記憶を消す事ができるか

2004年4月4日
29歳の法律家補助員であるキャスリーンが、ボストン市中央のコングレス通りで配達中のバイクにはねられて横たわっていた。その時に脳裏に浮かび上がったのは「スカートがまくれあがっているのでは。何で今日、スカートをはいてきてしまったのだ。皆、私の下着を見てしまったんじゃない」と言う恥ずかしさであった。

次は大通りを高速で走っている車にひかれるのではと心配した。通行人が集まってきて、交通遮断して彼女を守っているのに気が付かなかったのだ。3つ目は8年前の出来事を思い出した。ある晩車で帰宅中、交通信号で停止していた時に麻薬中毒の男が銃をかざしてドアーを開けて押し入って来た。そのまま車を走らせある廃屋に向かわせて、そこで彼女に強姦をしようとした。

「ちょっとした心の衝撃でも8年前の出来事をフラッシュバックして思い出してしまう」とキャスリーンは言う。このトロウマを治すのに大変長い時間がかかっているので彼女は心配しているのである。「8ヶ月と言うものは夜寝る前に何時もあの事件を考えていました。寝られない時は起き上がってカフェイン抜きのコーヒーを飲み、何かテレビを見て落ち着かせてから寝ました。朝起きるときは頭にピストルを突きつけられて起きる、そんな感じでした」と言う。

この場合、彼女は精神科医に長いこと通院すべきか、強姦されそうになったあの悪夢の交差点を避けた方が良いのか、そしてできるならそのトロウマの記憶を全て消し去った方が良いのかが今回のテーマである。この回答は至って簡単であり、もし彼女が悪夢の記憶を消して苦しみを和らげる事ができるなら、それをすべきなのである。しかし生命倫理の専門家は従来からの認知行動療法とか抗鬱剤を使って治療しつつ、辛い記憶をそのまま持ち続けて生活をすべきであると主張するであろう。過酷な経験こそが彼女の人格の一部を形成しているのであり、それを消してしまうと彼女自身の一部を損ねてしまう事になる。過去を学んで進歩するのが人間であるし、又もし記憶を消失してしまうと犯人が逮捕された時に証言できなくなってしまう、とこう彼等は主張するであろう。

しかしPTSDを研究する学者はこの問題を全く別の方向から見ている。本当のPTSDは治療が極めて困難で殆どの治療に反応しない。だから彼等は記憶を回復する薬とか遺伝子の研究には興味無く、逆に治療的忘却と呼ばれる研究をしている。

我々は誰でも思い出したくない出来事を1つや2つ経験していると思う。思い出す度に悔恨と恥ずかしさで胸が締め付けられるわけだ。もし思い出したくない記憶を消す事ができるなら、我々はそうするであろうか、又そうすべきであろうか。この問題を解くには記憶と言う概念に迫らないといけない。

例えば映画の「メメント」とかごく最近では「Eternal Sunshine of the Spotless Mind」と言う映画が記憶を題材にしているが、後者では2人の元恋人がお互いの記憶を消し去る筋になっている。まだ科学は特定の記憶を切り取るように消し去ると言う事はできないが、最近のこの方面の研究は注目するに値する。

良きにつけ、悪しきにつけ記憶というのは我々自身を作る要素である。苦痛を伴なうからこそ記憶は価値があるであろう。もし厄介な記憶を消し去って記憶を形成させないとしたら、我々は学習して適応する能力を失うかも知れない。

彼女は配達中のバイクとの事故後、マサチューセッツ総合病院の緊急処置室に運ばれた。幸い大事には至らず、切り傷とあざ程度であった。その傷の治療後、精神科看護婦であるアナ・ヒーリーと面接した。ヒーリーはPTSDを予防するある種の実験的治療を試みていた。実験的治療とは精神的ショックを受けた人に直ぐその場で薬を投与し、その後のPTSDを発生を予防できるかどうかを試す実験であった。キャスリーンはこの研究実験に参加する事にした。「やってやろうと思った。PTSDを又起こすだろうと思ったからでなく、カージャッキングに遭って以来PTSDに悩まされていて、自分にはPTSDになる傾向があると思ったからです」と最近になって彼女は言っている。

この実験はハーバード医科大学のロジャー・ピットマン教授が考えたものである。40人の被験者は青い錠剤を1日4回、1週間半飲む。その後9日間に渡って次第に服用量を減らして行く。全部で19日間の実験治療であるが、参加者の半数は何の効果も無い偽薬を飲み、他の半数はプロプラノロル錠剤を飲む。プロプラノロルと言う薬物は脳の中のストレスホルモンの活動を阻害する。

アドレナリンやノルエピネフィリンのようなストレスホルモンのレベルが上昇すると、記憶は強化され、感情を伴う記憶は鮮明になり、強く固定される。強く固定されると記憶は焼き付けられ、PTSDのフラッシュバックとなって人の生活に影響を与える。トロウマ直後にプロプラノロルを与えてストレスホルモンを抑制すれば、この破壊的記憶の固定を阻止きるかも知れない。プロプラノロルと言う物質は感情を伴わない記憶には影響しないと思われる。理由は一般の記憶の定着にはストレスホルモンが関与していないからである。しかし感情が大いに絡んでいる記憶では、良い記憶もプロプラノロルの影響を受けるかも知れない。

ピットマンの仮説がもし確かめられると、記憶と忘却の概念に基本的変化を及ぼす。思い出すか、思い出せないかの原点を捻じ曲げるかも知れない。忘れたほうが良いとする考えは今の時勢、特にアルツハイマー性の記憶喪失が問題になっている時には受け入れられないであろう。誰でも記憶は良い方が良いと思う。記憶を大幅に増進すれば優秀な学校に入り、高い地位につき、年をとっても明晰でいられる。しかし記憶だけを見ると良ければ良いと言う単純なものではない。

「記憶が良すぎると問題を起こす事もある」とカリフォルニア大学の神経生物学学習と記憶センターのジェームズ・マッゴー氏は言う。そしてマッゴー氏は次の話をした。ジョージ・ルイス・ボージが書いた”ヒューンと記憶”と言う本があるが、その中にイリーニオ・ヒューンと言う人物が登場する。ある日、彼は落馬して全身麻痺に陥る。しかし怪我は麻痺ばかりでなく、彼の記憶中枢にも重大な影響を与えて、その事故以来あらゆる記憶を鮮明に思い出すようになった。「例えば、1882年4月30日朝の南の空の雲を鮮明に思い出した。そればかりでなく、一度しか見た事が無い本の表紙の模様まで思い出した。要するにどの森のどの木がどう言う葉っぱであったかを葉っぱを考えるだけで思い出してしまうわけだ」。

このような驚嘆すべき記憶力は十分と言うより不必要なのだとボージは言う。「ヒューンは全く努力もせずに英語、フランス語、ポルトガル語、ラテン語と次々と覚えた。それにも関わらず思考は上手でなかったと思う。あるものを考えるとは物事の違いを無視したり、忘れたり、あるいは一般化し、抽象化する作業なのだ。イリーニオ・ヒューンの世界では詳細ばかりがあり、その詳細もぎらぎらしたものなのである。

我々は普通物事の詳細を忘れる。駅前の駐車場のどの辺に車を止めたか、”可愛らしい”と言う言葉の別の言い回しは何か、憲法が批准された年は何年か等、殆どの詳細は記憶の泥沼に入っていて思い出せない。しかし強い感情を伴う記憶は長期間あるいは一生忘れる事ができないだろう。奥さんとキッスをした事などあまり覚えていないが、奥さんとの初めてのキッスは忘れないだろうとマッゴー氏は言う。

マッゴーと彼の研究仲間であるラリー・ケイルは、単純な記憶テストで感情が働くと記憶が強く固定されるテストをした。ケイルは被験者に12枚のスライドを見せ、その物語を聞かせた。見せるスライドはどの被験者にも同じであるが、グループにより物語は違う。最初のグループには感情的ニュートラルな話しをする。それは”少年とお母さんは家を出る。大通りを渡ると事故起こし壊れている車を見る。お父さんが働いている病院を訪れる。病因では緊急災害訓練をしていて、職員が怪我をした人の役割をして運ばれるのを見る。母親は電話をしてバスに乗り家に帰る”と言う話しであった。

2番目のグループには少し内容を違えて、”少年と母親は家を出る。大通りを渡るがそこで少年は車にはねられる。重傷を負い病院に担ぎ込まれる。病院では外科医が必死に切断された足を接合する手術をする。話しの終わりは第一グループと同じで、母親は電話をかけてバスに乗り家に帰る”と話しである。

2週間後に被験者は研究室に戻り、スライドで何を見たかをたずねられる。話しの筋を言うのでなく、スライドの画像がどうであったかを言う。例えばどの位の人がいて、衣服は何を着ていたかと質問される。

前者の感情的ニュートラルな話しを聞いたグループは話全体を平均に覚えていた。後者の衝撃的な話しを聞いたグループは、特に少年の事故と手術の場面を鮮明に覚えていた。マッゴーはこの実験結果から、300年以上前の哲学者のルネ・デカルトの言葉を思い出す。「感情は我々の思考を強化、持続させる。その思考に害があるとしても感情は思考の強化と持続に役立つ。他は忘れ去る」。

ケイルは更に実験を推し進めた。新しい被験者のグループを作り、彼等にプロプラノロルを服用させて同じスライドを見せ、同じ恐ろしい話しを聞かせた。プロプラノロルはベーターブロッカーと呼ばれる一群の薬に属し、心臓のベーターアドレナリン受容体上のアドレナリンの活動を抑制する。この薬群は心臓病の患者に投与されるが、その中でもプロプラノロルは直接脳に作用する。結果はプロプラノロルを投与されたグループでは恐ろしい話をしても特に記憶は向上していなかった。即ち穏やかな話しを聞いた人と大して変わらなかったわけだから、プロプラノロルが感情を伴う激しい記憶を抑制した事になる。

ハーバードのロジャー・ピットマンはこのマッゴーとケイルの報告を聞いてPTSD治療にプロプラノロルを使う事を思いついた。ピットマン自身、ベトナム戦争退役軍人のPTSDの治療に長年携わってきたのだが、プロプラノロルが彼等の苦しみを解決するのではと考えた分けである。

「ベトナム戦争退役軍人と共にPTSDを調べていると、PTSDとは単なる悪い記憶とは違い、少しベトナムを思い出すだけで物凄い詳細がよみがえって来る。例えば臭いとか温度、誰と一緒にいたとか物音まで聞こえるわけだ」とピットマンは言う。

被験者に選ばれた人達は全員、一度以上マサチューセッツ総合病院緊急処置室に入った経験を持つ。あるものは性的に襲われ、あるものは車を運転していて木にぶつかり、又工事現場に開いていた大きな穴に落ちた人もいる。多くの人は快く実験に参加してくれたのでアナ・ヒーリイは安心しているが、実際は拒否する人もいた。ピットマンに言わせると数人はトロウマの追体験はあまりにも苦しくてできなかった。

キャスリーンは実験の最中、自分はプラセボ(偽薬)を飲んでいると思っていた。何故なら薬を飲んでも殆ど変化が無かったからである。彼女は事故にあった3ヶ月後にマサチューセッツ総合病院に戻り、事故の詳細を語った。研究者は事故の模様を100の単語から成る物語に編集し、テープレコーダーに録音した。1週間後に病院に戻り彼女はそのテープを聞いた。その時に研究者は彼女の発汗、心拍、筋肉の緊張を測定しストレス度合いを判断した。他の被験者も同様にしたのであるが,プラセボを飲んだグループでは43%の人がストレス反応が示したのに対して、プロプラノロルを飲んだグループでは誰もストレス反応を示さなかった。キャスリーンも同様にストレス反応を示さなかった。しかし被験者に事故の記憶が生活に重大な影響を与えているかどうかを聞いたところ、両グループに大きな差が無かった。

NIMH(アメリカ精神衛生研究所:The National Institute of Mental Health)はこの実験でプロプラノロルが効果があるかどうかを大変興味深く見ていた。もしピットマンの治療が成功しても、それは生活を妨げる記憶の痛みを和らげるだけであり消し去るものでは無いから、映画の「Eternal Sunshine of the Spotless Mind」のような話とは違う。今年の夏にはピットマンはもう一度被験者を募り、今度は128名ほど集めて実験を開始する。費用はNIMHが持ち、半数がプロパラノロルを飲み、残りの半数がプラセボを飲む。今度は事故の映像を見せ、事故後の1ヶ月と3ヶ月後のストレスレベルの測定をする。

「次回のテストでは思わしくない結果がでてもしょうがないと思っています。しかし被験者の20%に効果が出たとすると、その20%こそがPTSD治療に寄与するのです。PTSDで悩む世界中の人の20%を治すと考えてみてください」とピットマンは言う。

ピットマンの方法は緊急処置室に来るトロウマを受けた患者の全員に対して薬を飲ませると言う大雑把なものである。トロウマを受けても70%の人は特別な処置をしなくても、何の精神的後遺症もなく快復する。プロパラノロルは過去長く高血圧の治療に使われた薬であり、安全性は保証されている。しかし、比較的安全な薬にも危険が潜む場合がある。(プロパラノロルは今は心臓病には使われていない。現在ベーターブロッカーが多く処方されているが、その多くは脳に到達しない為、感情記憶には作用しないと考えられる)。もしピットマンのこの研究がPTSD予防の標準的治療法になると、薬を飲まなくても自力で治る人までも予防的に薬を与えられる事になる。

より良い方法はPTSDになり易い人だけ選び出して、出来るだけ早く治療をする事だ。しかし問題は、誰がなり易いかである。今までの研究では、PTSD患者の海馬(記憶中枢)は普通の人より小さいと発表されている。しかし海馬の大小がPTSDを引き起こす原因なのか、それともPTSDになったから小さくなったのかは今まで分からなかった。

ピットマンは1卵生双生児の脳を研究して回答を見出そうとした。一卵性双生児の内、片方がベトナム戦争に従軍して、もう一方が行かなかった135組を調べた。これらの双生児もPTSDを発病した人とならなかった人がいる。PTSDを発病した双生児の海馬はPTSDを発病しなかった双生児のそれより小さかった。これから小さい海馬がPTSDを引き起こしているのでは無いかと推測できる。

大雑把な処方を避けるには、トロウマ後ある程度経過を見て、誰が発病するかを判断してから処方すればよい。でも、どれほど待てば良いかは誰も分からない。トロウマ記憶の定着を阻止する時間は何時か。バーバラ・ロットバウム(エモリー大学のトロウマ、不安治療プログラム研究室長)によれば、2〜3週間でだれが発病するか分かると言う。

「一般的には、トロウマを受けた直後の反応からは誰がPTSDを発病するかは分かりません。大概は1ヶ月を経過した後にPTSDはやってきますが、その後は大体どんどん症状は改善して行きます」とロットバウムは言う。彼女によればトロウマを受けた直後の悪夢、不眠、強迫症状等の反応は誰もが避け難いと言う。

1ヶ月後にも改善しない人がPTSDを発病する分けだが、経験的に4ヶ月が経っても症状が消えない場合は4年間は症状が消えない。もしそのまま治療も受けないでいると、恐らく何十年も悩まされる事になる。問題は正確に誰がPTSDを発病するかを見届けようとすると、治すチャンスを逸っしてしまう事であるとロットバウムは言う。

このジレンマを解決する手がかりは、記憶の再統合と言うプロセスにある。かなり激しい記憶もそれ自体では消えやすい。だから記憶が再統合する前にプロプラノロル等の薬品を使ってそのプロセスに介入すれば、トロウマ記憶を消去できる可能性があるわけだ

「トロウマを思い出した時、その時こそトロウマ発生以来経験した記憶に書き換えられる時である」とニューヨーク大学の神経科学のジョセフ・レドー教授は言う。トロウマの記憶がよみがえった時、例えばピットマンが実験でやったような物語をつけた画像などを見る事がこの情報の書き換えに相当する。この状態は大変不安定であり、脳内に新しい蛋白質が合成されないと記憶の再統合が起きず、記憶は消滅して行く。

レドー教授の研究チームはネズミを使って記憶の再統合を研究した。ネズミに音楽を聞かせその度に足に軽い電気ショックを与え、24時間後にもう一度その音を聞かせトロウマの恐怖記憶を再現させた。しかしこの時は電気ショックを与える代わりにネズミの脳にアニソマイシンを注入した。アニソマイシンは動物実験にだけ許される薬物で、ある種の蛋白質の合成を妨げる。この蛋白質は新しいシナプスを作成するのに必要であり、記憶の統合と再統合に重要な役割をしている。

アニソマイシンを投与後約2時間に渡って恐怖の記憶は存在した為、音を聞かせるとネズミは恐怖でうずくまった。しかし24時間後では恐怖反応は最早起きなかった。「恐怖記憶が完全に消滅したようだ」とレドーは言う。アニソマイシンは蛋白質の合成を停止させたのである。新しい蛋白質が無ければ再統合された記憶は固定される場所が無く、原体験の記憶も消滅した。

レドー氏が分からないのはその元の記憶が消えたのか、あるいはあるのだが取り戻せないだけなのかであった。「記憶の消滅は記憶をコードに変換するのに失敗した為か、あるいは記憶の回復を妨害したのかが分からない。多分、記憶はまだネズミの脳に存在すると思う。ネズミはそれを回復できないだけだ」とレドー氏は言う。我々も同じで、記憶を忘れたようでも思い出す時がある。

ピットマンもこのネズミの実験でネズミの最初の体験記憶は脳の深くに存在すると言う。恐怖を誘う音楽の音を聞かせてもネズミは全く平静にしているが、そのネズミの扁桃体(恐怖を感じる脳の中枢)を調べると忘れているのではなく、何時でも恐怖を爆発させる状態にあるのが分かった。ネズミが驚かない理由は、下辺縁皮質( infralimbic cortex)と呼ばれる脳の部分が”恐怖する必要が無い”と言うシグナルを発している為である。下辺縁皮質が扁桃体の恐怖反応を抑えているわけで、記憶は妨害され埋もれているが未だ存在している。

この実験は長い間忘れていた恐怖が突如よみがえる事事を証明している。キャスリーンはバイクとの衝突で大した怪我をしなかったのに、彼女の前の悪夢であるカージャッキングと暴行を思い出してしまったのである。例えば第2時世界大戦の帰還兵がPTSDをとっくに治しているのに、その40年後に前立腺癌を宣告されて、突然戦場を思い出して悪夢にうなされることがあるのと同じだ。

もし人が恐ろしいトロウマの記憶に苦しみ、思い出す度にそれが新鮮に迫り、生活を破壊するほど激しかったら、そのまま何もせずに苦しみに耐えるべきか。そうだという人もいる。去年の暮れ、大統領生物倫理審議会が”療法を超えて:生物工学と幸福の追求”と言う報告書を提出した。この報告書の一部で科学的記憶消去に言及し、この方法は必ずしも賢明でないと結論している。

「我々の記憶の内容を変化させたり、感情の色調を変えるのは、例えそれが罪の意識や精神的苦痛を和らげるのに望ましいとしても、我々の基本を微妙に変化させる。苦しみ、不安、後悔は人生で当然起きる感情であり、もし新しい薬で我々の人生経験の記憶の一部を消すと、我々の欠陥と限度に真剣に立ち向かう手段を破壊するのでは無いか」とその報告書は述べている。

審議会のメンバーの1人であるドレッサーが審議会を代表して意見を述べた。「苦痛な記憶を受けるからこそ同情も生まれる。我々が苦痛を味わうと同じ経験をする他者に対しても同情心が起きる。我々は苦痛が必要なのだ。しかしどれが病的な苦痛なのであるかは判断が難しい」とセントルイスのワシントン大学医療倫理学のドレッサーは言う。

病的な苦痛を定義する事は難しい。個人にとっての病的な苦痛は社会の病的苦痛と違う。社会にとっては個人が各々の苦しい記憶を保持した方が望ましい。それこそが各人の行動を規定するものであるからだ。「確かにある種の苦痛記憶は我々は持ちたくない。しかし他の人には持ってもらった方が安全なのだ」とドレッサーは言う。倫理学の専門家の中には、苦しい記憶こそが我々の人格を作る要素であり、それを無くすと我々そのものを消す事になるから、個人にとっても苦痛に耐えた方が良いと言う人もいる

「自分が受けた激しい苦しみの記憶をぼかしてしまうと社会の悪、残酷、人の苦しみに心が動かず、余りにも安楽に流れ過ぎないであろうか。人類の犯す悪を真剣に見る時、我々は完全には安楽でいられないのだと自覚する」と審議会の報告書が述べている。「我々の最も恥ずべき、恐ろしく、嫌悪する記憶をぼかすと我々の素晴らしい記憶までもぼかしてしまうであろう。苦痛に鈍感になると喜びにも鈍感になる」と続ける。

それでも記憶を研究する学者は、戦争とか強姦、テロのような生活を破壊する記憶は個人にも社会にも必要が無いと主張する。「人生とは苦痛の連続かもしれない。楽しい事ばかりでない事は承知している。しかし、ある種の経験は異なる。例えば、社会は国を守る為に若者を戦場に送り込む。それなら社会は戦争帰還者が戦争の恐怖に苦しんでいる時、それを助ける義務がある」とコロンビア大学の精神科および生理学の教授であるエリック・カンデル氏は言う。

もちろん戦争の苦難の経験は再び戦争起こさないのに役立つ。ベトナム戦争従軍者でPTSDに苦しむ人は戦争反対運動の先頭に立っている。しかし我々に、彼等の犠牲の上に、戦争反対の良心を買う権利があるであろうか。もし戦争で肉体を負傷した兵士を治療する義務があるなら、心の傷を癒す義務もあるのでは無いか。

人間は精神的痛みが無くてもそれ自体で豊でもあり、また大変複雑であるとダラスの南メソディスト大学倫理学名誉教授のウィリアム・メイ氏は言う。「過去の出来事に身をすくめ、思い出す度に苦しみ、未来を暗く描くのは人生に良くない。人を過去に縛り付けてしまい抜けられなくなる」と続ける。

PTSDの苦しみを間近に見ないで、過去の苦しみの記憶も大切だと言うのは易しい。PTSDで障害を受けた人は生活に大幅に制約を受けている。PTSDは何等高尚なものでは無い。もし社会がPTSDに苦しむ人をそのまま過去の記憶に苦しめさせて良いとするなら、我々は随分歪んだ見方をを持つ社会に住んでいる事になる。



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