新しい遺伝学

2017年1月9日
親指と人差し指が融合している奇妙な病気があり、少し遠い親戚も含めると、10人も同じ症状が出ている家族がいる。彼等は、何かに呪われているのではないかと不安になり、子供が生まれる度に手は大丈夫かと心配になると、マックスプランク分子遺伝学研究所のファン・マンドロスに訴える。

この症状に悩む家族は、村人からも冷たくされ、家族関係もきしむ。ある女性は、自分の父から一度も抱きしめられたことがないと嘆く。この家族は、今、マンドロスが率いる”手足奇形の原因と治療の研究”に匿名で参加している。未だ、治す方法も手術もないが、少なくても”呪”という言葉を、科学者のプライドを賭けてもなくしたいとマンドロスは考えている。研究の結果、この指奇形は新しいタイプの遺伝子異常と判明し、この知見が数々ある難病に与える影響は大きい。

新しいタイプの遺伝子変異とは、従来のDNA4文字の乱れではなく、TAD(topologically associating domain=位相関連ドメイン)と呼ばれる、最新の DNA領域の乱れである。DNAの膨大な情報は、このTADと呼ばれる領域に分配され、各々のTADの境界は厳密に区分されている。この区分が乱れると、重大な病気を引き起こす。

TADを発見して以来、人間のゲノムを立体的に観察する事が出来るようになった。DNAはおよそ30億の文字から成る細い紐で、長さでは1メートルもあり、細胞核の中にきちんと畳んで格納されている。

「DNAは物凄く長い分子で、それが狭い空間に収納されているのだから、適当に折りたたんだりすると、情報が取り出せない。独特な梱包メカニズムがあり、TADはその中でも重要な機能の一つである」とマンドロスは言う。

過去50年間、専門家は、DNAをタンパク質を作成する遺伝子命令コードと考えていた。このコードを読みながら、体はアミノ酸を集め、タンパク質を作るのである。
だから、今まで遺伝病の原因は、DNAタンパク質合成コードの乱れとされていた。例えば、デュシェンヌ型筋ジストロフィーでは、筋肉の安定に欠かせない、ディストロフィンと呼ばれるたんぱく質をコードする遺伝子に欠陥があった。

ウディ・ガスリーを死に追いやったハンチントン病は、意味不明の短い繰り返しコードが、ハンチンチンと呼ばれる脳の蛋白の形成を阻害して、そのため出来たタンパクが粉々になっていた。しかし、コード欠陥で発病する遺伝病は少なく、専門家はコード欠陥以外にも他の要素が遺伝病を起こしているのではないかと考えていた。「我々は今までゲノムの一次元構造に囚われ過ぎていた」とマサチューセッツ医科大学の生物学のジョッブ・デッカーは言う。

既に、人間ゲノム全読み取りから、ヘモグロビン、コラーゲン、ペプシン、その他タンパク質をコードする領域は、僅かDNAの3%でしかなかったことが分かっている。そして絶えず変化して止まないDNAの物理的特性も興味を引く。細胞分裂の時には23対のひょろ長い染色体に変化し、細胞の複製が終わるとヒストン・タンパクの周りに巻きついたボール玉に戻る。

何時でもどこでも活動し、時にうるさく、時に黙り込むDNAとは一体何なのか。「膨大な情報がどのようにコントロールされているかを理解するには、空間的にどう折りたたまれているのかを知らなくてはならない」とカリフォルニア大学のビング・レンは言う。

デッカー等が開発した”染色体立体配座捕捉”と呼ばれる技術で、DNAのより深い立体的構造が見えるようになった。この方法では、クロマチンは化学処理で固定され、酵素を使って切り放され、分離された細片にラベルを貼り再構成する。この再構成されたDNAは、最初の構造と変わらないが、互いの位置関係がはっきり分かる。

この染色体の立体配座の研究から、DNAは2000個のTADユニットで構成されているのが判明し、このTADがどう作動しているのかも分かり始めた。TADはサイズにも大きな違いがあり、DNA文字で数個のTADもあれば、10,000個を超えるTADもある。TADの境界はDNAの折りたたみ方を指令していて、「丁度、紙モデルを作る紙に印刷されている点線のようだ」とデッカーは言う。

TADの境界は遺伝子の関与の方法を指示している。
今まで、タンパク質を作成するDNAコードを決定しているのは、遺伝子スイッチとエンハンサーだけと考えられていた。新しい研究結果から、スイッチやエンハンサーがタンパク質コードを決定するのは限られているのが分かった。

DNAの境界が混乱すると、合指症その他の病気を起こす。その中には子供の脳の白質に影響を与える病気も含まれる。「遺伝子とそこに並ぶ調節コードは、その周囲のDNAに影響を及ぼすが、遠くのDNAには影響しない」とデッカーは言う。
TADの境界はDNAの畳み方を指示し、遠くの遺伝子及びそのスイッチから影響されないようにしている。未だはっきり分からないが、境界はコヒーシンと呼ばれる円盤状の接着性のタンパク質を呼び寄せる働きがあるらしい。このタンパクが境界のDNA文字列の上に絶縁テープのように接着する。

TAD境界間、絶縁タンパクの塊の間でクロマチンの紐は輪を描き重なり合い、誕生プレゼントのリボンのようになっている。これにより、DNA上の遺伝情報が互いに接近し影響を及ぼす。しかし絶縁タンパクはクロマチンのリボンの動きを妨げて、近くのリボンと絡まないようにさせる。

TADの重要さを知るには、その境界が崩れた時に何が起きるかを見ると分かり安い。境界が壊れると、結腸癌、食道がん、脳腫瘍、白血病の原因になるのを最近突き止めている。これ等のケースでは、従来の蛋白コード変異は見当たらず、むしろTAD境界が組み替えられていたり、そっくり削除されていた。そのため、関係のないエンハンサーが、眠っているべき遺伝子を活性化している。

サイエンス誌に掲載された報告によると、ホワイトヘッド生物医学研究所のリチャード・ヤングは、ある白血病では絶縁タンパクの着床位置が変化していて、TAL1遺伝子の近くに来ていた。この遺伝子が不適切に活性化すると白血病を発症すると言われている。

「絶縁タンパクの着床位置に混乱が起きると、遠くのエンハンサーがTAL1 を刺激して腫瘍化に至る」とヤングは言う。
遺伝子の詳細が分かった今、専門家は、TADの混乱が発癌の原因になっているのを間もなく証明するであろう。合指症のような発達障害も同じ理由で発症している。

「成長過程の指の軟骨中の筋肉遺伝子にスイッチが入ると、奇形が生じる。TADの混乱が間違った場所で間違ったタイミングで筋肉の遺伝子を活性化しているからだ」とマンドロスは言う。
フランス・キュリー研究所のエディス・ハードは、「DNAの構造がようやくわかり始めたら、急に遺伝のからくりが見えて来た。遺伝子研究のルネッサンスですね」とハードは言う。



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