精神分析は死んだ

2004年2月18日
フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。

2000年はどうなったか。2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、この問いかけに対する答えは「そう、精神分析は実際に死んだ」なのである。

知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。

フロイトは彼独特の世界にいる。恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。

フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。フロイトは明らかに事実をでっちあげている。例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。

例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。

又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。

このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。そして今、我々はもう一度出発点に戻った。もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。

そしてもう一つ、無意識理論がある。無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18〜19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。

この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。

信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。正にフロイトの創作であった。皮肉な事に、フロイト自身が目的とした精神浄化作用は、精神分析の死により達成されたという、なんとも皮肉な結果になっている。

最初精神分析が出現した当時は笑いものにされたが、その後考慮に値するものに変化し、それが西洋文明と患者に悲劇をもたらし、今日再び精神分析は笑いものになった。さあ、我々はフロイトに審判を与えないとならない。

来年はフロイトの書いた”ジョークと無意識との関係(1905年出版)”の100周年になるが、これを一つ盛大にやろう。2000年時には未だフロイトの死にはっきり賛成を唱える事が出来ない人がいたが、来年には十分機が熟している。このくだらない本とそのインチキ理論を徹底的をあざけてやろうではないか。



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