幻覚療法をめぐる特許戦争

2022年10月25日


シロサイビン療法(幻覚キノコの成分を利用した幻覚療法)の特許申請理由に、療法を施す室内の色、高音質な音楽、くつろげる家具を挙げて申請している会社があった。人間が幻覚物質を利用して宗教儀式を行ってきた歴史は長く、幻覚キノコ成分についても既に合成されて数十年経つ。それが、幻覚物質による心の病の治療の可能性があるとの最近の報告で、特許戦争がにわかに始まった。

部屋の装飾から薬の処方まで特許申請したのはコンパス・パスウェーと言うロンドンにある会社である。今や500億円規模の会社に成長していて、現在50件の関連特許を申請をしている。過去3年では、競合する各社が百以上の特許をアメリカ政府に申請している。

コンパス社の共同創設者であるジョージ・スミスは、新しいシロサイビン療法で世界の誰でも救われるには特許申請がどうしても必要と説く。各国の規制当局を納得させ、医療保険システムに採用されるにはヨーロッパ、北アメリカの150か所以上で臨床試験をしないとならない。大変費用と手間のかかる仕事で慈善作業ではできないと言う。

しかしコンパス社の要求には嘲りの声が上がった。シロサイビンやLSD、エクスタシーのような既存の幻覚物質から利益を得ようとすると、従来高額な費用を払わなくてもできた研究や、一般の人の利用を難しくする。

「私は別に反資本主義でも反儲け主義でもないが、特許権でトロール網をかぶせるやりかたには反対する。自分が発明したものでもないものを自分のものと言うのはおかしい」と幻覚物質を扱う会社を始めたカーリー・ターンブルは言う。

幻覚物質の使用法に関する特許権を巡る争いは、鬱、薬物依存症、PTSDの治療への期待が如何に強いかを示している。カリフォルニア大学の医薬品特許の専門家であるロビン・フェルドマンは、この問題はアメリカの処方薬が世界一高い理由でもあると言う。
「既存の薬物を皆で安く使おうという博愛精神と金、政治問題が衝突しているのです」と彼は言う。

幻覚物質は現在違法であるが、アメリカ食品薬品局は新しい使い方に関してはよりハードルを下げ、 MDMA=エクスタシーとシロサイビンの許可を真剣に考えている。3年前に既にエスケタミンと呼ばれるケタミンの鼻スプレータイプを許可している。ケタミンは既存の療法で治らない鬱に有効と言われている。

アメリカ国立精神衛生研究所も、幻覚物質研究への資金援助を開始した。アメリカの有力な大学は幻覚物質研究センターを設置している。

シアトル、デンバー、オークランド、カリフォルニア、ワシントンDCなどの地方自治体では既に幻覚キノコは違法でない。1月にはオレゴン州が臨床でシロサイビンを使う事を認めている。

4年前には存在しなかった関連の会社は40社にもなった。InsightAce Analytic社による分析では、幻覚療法のマーケットは2021年で4000億円、2028年には9000億円になると見積もっている。

「いきなり製薬業界に怪物が現れたみたいです」とコーエン銀行のアナリストであるリツ・バラルは言う。メディアの積極的な取り上げ、保守政治家の態度の変化、改善したと喜ぶ退役軍人の声で、社会は大きく舵を切ったようだ。

しかし、ジョーンズホプキンス大学で長く幻覚物質を研究するロバート・ジェシーは、これには落とし穴があると警告している。幻覚物質はスピリチュアルの道具として社会に長く認められてきたもので、金持ちが50万円もかけて隠れ家でやるものではないと。

「私は特別に信心深い人間ではないが、幻覚物質により自分の世界観が変化したのは間違いない」とジェシーは言う。彼は2005年に最高裁判所で、ある宗教グループのために天然のアヤワスカ(幻覚物質)の輸入を許可するように法廷陳述をして許可の裁決を得ている。

ジェシーはまた、特許戦争は幻覚物質研究を間違った方向に向ける可能性もあると言う。金の魅力は有力研究者を基礎研究から引き抜き、今まで少額の資金で続けて来た研究を停止させてしまうと訴える。特許申請があまり多いと、価値のない特許にも裁判に勝たなければならない。「これを特許の焦土作戦と呼ぶ。こうなると誰もこの分野に入れなくなる」と彼は続ける。

コンパス社の幹部であるゴールドスミスは、このような批判を聞いて苦しむ。ビデオ・インタービューで彼と妻は会社を始めた理由は息子の苦しみにあったと言う。
「息子が長い間鬱で苦しんでいて助ける事が出来なかった。このままでいいのか、それとも療法そのものを変えるべきかで、われわれは後者を選んだ」と彼は言う。

コンパス社はロンドンの会社で、株式はアメリカのナスダックに上場して筆頭投資家にはペイパルの共同創業者のピーター・シールがいる。特許戦略は500億円の投資を呼び込むのに必要な手段とゴールドスミスは言う。
同じく幻覚物質を扱う会社であるサイビン社の執行役員を勤めるドー・ドリスデールは、特許は既存の薬の新しい応用方法を発見した時に、その権利を守るのに役立つと述べる。

例としてDMT=ジメチルトリプタミンを取り上げる。この物質は天然の幻覚物質であるが、問題は持続時間が短い事で、5分か10分しか続かない。これでは患者の反芻思考を止め病気を自覚するには時間が短い。

サイビン社では最近この薬物の効果時間を30分とか40分に長くすることに成功した。「分子構造を弄っているのではない。巨大な費用を投じて薬を改善している分けで、投資家にリターンを払うためにも知的所有権を確保する必要がある」と彼は言う。

サイビン社ばかりでなく他社もシロサイビン類似体を作り、効果持続時間を延ばす努力をしているが、それでも現在の療法が要求する時間の半分ほどである。

さらに費用の問題があり、現在は、患者が間違って使用するのを防ぐため二人のセラピストが付いてないとならないが、これが高くつく。
ニューヨーク大学のステファン・ロスは、心理療法を端折った短時間の幻覚体験は恐ろしい体験(バッド・トリップ)の原因にもなり、40年前と同じ幻覚物質反対運動を起こすと警告する。

幻覚療法には、数度のセッションで終わると言う自身の問題を抱えている。これでは多額の利益が期待できない。既存の儲かる薬、例えば糖尿病、高血圧、腎臓の薬は生涯飲み続ける。もう一つはアメリカ食品薬品局に申請する場合、幻覚物質だけでなく会話療法と対をなしていることだ。
幻覚療法では患者に起こった幻覚現象を説明する部分が大事で、それをぞんざいにしたり、患者の心の病気の性質を考えないと思わぬ事故を起こす。特に統合失調症とか躁鬱病の患者には要注意だ。

末期患者にシロサイビンで緩和ケアーをしている  イバン・ビソントは、金銭目的の幻覚療法は期待外れに終わるでしょうと言う。
「幻覚療法で特許を申請する会社には心理療法なんて眼中にないのでは」と彼は言う。

現在過剰な特許申請を抑えるために活動している人たちもいて、彼等50人ほどが自費で大学図書館を訪ねては関連情報を集めている。彼等の集めた情報を元にアメリカ特許庁はPorta Sophiaと呼ばれるデータベースを作成した。

Porta Sophiaを扱う特許弁護士のデービッド・カシミアは、幻覚物質の研究の多くはパソコンが現れる前の仕事で、当時の政府の規制により放棄されてしまっていると言う。
「われわれは、特許役人のために情報を集めているのです。この仕事により言語道断な特許を防ぐことが出来る」とカシミアは言う。

ある会社がMDMAとLSDを混ぜる特許を申請したと彼は笑う。これは新しいものではなく、薬物愛好家の間で「キャンディー・フリッピング」と言われる方法で、カシミアが反論すると直ぐその会社は引っ込めた。
今年の初めにもカシミアはコンパス・パスウェー社の部屋のデザイン、色、背景音楽の特許申請に意義を唱えて、会社は8月にはそれらの特許を諦めたがアメリカ以外の国で請求している。



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