1860年の夏、サンフランシスコで本屋を経営するエドワード・マイブリッジは、本の在庫が減って来たので本の仕入れの旅に出た。駅馬車に乗り、東北テキサスを目指して走っていると、御者のムチに驚いた馬が突然暴走し始めた。下り坂を走り抜ける途中、道を曲がり切れず立ち木に激突。彼の体は空中に放り出され、着地した時に頭を岩に当てて重傷を負う。
事故現場から240㎞離れた病院に収容された彼は、9日目に昏睡から目が覚めた。この負傷で、像が二重に映り、度々発作に襲われるようになり、臭覚、聴覚、味覚に異常が生じた。特に目立つのは人格の変化で、事故前は陽気なビジネスマンであったが、事故後は気まぐれで、風変りな人間になっていた。実はその後、妻の浮気の相手を射殺している。
創造性は何処から来るのか、創造性豊かにするにはどうしたら良いかは誰でも知りたい。創造性は疲労、退屈からくると主張する人もいるが、当の天才は意外な説明をする。
プラトーは、天才は神が与えた狂気と言い、フロイトは、性の欲望の昇華と答える。チャイコフスキーは、たゆまぬ神経の集中と知識の集約と説明する。
最近は、創造性は脳で生まれると皆考える。脳を物理的に破壊したり、電撃を与えたり、酸素の補給を停止したりすれば、創造性どころか脳の機能全てを失うのを誰も否定できない。
マイブリッジは事故から受けた傷が癒されると、イギリスに船で出かける。イギリスに着くと、本の販売事業は辞めて写真家になり、しかも世界的に有名になった。同時に発明家でもあり、事故後の20年間に少なくても10件の特許を申請している。
1877年、放送局事業で成功した有名なリーランド・スタンフォードとある賭けをした。スタンフォードは、馬があるスピードで走ると4つ足は同時に地面を離れ、馬は空中に浮くのではと考えた。それに対してマイブリッジはノーに賭けた。
どちらが正しいか確かめるために、馬場に12台の馬の動きと連動するカメラを設置した。この装置をズープラキ・スコープと命名し、高速で複数の写真を取る事に成功する。その結果、馬が最速で走る時は、4本の足は同時に地面を離れているのを確認している。
写真家になり発明家になったマイブリッジを見て、あの大変化は頭の強打によるものではないかと人々は推測した。
彼はサバント症候群を発症したのだろうか。サバント症候群とは、脳の障害や病気で稀に起きる症状で、患者は常人が真似できないような特別の才能を示す。現在、世界ではわずか25例が認められているだけである。
もう一人、トニー・サイコリアと言う、1994年にニューヨーク公園で雷に打たれた整形外科医がいる。雷撃は彼の頭を貫通したが、以来、彼はピアノの演奏に取りつかれた。最初は他人の作品を演奏していたが、自分でも作曲を始めた。彼によればメロディーは常に頭の中で流れているらしい。現在ピアニストであり、作曲家であり、外科医でもある。
ジョン・サーキンと言う、元カイロプラクティック療法師もそうだ。彼も脳卒中を患って以来大変化し、絵を描き始め、その衝動は止まらなくなった。
初期の頃は、家にあった小さなサボテンを描いている。絵画は大変抽象的で、枝が蛇のようにとぐろを巻いている木を描いたり、階段のようにジグザグになっている木も描いている。ニューヨークタイムズも彼の作品は取り上げて、レコードアルバムの表紙やピューリツァー賞作家の本のカバーにもなっている。作品の値段は一本100万円を下らない。
最も際立った例に、ジェーソン・パジェットがいる。彼は2002年にワシントン州タコマのバーで二人組の男に襲われた。それまではパーティー好きで、女の子を追い回わす普通の男であった。数学も興味がないし、大学は中退して、家具屋のセールスマンをしていた。
暴漢に襲われた後、病院に担ぎ込まれた彼は「翌朝目が覚めて洗面に行くと、水道の水が曲線に接する接線のように見えた」と述べている。
以来、パジェットの思考は幾何学模様と格子模様で乗っ取られる。執拗に絵画を描き続け、円と直線からなる図形は有名になった。
「今は自分が二人いると感じるし、両親もそう感じているらしい」と彼は言う。
どうしてこんな事が起きるのであろうか。頭に強い衝撃を受けると、脳細胞は傷つき死に始める。すると細胞はセロトニンを周囲にまき散らすので、ちょうどLSDを飲んだ状態になる。
セロトニンは別名幸せホルモンと言われ、神経伝達物質でもある。セロトニンレベルが上昇すると共感覚と言う特殊な現象を起こす。共感覚とは、普段つながっていない脳がつながるために起きる。言葉を聞いて色を感じるのがその一つで、俳優のジェフリー・ラッシュは、月曜と聞くと淡いブルーを感じると言う。国民の5%は共感覚を持つと言われていて、LSD以外でも共感覚を起こすのが分かる。
1998年に認知症の患者の中に5人程、絵画に素晴らしい才能を示すとの報告があった。彼等は前頭側頭型認知症と言う稀な症例を患い、脳の一部に障害が発生している。そのため、言葉と社会性が損なわれるが、視覚と創造性は保たれている。この内の一人が、近所の公園の写生会に参加した。彼は今まで絵画に興味を持たなかったが、急に絵に興味を示し、描く技術が速やかに進歩した。単なる静物画から怪奇現象画へと進み、子供時代に見た建物を印象派的に描いた。その後痴呆が進行し、数か月後には話す事も困難になっている。落ち着きがなくなり、道路に落ちているお金を探す強迫行動も始まった。
この不思議な現象を解明するために、専門家は5人の脳を3次元脳スキャンで調べる事にした。結果、4人に左脳の障害を認めた。
1960年代に有名になった理論では、左右の脳は別々の機能を有するとする。一般的には右脳は創造性を発揮し、左脳は理論と言語に特化していて、左脳が右脳より優勢になっていると言う。
「オリジナルな考え、創造的思考は普通の生活にはむしろ邪魔になるから、左脳は右脳を支配するように出来ている」とブロガードは言う。絵画に特殊の才能を発揮した認知症の人は、左脳が次第に機能しなくなり、右脳の創造性が開花したのだろう。この考えは、実験でも証明されている。
「アレン・スナイダーは、健康な人の左脳の活動を抑えて、右脳を活性化すると創造性が高まるのを実験で確認している。他の研究者からも同じ報告があるから、この理論は成り立つと思う」とウィスコンシン医科大学でサバント症候群を長く研究するダロード・トレファートは言う。
でも真の天才も同じ理屈で説明出来るであろうか。
恐ろしいほどの早さで計算をしたダニエル・タメットから、スイスの自閉症サバントであるゴットフリート・ミンド(猫の写生画に特に優れている)に至るまで、いわゆる
自閉症サバントは、ルネッサンス期の天才を凌ぐ才能を発揮している。
ゴットフリート・ミンドも自閉症サバントと考えられる。猫の写生の精密さはずば抜けている。
自閉症を発症している人の10人に1人はサバント症候群であると言うから、自閉症が創造性を高めているのではないか。
アインシュタイン、ニュートン、モーツアルト、ダーウィン、ミケランジェロのような天才も、自閉症スペクトラムの中に入るのではないかとされている。
自閉症では子供の時分、左脳のセロトニンレベルが異常に低いとする説がある。その結果左脳が発達せず、これが右脳の活性化につながり、サバント症候群を起こすのではないか。サバント症候群の人は、自閉症も発症する。彼等は社会性に欠け、強迫的で、注意は一点から離れない。
「不潔恐怖が酷く、時々紙幣に殺菌スプレーをかけたくなる」とパジェットも言う。
「サバント症候群の人には、かなり強い強迫行為が見られる」とブロガードは言う。
「絵を描いている時、描きたいと言うより、描かねばならぬと感じる」とサーキンは言う。それを裏付けるように、 サーキンの仕事場は沢山の完成、未完成の絵画で埋まっている。
アインシュタインのような大天才も、自閉症スペクトラムに入ると言う説もある。
サバント症候群の人達は努力をする。
「我々の仕事は才能からか、それとも努力かと聞かれても分からない。一生懸命やれば、誰でも上手くなるのでは」とサーキンは言う。
「一心にやれば、誰でも普通の人以上の仕事が出来る」とパジェットも言う。
マイブリッジは賭けの後フィラデルフィアに戻り、相変わらず写真に熱中した。階段を上がり下がりする様子、自身が裸になってツルハシを振り下ろす様子等、1883年から1886年の間に何と10万枚の写真を取っている。
「サバント症候群の人達が特異の才能を示すのは、その才能が既にあったためであろう」とトレファートも言う。更に研究が進んで、将来は普通の人もサバント症候群のように、特殊な才能を示すような時代が来ないとも限らない。
でもそれまでは、たゆまぬ努力をするしかないだろう。
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