吃音治療薬を求めて
 
2006年9月12日
ジェラルド・マグワイアー氏は子供の頃、ドモリに苦しんだ。クラスで先生に呼ばれた時はドナルドダックの声を真似をして答えた。これなら何とか発声できたからだ。どうしても難しい時は発音しやすい別の言葉を選んだ。しかし電話に立つのはどうにもならなかった。自分の名前は言い換える方法が無いからだ。

カリフォルニア大学で精神科医をしているジェラルド・マグワイアー氏は、現在アメリカにいる300万人の吃音に苦しむ人を救いたいと考え、吃音治療薬の臨床テストを開始し、自分でもその薬試している。

今年の5月にインデバス製薬会社が、パゴクローン(pagoclone)と呼ばれる吃音治療薬の大々的臨床テストをして、もし成功すれば政府に認可された最初の吃音矯正薬になるだろう。

吃音とはかつては不安症、あるいは情緒の不安定により起こると考えられていたが、最近は遺伝子が絡む神経障害ではないかと考えられ始めている。

「これはこの10年に起きた大きなパラダイム変化です。私が学生の時には、吃音の文献など何も無かった」とマグアイアー氏は言う。

研究者は脳スキャン、DNA研究、その他最新の技術を使って吃音に迫っている。吃音の歴史は古く、古代イスラエルの宗教的指導者であるモーゼも、吃音ではなかったかと専門家は推測している。何故ならモーゼが神に、自分は舌の回りが遅く話しが遅いので、兄弟であるアーロンに話させると言っているからだ。

吃音には分からない事が多く、治療法もはっきりしない。大体、各国国民の1%が吃音障害では無いかと言われているが、実際はそれより多いであろう。男性は女性より多く、その差は4対1と開いていて、理由は分かっていない。

大体、吃音は2歳から6歳の言葉を習う重要な期間に始まる。吃音者の4分の3は何の治療もせずに治ってしまうが、それ以外は大人になっても吃音は残るとイリノイ大学でスピーチと聴覚の研究をしている名誉教授のユード・ヤイリ氏は言う。彼自身もどもる。

吃音者は音節を繰り返したり、しばらく黙り、その後無理して言葉を出す時に顔をゆがめたりするが、これが彼等を大変苦しめる。職を見つけるのが難しいし、昇進にも影響する。友人や異性との交友にも障害が及ぶ。吃音者の中にはしゃべらなくて済む人生を選でしまう人もいる。

「でも、吃音はからかいの対象になっても良い数少ない病気です」と自分自身もどもる広告会社重役のアーニ−・カダディオ氏は言う。

熱心に野生動物の保護を訴えるアラン・ラビノウィッツ氏は小学生の頃、先生に呼ばれて答えるのが苦しくて、鉛筆で手を刺し、病院に収容されたと言っている。

吃音者の多くが自然に治ったりセラピーで何とか改善している。有名な所ではウィンストン・チャーチル、マリリン・モンローが吃音を治している。作家のジョーン・アップダイク、上院議員のジョセフ・バイデン、俳優のジェームズ・アール・ジョーンズ、ジャーナリストのジョーン・ストッセル、歌手のカーリー・シモン、スポーツキャスターのビル・ウォルトン等が吃音である。

今まで長い間、吃音には色々な説が登場した。ベンソン・ボッブリック著「もつれた舌;吃音と歴史、その治療法」によれば、性的執着、感情障害、不安、幼児期の養育等があった。

2、30年前に登場したのが両親説で、子供が言葉を覚える時に自然に起きる言葉の繰り返しを、両親が強く注意した為とする説である。最近は、神経に問題があるとする意見が台頭してきた。もちろん心理的ストレスが問題をこじらすとも考えられている。

ブレインスキャンの研究によると、どもる人の脳はそうでない人の脳とは違う反応示す。トロント大学のスピーチ言語病理学者であるルク・デ・ニル氏によれば、普通の人では、スピーチ処理を脳の左半球で行っているのに対して、吃音者では右半球でやり、しかも活動領域が異常に広い。

マグアイアー氏等の研究では、吃音者の脳では神経伝達物質であるドーパミンが過剰に存在しているのが確認されている。

吃音は部分的には遺伝子が関与しているようだ。国立聴障害、コミュニケーション障害研究所の遺伝子学のデニス・ドレイナ氏は、吃音で訪れる人の半分に身近な家族に吃音者がいると言う。

吃音に関連する遺伝子は沢山あり、その1つ1つの寄与率は少ないと考えられている。だから遺伝子の特定が難しい。

しかし、数年前にカメルーンから吃音のインターネット会議で書き込みがあり、そこの有力な家族に吃音が多く発生しているとの報告で、事態は大きく変化した。書き込みした人によると、彼の家族は大人が106人いて、その内の48人が吃音である。明らかに遺伝性を示唆し、一つの遺伝子の変異から生じている可能性がある。

ドレイナ氏の研究チームはこの家族の遺伝子を調べて、第1染色体に50から60個の関連遺伝子を突き止めた。一方、パキスタンの吃音者を沢山出している家系からは、第12染色体上に関連遺伝子を発見し、その同定を進めている。

吃音はその原因ばかりでなく治療も難しい。ボッブリックの本によれば、16世紀のイタリアの医師は点鼻薬を吃音者に処方した。この薬は脳の湿気を取る目的であった。アメリカインディアンは吃音者に板に開けた穴から唾を吐かせて、悪魔を咽喉から吐き出すように命じた。

現在の吃音矯正法では、ゆっくり発声したり母音を長く発生する練習をする。会話に先立ち恐怖と不安を取り除く訓練をすることもある。

「これらの練習で大人は大方上手くしゃべれるようになります。しかし文献としての治癒例を大人に求めるのは大変難しい」とコロラド大学のスピーチ言語病理学のピーター・ラミング氏は言う。

吃音矯正器具も発売されている。スピーチイージーと呼ばれる装置では、それを耳に装てんする。ここに向けて自分の音声を少し時間を遅らせ、音程を変えて送り込む。吃音者は、他の人と同じ音程で合唱したり、同時に話したりするとどもらない傾向があり、これを合唱効果と言う。装置はその現象を利用している。メーカーであるジェーナス ディベロプメントによれば、60万円程で2001年以来6,000個を販売している。

専門家は、この装置は一部の吃音者に効果があるだけで、多くは効果があっても間もなく消滅したと言う。

薬に関しては、吃音以外の目的に開発された薬を使ってテストが行われた。マグアイアー氏は、ジョンソンアンドジョンソン社のリスパーダルと、イリ・ライリー社開発のジプレクサを使ってテストをした。多少の効果を示したが、両社とも大規模なテストはやるつもりは無いようだ。

これがマグアイアー氏を腹立たせているのであるが、氏によると吃音矯正薬は大きな市場になりうると言う。今まで、製薬会社は不安とか集中困難を病気と見立てて薬の売り込みを熱心に行ったが、それが今批判されている。マグアイアー氏によれば吃音は問題なく病気だと言う。

吃音の薬を市場に出す難しさは、今まで、吃音治療はスピーチセラピストの領域で、彼等は薬を処方出来ないし、またそうする事に反対をするからだ。「薬には拒否反応を示す人が沢山います」とピッツバーグ大学のスピーチセラピストであるスコット・ヤルス氏は言う。

もう1つの問題は薬の副作用であり、統合失調ならそのリスクも我慢できるが、吃音には許容できないだろう。

ジプレクサは体重増加と糖尿病の関連が指摘されている。マグアイアー氏自身、ジプレクサを7年間飲んで吃音が大きく改善したと言う。その間に10kg体重が増加したが、中年にさしかかっているから当然だろうと彼は言う。

最新の薬はパゴクローンであるが、この薬は最初パニック障害と神経症治療に開発されてテストされたが、その結果ははっきりしなかったので、開発会社のファイザー社はその権利をインデバス社に譲渡した。

このテストでどもりが改善したとの報告があったので、インデバス社は、薬の吃音矯正部分をカバーする特許を獲得して臨床テストを実施した。このテストでは88人の吃音者が本物の薬を飲み、44人が偽薬を飲んだ。被験者は、薬の飲み始める前と飲んでから4週間と8週間の後に、会話や朗読をしてそれをビデオに収められた。

ドモリを判定する人は、どの人が本物の薬を飲んで、どの人が偽薬を飲んでいるかは分からないようにしている。判定はどもった音節の数の割合と、どもった音節の最長3つの持続期間で計られた。同時にスピーチの質も判定された。

殆どの例で、本物の薬を飲んだ被験者が偽薬を飲んだ人より良い成績を残している。8週間後には、薬を飲んだ人達で改善した割合が55%であるのに対して、偽薬を飲んだ人達では改善が36%であった。副作用としては頭痛と疲れが報告された。

しかし、未だ公式発表が出るまでは実際どれほどの効果があって、どれほど実生活改善効果があるか分からない。未だ、薬がどのように作用するかも特定出来ていない。単に不安レベルを下げるだけなのか、あるいはスピーチを向上させる効果があるのか。薬は脳内のGABAと呼ばれる受容体を活性化して、心の沈静効果があるのは分かっている。

インデバスは、更にパゴクローンを吃音治療を目的にテストするかどうかを表明していない。何故なら最初この薬を泌尿器、婦人科向けに予定していたからである。また早漏改善に使える可能性も考えている。

この会社は前の名前をインターニューロン製薬と言い、ダイエット薬で有名なリダックスを開発した。この薬はフェンフェンと呼ばれる薬の一部であるが、心臓弁に影響があるのが分かり、販売を停止している。

カリフォルニアのクレア・バーン氏はパゴクローンを継続して飲んだが、「確かに効果がある」と言う。薬を飲んだ他の女性も、より自由に会話に入れるようになったと言う。

マグアイアー氏は更に熱心で、証券会社アナリストとの電話会議では、良い職が得られたとか、異性とデートを楽しんでいる等の成功談を披露した。「本当に凄い。彼等は硬い殻から出てきた」と氏は言う。



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