ある精神科医の告白

2002年8月27日

 私がハーバード大学精神科医であり夢の研究家でもあるJ・アラン・ホブソン氏をインタビューに訪ねたとき、氏は色々書き物をしたノート、家族の写真、彼のイタリーにある別荘の完成絵図などを持って現れた。

「きっと私を早く知りたいのでしょう。このようなものがあると助かるのではないですか」とあたかも保守的な精神科医のイメージを取り払いたいように、あるいは格式ばらないように語りかけた。

しかし当時彼はマサチュウセッツ精神医学センターの神経生理学研究室長であり、伝統的精神医学を批判する精神医学者として既に知られていた。

氏の著作には「夢見る脳」「夢見る薬局」「錯乱状態の夢」等がある。最近作の「何か狂っているー精神医学の危機」では精神医学の改革を訴えている。

インタビュアー
単刀直入に言いまして、何故精神医学は狂ってしまったのですか

ホブソン氏
方向を失ったからです。1960年の頃、私がこの道に入った当時は首尾一貫していた。でもその頃の精神医学は精神分析で固まっていた。

それ以後精神分析は言う所の”失敗した神”になっていた。精神科医の多くが精神分析に幻滅を覚えていたし、一対一の関係で助け合う人間的側面を忘れていた。最近には予期しなかった化学療法の登場とその成功がある。医師は充分患者を手当てせずに家に帰す事が出来るようになった。

インタビュアー
精神医学が方向を見失ったのは精神医療を支える州の財政事情もあるのではないですか。

ホブソン氏
勿論その通りです。各州は最早、精神病医療に責任を持っていません。精神医療の民営化がしばしば叫ばれているがそれは無理だ。精神医療ビジネスでお金は儲けられない。患者は重大なハンディーキャップを負っており、例えば抗精神薬を飲んで町を歩けるようになっても健康な人とは大きな隔たりがある。

私が駆け出しの頃は患者を病院の外に出すのは考えられなかった。現在の事態は患者の市民権剥奪以外の何物でもない。私が勤めているマサチューセッツ精神医療センターはこの分野ではトップに位置しているのですが、それでも閉鎖の危機に曝されている。

インタビュアー
何故精神分析は”失敗した神”になったのですか。

ホブソン氏
人々は精神分析に幻滅したのでしょう。結局精神分析はおかしな精神医療なのです。精神分析の世界では全てを精神力学で説明出来るとする雰囲気があります。

私が訓練を受けていた当時、精神分析の残酷さを見ている。例えば治療に重要な客観性を引き出す為と称して、医師は患者から意図的に距離を保とうとした。これが精神分析の凋落につながったのでしょう。更におかしいのは、子供がおかしくなったのは母親に原因があるとしたり、もっと酷いのは患者自身に責任があると言った。

全てを精神力学で説明出来るとする考えが患者を粗末に扱うようになった。私が訓練を受けていた時は精神病の症状を精神分析で抑えるように言われたものですが、そんな事出来るわけが無い。感情転移を妨げるから薬を与えては行けないと教えられた。強硬分裂病と言う本当に発狂した患者にそんな事を言うのですよ。

そして現代の化学療法革命がやって来て、いきなり振り子が逆に振れ出した。精神分析は排除され同時にその良い部分であった人間的心理学や無意識の理解まで追い払われてしまった。

精神分析が落ち目になると同時に脳科学が物凄い発達を遂げた。フロイトが望んでいた脳科学に基づく心理学の時代が遂にやって来たと私は教育関係者に言いたい。

インタビュアー
より良き学生を多く引き付けるには、どう精神医療教育を改変すべきとお考えですか。

ホブソン氏
医療の最後のフロンティアは勿論精神医学です。そこで我々は働けるチャンスがあるのだと言いたい。この分野では心理学、生理学、哲学を統合して患者に語りかける資格と権利がある。こんな分野は他にありますか。

そして教室をもっと楽しいものにしようと考えています。ブラウン大学にフレッド・バーンズと言う教授がいるのですが、彼は精神医学者ほど精神医学を駄目にして、つまらなくした人達はいないと言っている。彼の授業では俳優を呼んで小さなドラマを演技してもらっている。学生は勿論演技に釘ずけになり、授業が大変面白く効果的になるのは想像の通りです。

インタビュアー
先生の仕事である臨床面についてお伺いします。現在の精神医療の状態で勿論普通の健康保険に加入していて、もし先生がご自分の子供が分裂病の症状を示し始めたら何処へ助けを求めに行きますか。

ホブソン氏
途方に暮れます。悲劇的です。何処にも連れて行く所が無いから子供が次第におかしくなるのを見ているしかない。
私自身、脳に障害のある子供がいます。今40歳ですが、何とか上手くやっています。理由は良い場所を発見したからです。彼はグループホームと言う所にいて自助的生活をしています。時々家に来ますが、私の6歳になる双子の子供に合いに来て楽しんでいるようです。

勿論彼が全く別の人生を過ごしていたらと思う時があります。しかし彼を見ると何時も自分が力付けられ、自分の人間性が高まるのを感じます。しかしこの感情は精神科医が患者に努力をする時に等しく感じる感覚で無いでしょうか。

今でも、私がまだこの仕事を始めたばかりの頃診た患者を診ています。重症の患者では一般的に治る事が無いのですが、それでも何とか彼等はやっています。何故なら医師が彼等を手厚く診ているからであり、薬に余り頼らないように指導しているからでもあります。最も大事なのは、彼等にも人間としての位置と場所を提供する事ではないでしょうか。

インタビュアー
最近ヒットした映画にビューティフルマインドがありますが、分裂病の実際を一般に知らせる効果があったとおもうのですが、精神科医として貴方はこの映画が役に立ったとお考えですか。

ホブソン氏
どうでしょうか。あの映画は心の病を単純化してロマンティックに組み立てていますから、一般の人に受け入れられていると思います。しかし生活がトラブルだらけの人を知っています。その人は物凄く熱狂的で、自分が奇跡的に治ったと信じていますが実際は治っていません。

多くの人は心の病の事実を受け入れ無いでしょう。患者に率直に努力をすれば病気は良くなる、なんて考えるべきでは無い。彼等はそう簡単に良くならないし、全く治らない場合もある。患者の家族と医師のあるべき姿とは患者を見捨てない、忍耐を持つ、治せなくても自分たちが至らないからではないと肝に命ずる事でしょう。我々は重大な慢性病を相手にしている。誰も好きな人はいないし、なりたくも無い。勿論家族にもなってもらいたくない。しかし起きる。
                                               
斎藤のコメント
上で扱っているのは分裂病ですから、神経症には当てはまらない。神経症では殆ど健康レベルに回復します。

                                                    

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