鬱の原因についての再考

2001年12月4日
 
今まで何年もの間、鬱病の治療と言えばセロトニンと言われていた。セロトニンとは神経伝達物質の1つで感情をコントロールする物質と考えられている。例えば最もポピュラーなプロザックはシナプス中により多くのセロトニンを保つ効果があり、しばしば鬱病に劇的効果を示した。アメリカには現在1900万人の鬱病患者がいて彼等には重要な薬となっている。

しかし科学者は鬱病ーセロトニン説は余りにも簡単過ぎる理論と最近は考えている。鬱病は感情脳=思考脳と原始的脳幹=視床下部といわれる部分の連絡に問題が生じている為ではないかと考えられている。視床下部とは基本機能である睡眠、食欲、性欲をコントロールする脳である。ある場合は化学物質が原因で起きているがそれは問題の一部に過ぎない。

トロント大学の科学者は大脳辺縁系(感情脳)の一部領域が抗鬱剤が効くかどうかを決定する役割をしていると発表している。この部分は24aと呼ばれる部分であり、ここが活発に活動していると抗鬱剤は良く効き、活発でないと患者に抗鬱剤は効かない。

ボストンにあるべスイスラエル・デアコネス・メディカルセンターでは鬱病治療に全く化学物質を使わない治療を研究している。ここでは経頭蓋磁気刺激装置と言うものを使って頭上につけられたこの装置で脳の前頭前野皮質を活発化する試み。鬱病では前頭前野皮質がしばしば活動不活発状態になっている。

ベルモントのマックリーン病院では鬱病を発生させるであろう全く新しい化学物質を発見した。ダイノルフィンと呼ばれる物質で構造的にエンドルフィンに近い。エンドルフィンはマラソン・ハイと呼ばれる恍惚状態を作り出す脳内化学物質です。

これら新しい研究は今までにプロザックでは効果が無かった鬱病患者(強い悲しみ、思考障害、不眠等の症状を持つ)に光明を与えることでしょう。既にカリフォルニア大学ロスアンジェルス校の精神科医チームは改良した脳造影装置(EEG)を使って患者がプロザックを使って効果が出る数週間も前に既に効果の予測をする研究に取り掛かっている。

事実を言うとセロトニン不全だけが鬱病の原因とは今まで立証されていない。攻撃的な人や自殺企図のある人のセロトニンを分析した所そのレベルが低かったと言うデータから推論しているに過ぎないとカリフォルニア大学の神経精神医療研究所の責任者であるピーター・ホワイブロー博士は言っている。今や人が鬱状態である時、単にセロトニンのレベルが低いだけでなく脳の患部で色々の問題が発生しているのが分かって来ている。

脳は化学物質だけでなく電気シグナルでも動いている。1つの脳細胞で電荷が発生するとその脳細胞は神経伝達物質を発射する。神経伝達物質は細胞から次ぎの細胞に浮かんで移動し次ぎの細胞に取りこまれると新しい電荷を発生する。この反応が繰り返され事によって電気回路を構成すると、べスイスラエル経頭皮磁気刺激装置研究室のアルバロ・パスカル・レオーネ博士は言う。

「今まで製薬会社は方程式の化学部分にのみ注意を注いでいましたが、鬱病は電気回路を正常に戻す事によっても治す事が出来る」と博士は言う。今までに行われている方法には電気ショック療法がある。脳全体のひきつけを起こすやり方であり、効果が確かめられているが、混乱と記憶喪失の副作用がある。

未だ実験段階ではあるが経頭皮磁気刺激装置(TMS)があると博士は言う。この装置では前頭前野皮質にのみ作用してそれを活性化させる。結果的に大脳辺縁系に影響を与え脳全体をひきつけさせたり、記憶喪失させる事無しに鬱病を改善する可能性がある。

鬱病に関してブレインマッピングで判明しているのは左右の前頭葉(目の後側の部分)及び左右の頭頂葉(脳の頂上左右の部分)が不活発である事と感情脳である大脳辺縁系が過剰に活動している事である。
しかし大脳辺縁系と思考をつかさどる前頭前野皮質は神経細胞でつながっているとトロント大学の神経学と精神医学教授であるヘレン・メイバーグ博士は言う。博士はPETスキャンを使って脳内の血液流を測定して鬱病を構成する回路をつきとめようとしている。

如何に前頭前野皮質と大脳辺縁系が密接に連結しているかは鬱病の人が不安や気持ちの落ち込みをを訴えるばかりでなく、考えが上手くまとまらない思考障害に陥っている事実からも説明できる。「鬱病の人は確かに悲しい。しかし医者に来る本当の理由は思考が混乱しているからです」と博士は言う。

前頭前野皮質と大脳辺縁系全体が上手く作動していないばかりでなく、鬱病の人ではその下位の部分でも変化が生じていると最近は見られている。海馬と呼ばれる部分であるが、この部分は学習と記憶に重要な部分であるが、しばしば鬱病の患者では収縮が見られる。理由としてはストレスホルモンであるコルチゾルの過剰分泌で損傷していると考えられている。又恐怖を発生させる部分である扁桃体も関与しているのではと見られている。

更に他の下位部分も関与しているらしい。例えばメイバーグ博士はボランティアの被験者に悲しい場面を想起するよう求める。被験者が泣き始めるとPETスキャンで被験者脳内の血液の流れを捕捉する。最も熱くなる場所、即ち血液流が最も活発になる所は大脳辺縁系の一部であるエリア25と言う場所であった。この部分が熱くなるに従って前頭葉皮質即ち思考脳は作動停止状態になった。

健康な人では悲しい気分に浸っても脳は元の状態に迅速に回復できる。「健康な人では例えば電話が鳴る、赤ん坊が泣く、上司の声が聞こえる等で悲しい気分を吹っ切り、思考脳が直ぐ活動を開始する。しかし鬱病患者ではこの回復するスイッチの部分に問題が生じている」と博士は言う。

理由はエリア25は感情をモニターするセンターであるエリア24aに直接リンクしているからである。ある種の鬱病患者ではエリア24aは物理的に”オン”の状態のままになっている。ある意味で脳が必死に感情の高まりをコントロールしようと試みている状態と見て良いとメイバーグ博士は言う。でもこれは良いサインでありエリア24aが活発に動いている患者は抗鬱剤を投与すると良い効果が見られるのに対して、活発でない患者では薬の効果が現れない。

メイバーグ博士が使うPETスキャンは脳内の血流を検知するのに対して、UCLAのアンドリュー・ルチター博士はもっと簡単な装置で患者が薬に反応するかどうか判定出来る研究を進めている。装置はEEG量測定法(QEEG)と呼ばれる手法です。

ルチター博士は前頭前野皮質の活動が不活発な鬱病患者をこの装置で前もって測定して置いて、続いてプロザックを投与する。症状の好転には普通6週間かかる。投与して最初の数日は患者よっては前頭前野皮質の活動、特に目に近い部分が更に低下するが1週間後からは活動が活発化する。しかし別の患者ではこの最初の数日間の活動低下が見られない。博士は患者を繰り返し調べた所この最初に低下現象を示す患者は薬に良く反応し、示さない患者は反応を示さなかった。

「患者が一度抗鬱剤を服用開始すると我々は1週間以内に効果が現れるかどうか見当がつけられる。ある患者には薬が患部に良く効いていると告げられるし、そうでない場合は他の薬を勧めます」と博士は言う。

更にここにネズミを使っての実験がある。ネズミを使って鬱状態を観察するのであるが、この行動観察研究は「強制水泳試験」と言われている。
実験では健康なネズミを水槽に入れて強制的に泳がせる。最初の10分間は必死に泳ぐが諦めてその後は救い上げるまで浮かんでいる。翌日にも同じようにネズミを水槽に入れると今度はもっと早く水泳を諦める。大体2分ほどで諦めてしまう。これは学習された希望喪失、即ちある種の鬱状態である。このネズミにプロザックを投与すると効果が現れ2日目もそれほど早く泳ぎを諦めない。

「今までの全ての鬱病治療即ち薬、電気ショック、経頭皮磁気刺激法等はこの強制水泳テストに影響を及ぼす」と神経生物学博士のマックリーン氏は言う。

神経科学誌の最近号ではカーレゾン博士はネズミをさらに長く泳がせる方法、即ち鬱を回復させる方法を示している。研究チームはCREBと呼ばれるタンパク質に注目している。CREBはダイノルフィンを作る遺伝子を活性化する物質である。ダイノルフィンはエンドルフィンとかエンケファリンのタイプの化学物質に近く脳内鎮痛物質です。エンドルフィン、エンケファリンと違って気持ちを不愉快にする作用があると博士は言う。

カーレゾン博士はヌクレウスアカンベンスと呼ばれる脳の部分にCRBEを注入する手法を取る。結果的にダイノルフィンのレベルをコントロールする事になる。ネズミがCREBを取り過ぎるとたった1分間の水泳の後に泳ぎを諦める。即ち鬱状態になった事を示します。ここでCRBEを阻害する手段を取るとネズミは水泳チャンピオンの様に泳ぐ。これはCRBEがダイノルフィンを増加させて鬱を引き出す物質として働いた事を意味すると博士は言う。と言う事はプロザックより早く効果が出る抗鬱剤の開発が可能である事を示しているのですが、今の所人間の脳に入るダイノルフィン拮抗剤と言うものは発見されていない。

事実を言うと、上に挙げた鬱病の諸新事実を統合的に説明する新理論が未だ出来ていない。確かな事は鬱病とは性格の欠陥でもなければ単に脳内化学物質だけで引き起こされる単純なものでもない。マックリーン鬱病、神経症クリニックのスコット・イーウィング博士によると鬱病の原因が次第に明かになると10年以内にもっと確実で即効のある抗鬱剤が開発できる可能性がある。


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