手術による治療の是非


2009年11月26日
一人は中年の男性でシャワーを浴びるのを拒否し、もう一人は10代の男性で彼は家から出られない。シカゴの郊外に住むレオナードは文筆家で、体を洗うのと歯を磨くのがどうしても出来ない。一方ニューヨークの郊外に育ったロスは細菌を怖がり、毎日シャワーを7時間も浴びる。両人共に重度の強迫行為(OCD)と診断され家に引きこもっている。

しかし、2人は決断してロードアイランドにある病院で手術を受けることにした。手術では脳に穴を明け、脳の深部にある乾しブドウほどの患部を焼く。2年後の今、ロスは21歳の大学生になり、手術によって救われたと言う。一方1995年に手術を受けたレオナードは「手術はまったく効果が無く、未だ部屋から出られない」と言う。両人の苗字は希望により伏せている。

20世紀末の脳神経科学の最大の目的は心の病を治すことにあった。しかし残念ながらその手段の一つは精神外科で、より正確にはなったが従来からの技術の延長であった。最近の10年に500人以上の人が鬱、不安、ツーレット症候群、あるいは肥満を治す目的で手術を受けている。1950年代に行われた悪評高い前頭葉ロボトミー以来、初めてアメリカ食品薬品局が強迫行為治療の目的にある手術を認めた。

鬱から肥満まで症状の改善を求めて数百万の人が手術に期待しているが、手術を受けるには厳格な条件があり、これをクリアーできる人はわずか数千人に過ぎない。しかも手術にはリスクが伴い術後に何が起きるか分からない。大分技術が向上したにせよ、専門家はまだ手術を実施する側の知識を疑っている。ある人は改善し、ある人は少し改善か改善が全然認められない。逆に悪くなるケースもある。少なくてもアメリカでは一人の患者が術後に自分で食事も身の始末もできなくなっている。

しかし、手術希望者があまりに多いので知識の無い医師が研究機関の技術サポート無しに手術をする傾向がある。「医学では何か進歩があると進歩がそれを正当化してしまう。ある病気が解決されそうだとするとやみくもに治療を実施したくなる」とエモリー大学の医療倫理のポール・ルート氏は言う。

前頭葉ロボトミー手術が精神医療を大きく進歩させると期待されたのはそれほど昔ではない。その結果、数千人の人達の脳に回復不可能なダメージを残してしまった。以来、心の病に対する脳手術はタブーになっている。「だから我々は脳手術には大変慎重なのです」とルート氏は言う。
マサチューセッツ総合病院の神経療法科のダーリン・ダファティー氏はもっと辛らつだ。「50年代のロボトミー手術の例を見ても分かるように、今行われている手術も失敗するとこの先数百年出来なくなる」と言う。

最後の手段として
強迫行為と診断された人の内の5〜15%の人達が現在の医療では手の打ちようが無い。ロスによれば、彼が最初に手洗いに時間がかかると気がついたのは12歳の時であった。間もなく一日に何べんもきれいな衣服に替える強迫行為が始り、結局、家から出られなくなった。「人と会えないし、両親でさえ触れることが出来ない最悪の状態になったのです」と彼は言う。レオナードの場合は文筆家業を始める前まではビジネスマンとして成功していた。ある時、突如昆虫とクモに対する恐怖が起き、何とかこの恐怖症を解決したいと思ったら今度は風呂に入れなくなった。体を洗えないばかりでなく、歯磨きも、ひげそりも出来なくなった。

「うす黒くなった肌とぼうぼうひげでとても見られない姿になりました。町を歩いていたら警察に逮捕されるほどです」と言う。ロスもレオナードもプロザックをはじめとするSSRIや抗不安剤を飲んだし、強迫行為に効果があるであろう療法は全てやったが効果が無かった。
「確かに少し効果があったものもあったが、直ぐ消えた。自分の人生はこれで終わりだと思った」とロスは言う。でも最後の手段として手術がある。一般には実施していないがハーバード、トロント大学、クリーブランドクリニック等で何年も前から強度の強迫行為や欝に試験的手術を実施している。この手術は脳スキャン装置を作る会社と共同研究で進められている。ゲリー・レダーノもこの手術を受けて本を一冊書いているが、「通常の生活に戻る最後の機会であり我々はそこまで追い詰められているのです」と言う。

帯状回切除(cingulotom) という手術があるが、頭蓋骨に穴を開けて前部帯状回と言う脳の部分に線を通す。医師は左右半球の回路上に存在する組織をピンポイントで破壊する。この回路は脳の深部の感情のセンターと、意識の中枢である前頭前部皮質をつなげていて、強迫行為の人ではこの回路が過剰に活動しているのが分かっている。
嚢切開術(capsulotomy)と呼ばれる手術では脳の深くにある内包(internal capsule)にまで到達して過剰に活動している回路の一部を焼き切る。
また脳深部刺激法と言う方法では、患者の脳の深部に電極を埋め込み外部から電気信号を送り込んで強迫行為のシグナルを発している脳を抑制する。この場合、電気信号は強くも弱くも出来るし装置の取り外しも可能だ。
もう一つのやり方に、患者をMRIのような装置に寝かして脳内に放射線を当てる方法がある。放射線をある部分に集中させてその部分を焼き切る。ガンマーナイフ手術と呼ばれるがレオナードとロスがそれを受けている。

所で、手術を施す施設は全て厳しいガイドラインを設けている。手術を受けるには少なくても生活に重大な障害があり既存の療法が全て無効でなければならない。患者はあらかじめ手術は実験的であり、必ずしも成功は保証されていないと告げられる。また患者が同情に値するほどの状態であるかどうかも考慮されるとロードアイランド・バトラー病院で手術の適否を判断しているリチャード・マースランドは言う。
「我々は年に数百の手術依頼を受けているがわずかに一人か二人しか選ばれません。手術が受けられない患者の中にはかなり状態が悪い人がいますが、やはり診断基準に合致しない場合拒否します」と彼は言う。

手術を受けて症状が軽減する場合もあるのだから、この厳しい基準は適当でないと言う意見もあるかも知れない。「診断基準を厳しくするのは良く分かる。でも多くの患者には手術をするしか方法は残されていないのですよ」とゲリー・レダーノは言う。彼女自身手術を受けていて強迫行為の苦しみと術後の回復の過程を本に書いている。ウェッブサイトも持っていて患者の相談に乗っている。

しかし手術を実施する医師側にはこのスクリーニングのプロセスが大変大事で「もし患者の選定がいい加減だと手術の結果も思わしくなくなり、この新しい試みも次第にしぼんでしまう」とバトラー病院で精神科医のベン・グリーンバーグは言う。
グリーンバーグによると、ガンマーナイフあるいは脳深部刺激手術を受て十分な症状改善が見られたのは60%で、それ以外はまったく改善されないかあっても少しであった。この記事を書くためににグリーンバーグは私をレオナードに会わせてくれたが、レオナードは手術で効果が現れなかった患者である。

楽観の危険
手術の真の目的は、患者の生活全体の改善であって単に症状の改善だけではないと専門家は強調する。第2次世界大戦後に如何にロボトミーが持てはやされたかは、1949年にポルトガルの神経科医であるエガス・モニズがロボトミー術を開発したことでノーベル賞をもらっている事からも分かる。間もなくロボトミーが意欲を失った者やまったく周りに無関心になった者を沢山作り出している事実が明らかになった。術後に乱暴者に変化したジャック・ニコルソンの演じる「あるカッコウの巣の上で」はケン・キージーの小説を映画化したものである。

初期のロボトミーがひたいの背後の脳をざっくり切ったのに対して、現在の手術ではあらかじめ狙いを定めた回路をピンポイントで切り取る違いがある。しかし手術をする医師が切っている脳をどれほど理解しているのか疑問がある。
スウェーデンのカロリンスカ研究所が去年発表した論文によると、強迫行為を治す手術を受けた患者の内の半分が症状が軽減しているにも関わらず、まだ感情鈍磨と生活の基本動作が出来ないことに悩んでいる。

「心の病を治す手術はそれを熱烈に信奉している人々に進められているから疑いが生じてくるわけです」とこの論文を書いたクリスチャン・ルック氏は言う。カロリンスカ研究所の手術では他の施設よりより多く患部を切除しているが、クリスチャン・ルック氏の論文に影響されてか今は手術は中止した。

アメリカでは少なくても一人の患者が強迫行為治療手術を受けて不具になっている。このケースは裁判に持ち込まれて、2002年にオハイオ病院に対して6億8千万円の支払いを命じている。それ以後オハイオ病院では手術は行われていない。
術後の成果は良くても悪くても直ぐには出てこない。脳は手術をすると回復に数ヶ月から数年の時間がかかる。「カロリンスカ病院の結果を見れば手術にはそれなりの危険が伴うのが分かる。だから手術をする前に患者とじっくり話す必要があると」ルックは語る。

長い道のり
ロスは術後数ヶ月間何の変化も無かった。しかしある日に弟から地下室でビデオゲームをしようと言われて階段を降りて行った。「ああ、降りているんだと感激しました。以前一度も地下室には降りたことが無かったからです」とロスは語る。昨年の夏には症状がかなり軽快して遂に心理療法を終わりにした。今、彼は学校に行ったり学習したり、たまにリラックスのためにビデオゲームをしたりする。手術をしたことを友達にも言ったが友達は皆知っているとして気にとめていない。

一方レオナードの術後は芳しくなく、夜中に仕事をして日中は寝る不自然な生活をしている。「前と同じように体を洗えないし、隠遁者のような生活をしている。解決する方法を今も考えていて手術は大変疑問に思っている」と彼は言う。
手術をして本も書いたレダーノは「手術が有難いのは少なくても人に機会を与えることです。我々患者にとってその機会が大切なのです」と車のドアーを開けながら言う。
後部座席には消毒の紙タオル容器が置いてあった。それを指差しながら「ねえ、これだから完璧に治すのは難しいのよ」と彼女は続ける。



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