恐怖の記憶形成

2005年9月16日

我々の苦痛に満ちた記憶は脳の何処でどのように刻み込まれるのであろうか。今回カナダ・トロント大学の研究チームが前頭前野皮質が関与しているのを明らかにした。この研究は神経症とPTSDの解明に寄与するであろう。

トロント大学のツォー生理学教授とソウル国立大学のボン・キウン・カーン教授、それと中国フダン大学のバオ・ミン・リー教授の研究グループは、ニューロン誌の9月15日号で、ネズミを使った実験で知能に関連する前頭前野皮質(pre-frontal cortex)が恐怖の形成に重要な役割をしていると発表している。今までは大脳辺縁系にある海馬(hippocampus)がこの恐怖の記憶形成に関与しているとしていた。

「恐怖の記憶形成が脳の何処でどう行われるかは重大です。恐怖の生化学的メカニズムが分ると、臨床に応用して患者を治療出来る可能性があるわけです。頭に植え付けられた強烈な恐怖を軽減できれば、PTSDや神経症の治療に有効です」とツォー氏は言う。

ツォ−氏によると、恐怖の記憶形成は恐怖が起きたその時には起きていない。意識下に確かなものになるには時間がかかる。最初はNMDA型グルタミン受容体(NMDA receptors)が活性化される。この受容体はメッセージを受け取り、細胞内で特殊な生理学的変化を起こす。普通は活発でないが、脳がショックを受けると受容体が触発され、触発が繰り返されると受容体は脳細胞に記憶を残す。

研究チームはネズミにショックを与えてNMDA型グルタミン受容体を活性化させた後に、NR2Bと呼ばれる蛋白質を追跡した。この蛋白質は長い間、海馬や扁桃体(amygdala)での恐怖の記憶と関係があると考えられていた。NR2B蛋白の効果を調べる為に、その蛋白を抑制してネズミの行動を調べた所、ネズミはショックをあまり避けようとしなくなる事が分かった。「我々は空間と音声の2つの条件でネズミに恐怖の実験を試みました。1つは部屋に入る時にショックを与え、2つ目はショックを与えると同時に音を聞かせました。両実験共にネズミが恐怖の記憶を形成することを確認し、次にNR2B蛋白の作用を遮断したのです。するとネズミは部屋にも音にも恐怖を感じなくなりました」とツォ−氏は言う。

ツォ−氏等はそのネズミの脳の薄片を調べて、前頭前野皮質にNR2B蛋白の痕跡を発見した。これは前頭前野皮質が恐怖の記憶形成に関与しているのを示している。「NR2B蛋白を前頭前野皮質に発見した事により、恐怖の記憶は脳の1部の作業でなく、受容体同志のネットワークに由来する事が分かりました。恐怖記憶のプロセスは今まで考えていたより複雑ですとツォ−氏は言う。

ツォ−氏によれば、次はNR2B蛋白がどのように記憶の形成に関与するかである。「我々はNR2B蛋白が扁桃体,海馬、前頭前野皮質に存在する事を発見しましたが、実際この蛋白質がこれ等の脳にどのような変化をもたらすかが知りたいのです。それが分かれば各々の脳のNR2B蛋白を減らして恐怖の記憶を軽減できます。将来はこの処置でPTSDを防ぐ事も可能になるでしょう」とツォ−氏は続ける。トロント大学イノベーション基金は、ツォ−氏の研究グループに更に治療法開発の可能性を求めて研究を以来している。



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