やる気を起す回路

2012年11月18日 サイエンスデイリーより


我々の脳内のやる気を起す回路を光遺伝学の手法で発見したカール・ディーザロフとメディッサ・ウォーデンの二人。この発見が、意欲を喪失した鬱病の患者の治療の足がかりになるかも知れない。

りんごの木であろうが、アフリカのシマウマであろうが、危機に瀕して生き残るには体力を如何に有効に使うかが重要になる。地球上のあらゆる生物は、困難や危機に直面したとき、果たしてエネルギーを消耗してまで努力する価値があるかどうかを判断しなければならない。

ネイチャー誌18号に発表された研究によると、スタンフォード大学教授のカール・ディーザロフと博士課程修了のメディッサ・ウォーデンは、前頭前野皮質と脳幹を結ぶやる気を起す回路を発見した。この発見により、鬱病の発症原因に迫ることが出来るであろう。

人間は高度に脳を発達させたため、考えすぎて必要な行動に移せなくなるときがあり、これが極端になると鬱病になる。国民の20%が人生のある時期に鬱状態を経験すると言われている。鬱状態は、脳の中のやる気を起す脳が作動不全になっているために起きていると考えられる。しかし今までのところ、鬱を起す仕組みについては分かっていなかった。

「今まで、どのようなメカニズムで鬱状態になるかほとんど未知であった。脳のどの部分に異常が発生しているのか、正常な状態とは一体何なのか、この辺のところがまったくのミステリーなのです」とディーザロフ氏は言う。

専門家は行動意欲のない状態を”精神運動遅滞”と呼ぶ。ディーザロフによると、人が精神運動遅滞状態になると何事も上手く行かないように感じ、心ばかりか手足まで重くなって動かなくなると言う。

「鬱状態は患者の生活を大変困難にさせているのです。我々はやる気を失った状態を動物に再現して実験をしました」とディーザロフ氏は言う。

専門家は、やる気を起こす脳は、計画したり全体の企画調整したりする最も高度な脳である前頭前野皮質ではないかと考えている。前頭前野皮質から発せられた信号は、神経細胞の数々を通り抜け最終的に動作を命令する脳に到達する。今まで、どの脳がどのように連絡しあいながらやる気を起こすのか分からなかった。

研究ではねずみの脳のある部分を光遺伝学と言う技術を使って刺激して、ねずみの行動の変化を調べた。光遺伝学とは、ディーザロフが2005年にスタンフォード大学で完成させた技術で、これにより生物工学、神経科学が飛躍的に進歩した。

今回の実験の秘密は藻にある。単細胞生物である藻は、チャネルロドプシンと呼ばれる太陽光に反応する蛋白を作る。この蛋白を作る遺伝子に工作を加え、光に反応する神経細胞を作った。ディーザロフは、光ケーブルで神経細胞に光をあて、光に反応する神経細胞のスイッチをオン・オフさせ、脳活動の変化とねずみの行動の変化を調べた。

しかし、脳の一部を刺激すればやる気が出ると言う単純なものではないらしく、ねずみの前頭前野皮質のどこを刺激しても、困難に取り組む姿勢を示さなかった。ねずみをやる気にさせるには、前頭前野皮質にある沢山のスイッチをオンにさせ脳の共同作業させる必要があった。前頭前野皮質の神経細胞には、やる気を起す細胞もあるし、それを抑制する細胞もあるためだ。

「光遺伝学のおかげで、やる気を起すメカニズムは、単純ではないのが分かってきた」とディーザロフは言う。

”投影調査”と呼ばれる光遺伝学を使うと、脳幹から逆方向にやる気のシグナルの出所を追及できる。研究では前頭前野皮質の神経細胞に光感応蛋白を注入して回路をしらべると、光感応の性質は、前頭前野皮質から脳幹に向けて木の枝を伝わるように広がるのが観察された。

次に脳幹の光感応部分を光で刺激して、前頭前野皮質の神経細胞がどう反応するかを見た。すると反応は前頭前野皮質の一部の脳にとどまらず、他の脳に反応が連鎖するのを観測した。

脳幹の中では、背側縫線核と呼ばれる部分が特にやる気に関わっていた。この一塊の細胞群は、感情に関わる神経伝達物質であるセロトニンを生産する部分でもある。多くの抗鬱剤はセロトニンを脳内で増やす役割をしている。

ねずみの前頭前野皮質と背側縫線核を結ぶ回路を刺激すると、ねずみは劇的な変化を見せ、困難にも関わら行動を開始した。不思議なことに、ねずみが巣の中で安穏としている時は同じ刺激を加えても動かなかった。この事実から、この回路は単に行動を促すのではなく、動物が困難に直面した時にのみ努力を促す回路であるのが分かった。

研究では逆の結果を引き起こす回路も発見している。ねずみの前頭前野皮質と脳幹の頂上に位置する”外側手綱核”を結ぶ回路を刺激すると、ねずみは困難に直面してもあまり努力をしなかった。ゆえに、外側手綱核は鬱状態に関連しているのではないかと考えられている。

以上がディーザロフ等が動物と光遺伝学を使った鬱状態の研究の一部であるが、既に臨床医、研究者の注目を浴びている。鬱状態の脳の研究は薬剤の開発に欠かせない。ディーザロフによれば、今回の研究の目的は、やる気とは一体何か、やる気はどのようなメカニズムを経て起きているか調べることであった。
これが分かると、実際、鬱で悩んでいる患者にも大いに役立つだろう。ディーザロフによれば、患者がやる気喪失の生物学的背景を知れば、それ自体が患者のやる気を起すことになると言う。



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