何処から狂いとするか

2009年3月11日
もし貴方が読みたい本のリストを作るとして、その最初に来る本はどんな本になるであろうか。アンナ・カレーニナか聖書か、それともこんな本はどうであろうか。「精神疾患の分類と診断の手引」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 略してDSM)。

この本を最初に選ぶ事はないと思うが、DSMは世界でも最も重要な書籍の一つである。この本は我々の心の病気をカテゴリーに分類しコードナンバーを振り当てている。扱う心の病気の種類は莫大で、統合失調症、境界領域人格障害から算数障害と呼ばれる聞きなれないものまである。算数障害とは心の病に入るほど算数が苦手な心の障害らしい。

DSMが重要なのは、その野心的試みばかりか、世界の精神科医がこの分類と診断基準を実際に使っているからだ。アメリカでは、もし医師が患者にDSMに記載されているコードナンバーで診断しなければ、患者は保険会社から給付が受けられない。(ちなみに先ほどの算数障害のDSMコードナンバーは 315.1、トゥレット症候群は307.23、性的サディズムは302.84になっている)。

アメリカ精神医学協会(The American Psychiatric Association、略してAPA)がDSMを作成しているが、1952年に第一版を出版し最新版であるDSM-Vを2012年に予定している。しかし、この第5版の研究開始は第4版が出された5年後の1999年にさかのぼるから、新しい版を出すのに13年かかったわけだ。

研究機関であるアメリカ精神病理学協会(the American Psychopathological Association、略してAPPA)は先週 DSM-V作成に関わる人達をニューヨークに集めて討議した。時間がかかる最たる理由は、狂いとは一体何かを定義するのが大変難しいからだ。誰でもこの問題については譲れない一線があるであろう。

有名な例に同性愛があるが、1974年にアメリカ精神医学協会がそれを削除するまでDSMに記載されていた。またある種の心の病気は記載されて保険でカバーされているのに、他の心の病気は記載されていない。例えばセックス拒否障害(302.79)は載っているのに強迫的セックス障害は載っていない。

何がDSMに記載されるべきで、何が記載されるべきでないかは大変重要問題だから、会議は激しいものになる。しかし、私はDSMには心の問題を扱う上で1つ決定的間違いがあると思う。それはDSMが心の病気の原因、動機を完全に無視しているからだ。例えば貴方が3ヶ月も塞ぎ込んで疲れているとする。決断がつかず不眠に悩まされ体重が増加すると、医師はDSM基準で鬱病の296.31 あるいは 296.32の診断を下す。例えその落ち込みが単に失職しただけでもこのようになる。不眠のような生理的反応は進化の過程で自然に身につけたはずで、大きな精神的ショックには当然の反応だ。しかしDSMは健康以外は総て病気にしてしまう。もう一つのDSMの問題は、心の問題のような極めて複雑なものを簡単な数字にしてしまうことであろう。

先週の会議ではDSM第5版を出版するに当たって新しい動きが見えた。ハーバードの学長で前のアメリカ国立精神衛生研究所の所長であるスティーブン・ハイマン氏が会合で、心の問題をオール・オアナッシング的発想で扱うべきではないと主張した。例えば、白血病ならば白血病かそうで無いかをすっきり決めてよいが、鬱病ではそうは行かない。

ハイマンは心の病気と言うものは連続しているものであり、健康、正常から障害、悲劇的状態まで連続するスペクトラムであると主張した。心の病気は、正常と連続しているとの考えは従来の考えとは対立する。心の病気とは白血病のようなものより高血圧に近いと考えるわけだ。貴方の年齢、測定した状況その他の環境を考慮して、尚且つそれ以上に血圧が越えた時に高血圧と診断されるべきだ。鬱病も同じであり、離婚して気持が落ち込んでいるのに、DSMがいきなり鬱病と判定すべきではない。

以上のように診断基準を作成するのは容易でなく、新しい版を作るのに13年間も要した。しかし医師は患者が保険会社から給付を受けるためにもコードナンバーを振る必要があるから、そのまま待っているわけには行かないとハイマン氏は言う。

ハイマン氏によれば、病気はそれが心の病気であれ体の病気であれ、原因は遺伝子、環境、動機の三つの組み合わせで起きると言う。最近の科学の発展により、病気を発生させる特定の遺伝子が発見されているにも関わらず、遺伝子だけで発病する心の病は殆ど無いと言う。レット症候群がその唯一の例外だ。

例えば、神経症の一種である全般不安症はコードナンバー300.02であるが、この病気を引き起こしているのは扁桃体を過剰に反応させる遺伝子ばかりでなく、仕事上でのつまずきや自分自身の過ち、あるいは偶然巻き込まれた交通事故など色々考えられる。DSMはこれ等総てを考慮に入れながら、尚すっきりとした診断基準を出さなければならない。

ハイマン氏によると、今DSMがやっているやり方はゴミ箱診断方式と言うやり方だ。”この診断以外は特定出来ない”と称して総て一箇所に放り込んでしまうわけです。これだとかなりの多くの人が”この診断以外は特定出来ない”とされるわけだ。2005年のAmerican Journal of Psychiatryによれば、ロードアイランドで精神科に訪れた859人の内のおよそ半分が、この診断基準で人格障害に入ってしまう。患者をはっきり診断できなければどうして適当な治療が行われるであろうか。

ハイマンが主張する心の病気は連続するものであると言う考えは、心の問題を処理する上で一歩進んでいる。人は単に少し気が沈んで不安であるくらいかも知れないのに、その人を薬漬けにするのは良くない。DSM第5版では心の病気は連続するものと考えながら、尚その限界点を置こうとしている。

もちろんDSMが扱う350もの心の病気の限界点を決定するのは容易なことではない。鬱病などの限界点策定は出来るが性的サディズムのようなのものまでは考え難い。

アメリカ精神病理学協会の会議に出席した人によれば、新しいDSMは確実に心の病気を連続体として取り扱うと言っていた。この3日間の会議である種の結論が出るであろうが、我々の心の問題を総て扱うのは容易なことでは無い。だから最新版が2012年を更にずれ込んでも一向に不思議ではない。



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