許可された。

製薬会社は興味なし
長いこと肥満治療薬の開発は手詰まりの状態になっていた。開発しても効果がなく、たまに効果があっても副作用が酷かった。1990年代の後半にロックフェラー大学のジェフリー・フリードマンが、自分の体に蓄えられた脂肪の量を脳に伝える役割をするホルモンを発見した。このホルモンが不足する鼠は自分の脂肪量が分からないから猛烈に食べるが、ホルモンの量を調節すると鼠は元の体重に戻った。フリードマンはホルモンをレプチンと命名し、アムジェンがこの権利を買い取り1996年に薬にして臨床テストをしたが体重減の効果はなかった。

ドイツのヘルムホルツ研究所のマチアス・ショップはレプチンに大いに興味をいだき、30年前に研究職を辞してインディアナポリスのイーライ・リリー  社で働き始めた。
「うーん、これはいけると感じたのです」とショップは言う。

レプチンが失敗すると彼はグレリンと言うレプチンとは反対の働きをするホルモンに注力した。動物はグレリンを多く持つとより沢山食べる。グレリンを抑える薬を作成すれば人は食べなくなるのではないかと閃いた。「ところが話はそんなに簡単ではなかったのです」とショップは言う。彼は2002年にイーライ・リリー  を辞職する。生体の反応とは沢山の回路の絡み合わせなのだろう。一つの回路を弄ったところで何も変化は起きない。

さらに障害があった。「それより製薬業界は肥満に興味を失っていたのです。肥満は治療の対象ではなく、個人の性格の問題と見ていたわけです」とイーライ・リリーのリチャード・ディ・マーチは言う。

痩せる鼠
ノボノルディスク社は世界が消費する45.7%のインシュリンを製造する名実ともに世界一の糖尿病製薬会社だ。この会社に勤める研究者のロッテ・イェレ・ヌードセンは、リラグルチドの結果に引き寄せられた。1990年代の始めノボノルディスク社の研究員は癌細胞をすい臓に移植した所、鼠が餌を食べなくなったのを見て、豊富なグルカゴンとGLP-1を生産しているためではないかと推測した。

「グルカゴンと GLP-1と呼ばれるペプチドには食欲をコントロールする働きがあると気が付いたのです」とヌードセンは言う。
他の研究でも鼠の脳にGLP-1を注入すると鼠は食欲を失っていた。人間でのテストでは点滴でGLP-1を注入すると普通より12%少ない食事の量になった。それならリラグルチドを糖尿病と肥満予防両方の目的に開発したらどうかとヌードセンは考えた。

GLP-1 開発に尽力した人にもう一人マッズ・クロスガード・トムセンがいて、彼は現在のノボノルディスクの最高経営責任者になっているが、彼も当時の会社のトップに肥満とはライフスタイルの問題ではないと説得したが理解が得られるのに半年以上かかったと述べている。ノボノルディスクの経営部門はリラグルチドを糖尿病と肥満の両方の目的で開発するのに躊躇したとヌードセンは言う。
「会社としてはどちらかに統一したいのだろう」と彼女は言う。

2010年にリラグルチドが糖尿病薬として許可されると会社は肥満薬としての発売に前向きになった。臨床テストの後アメリカ政府はサクセンダを2014年に肥満治療薬として認めた。肥満薬として使う場合は糖尿病の場合の2倍を注入する。患者の体重減少効果は5%であった。
ノボノルディスクの副社長であるマーチン・ホルスト・ランジは、サクセンダも他の肥満薬と同じ位良く効いて深刻な副作用はないと述べる。

糖尿病を超えて
肥満薬としての可能性にも関わらずノボノルディスクは糖尿病薬に注目していて、GLP-1を更に体内に長く留める研究をしていた。その結果出来たのがセマグルチドで、この薬は1週間に一度自分で注射するだけでよい。2017年、政府に認められたが、今オゼンピックとして評判を呼んでいる薬がこれである。体重減少効果は15%で、毎日注射するサクセンダに比べて3倍の効果だ。これほど効果があるにも関わらずノボノルディスクはオゼンピックを肥満治療薬として売り出していない。何故なら政府に糖尿病薬として登録してあるからである。

ノボノルディスクは2018年にオゼンピックの体重減少テストを開始して、2021年に政府から許可が下りてウェゴビーと言う名前で売り出した。患者はより濃い濃度の薬を一週間に一度注射する。しかしウェゴビーが政府に認められる前から人はオゼンピックを適用外の目的で使いだした。ノボノルディスクもオゼンピックを体重減で宣伝していた。

マウント・サイナイ医科大学のジェフリー・メカニクによれば患者が強くオゼンピックを求めるので、医師は適用外で処方していると言う。
「患者が保険で支払えるように症状を前糖尿病状態としているのです」とメカニクは言う。

2021年のソーシアルメディアに煽られたオゼンピック旋風も、今は一つの転換点を迎えたとブリガム女性病院のキャロライン・アポビアンは言う。ウェゴビーの人気がオゼンピックに追いついたからだ。

今年の7月にアメリカではウェゴビーの処方が1週間に94,000件であったが、オゼンピックは62,000件である。ウェゴビーの人気が上がったのは良いが会社は生産に追いつかないとノボノルディスクのジェームズ・ブラウンは言う。
ノボノルディスクは現在ウェゴビーをノールウェーとデンマーク、ドイツ、アメリカだけで販売している。これらの国では薬局でも手に入れるのが難しくなっている。肥満問題の専門家であるアポビアンでは一年分の患者の予約が詰まっていると言う。

続く肥満治療薬
何故一週間に一度の注射でよいオゼンピックが毎日注射するサクセンダより有効なのか。薬は体のGLP-1を変化させているわけではない。薬がするのは患者の脳を自然では起こり得ないほどホルモンでいっぱいにするだけだ。ウェゴビーの場合は自然に分泌する量の5倍になっている。
薬は食欲に関連する脳に行くのではなく不自然な場所に行くとミシガン大学のランディー・シーリーは言う。
「薬を設計する時、研究者は薬が目的の場所に行くようにする。しかしこの薬は目的の場所に行っても中に入らない」と彼は言う。

イーライ・リリー  の糖尿病薬であるチルゼパチドあるいはモーンジャロは今年中に肥満薬として政府の認可が得られるだろう。この薬はGLP-1を他の消化器ホルモンであるGIPにひっかける。 GIPはそれ自体多少体重減少効果があるが、二つのホルモンは相乗効果を発揮して20%の体重減が期待できる。
イーライ・リリー社にはもう一つの糖尿病薬であるレタツルチドがあるが、24%の体重減が期待できる。
アムゲンの実験的試薬のAMG133は更に強い効果が期待できる。この薬もGLP-1をGIPを抑制する分子にひっかけるが作用機序が分からない。

まだ社会では肥満は本人の自覚の問題であるとする傾向があるが、いずれ変わるのではと専門家は見ている。肥満薬のおかげで最近肥満について人はあまり責めなくなっているだろうし、失敗者とまで追い詰めないだろう。
「食べ過ぎるな、運動をしろはもう古い。今や肥満を解消する武器が手に入った」とコロンビア大学のルドルフ・ライベルは言う。



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