翻訳不可能な心の病

2020年6月8日


”コロを恐れるな”と1967年の11月、シンガポールの最大の新聞であるストレートタイムズに大きな見出しがおどっていた。実はその少し前からおかしな現象がシンガポールで起きていて、数千人の男たちが、自分の陰茎を見つめて悲観している。陰茎が萎み始めて死も近いと言う。
彼らは必死に自分の陰茎の萎みを止めようとする止まらない。陰茎が縮む原因は彼らが食べた豚肉に問題があるのではの噂が飛んで、豚肉の販売がストップした。政府の専門家が噂の火消しに努力したが、結局500人の男性が病院に駆け込んでいる。
こんな現象は西側ではないが、シンガポール、東南アジア、中国でよく起きていて、現地の人はこの現象を”コロ”と言う。

コロ現象は数千年の歴史があり、最近では2015年インドで57人が感染した。中には女性も含まれていて、何と乳首が沈むと主張する。西側では心の病気はご存じのように”精神障害の診断と統計マニュアル”に網羅されていて、このような現象は起こりにくい。

ハイチの中央高原地帯では、”考え過ぎ病”という病気が、古くから知られている。その病気では、人は考え過ぎて家から出られなくなる。
韓国では”怒りのウイルス”と呼ばれる病があり、患者は怒りをあまりに押し殺すため、体に火が付いたような痛みを感じる。家族とのいさかいや、特に義理の家族との争いで起こりやすい。怒りのウイルスには韓国では毎年1万人がかかると言う。脳スキャンで調べると、患者の脳の感情と衝動をコントロールする部分の活動が弱まっている。

文化に絡んだ心の病は、重大な足跡を残す。コロになった男性の場合、陰茎に障害を負うし、ハイチの考え過ぎ病では患者の自殺率が大変高い。 怒りのウイルスに感染した韓国の女性は感情が不安定になり、引きこもり、自尊心も低下した。
文化に密接に結びついた心の病は何処から来るのか。この疑問に答える事が出来れば、心の病気の本質が見えるかも知れない。

西洋の輸出
文化が絡んだ病気に、神経衰弱がある。この呼び名は今も中国、東南アジアで存在していて、19世紀の植民地主義の名残りとも言える。神経衰弱とは、アメリカの神経学者ジョージ・ミラー・ベアードの発案で、神経系の疲労で起きるとされる。産業革命を目撃したベアードは、頭痛、疲労、不安をもたらすのは産業革命のためとした。

有名な小説家であるマーセル・プラウストがこの病名で診断されると、一気に有名になった。「当時、神経衰弱は人の教養の高さ、知的創造性を示していると考えられた」とフロリダ湾岸大学のケビン・アホーは言う。

間もなく神経衰弱はヨーロッパ人の支配するアジア植民地に広がり、そこでは口ひげ生やした派遣官僚やその妻たちがホームシックにかかると、神経衰弱と言い訳した。1913年の調査によると、植民地に任官した家族の心の病気で最も数が多かったのは神経衰弱で、特にインド、スリランカ、中国に目立った。しかし、時代が下ると西側では神経衰弱の言葉は消滅して、代わって具体的症状名を言うようになった。しかし旧植民地では神経衰弱の言葉は定着して行った。

現在でもアジアの一部では、鬱より神経衰弱が一般に通用する。2018年の広州市での調査によると、人口の5.3%が鬱と言い、15.4%が神経衰弱と言った。そのアジアでも最近は大きく変化し、「私が最初に2008年にホーチミン市に行った時、患者の全員が神経衰弱と返事したのに、10年後に同じ場所で調査をしたら、たった一人しか神経衰弱と言わなかった」とブックネル大学のアレン・トランは言う。一体何が起きているのだろうか。

文化規範
一つは、時代と社会背景の変化のためであろう。もし遺伝子が原因であるなら、変化に数百年かかるはずであるからだ。ベトナムで起きたこの変化は、西側から輸入された不安の概念が影響したらしい。医学歴史学者であるエドワード・ショーターは、どの社会にも心の病の演目があるようだと述べる。
例えば、ビクトリア時代のイギリスだったら、女性は失神すると言う。今のイギリス女性なら不安だ、鬱状態だと表現する。中国なら胃が痛いになるかも知れない。ヒステリーの単語は昔はよく使われたが、イギリスでは20世紀の前半に消滅している。でもなくなった分けでなく、鬱状態の中に含まれるようになったとショーターは言う。

それぞれの文化には、社会に受け入れられる表現があるのだろう。ある社会では魔術にかかったと言うかも知れないし、別の社会ではアル中になった、あるいはコロにかかった、鬱状態になると表現する。

イスラム社会では、おかしな精神症状を示す人を悪魔に乗っ取られたと考える風習がある。症状は千差万別であるが、この表現はコーランの中にも書かれているから古い。
「私を訪れる患者の中に悪魔に乗っ取られたと言う人が結構いる」とノースマンチェスター病院の精神科医であるシャワダ・ナワズは言う。
イスラム文化で心の病を悪魔と関連付けるのは、それにより社会的不名誉が安らぐからだろう。東ロンドン地区にある精神科医が調べた所、30人のバングラデシュから来た人たちが、実際は統合失調症であり躁鬱病であるにも関わらず、家族は悪魔に乗っ取られたと考えていた。

体の痛み、心の痛み
人の苦しみには肉体の痛みと心の痛みがある。西側世界では、心の痛みを純粋に心の問題として扱うが、世界を見渡すと、心と体の痛みの違いが判然としない国が多い。
最新の 精神障害の診断と統計マニュアルでは、パニック障害を、「いきなり襲う恐怖と不快感」と表現している。しかし、カンボジアの避難民の間では、パニック障害を首の痛みと表現する。西側では心の病と体の痛みを結び付けることは少ない。線維筋痛症とか慢性疲労症候群がこれに近いとする考えもあるが、未だ受け入れられていない。

しかし、心が体に及ぼす影響力がどれほど威力があるかは、「ブードゥー死」と言う現象がある事で分かる。ここでは実際、人は恐怖のあまり死ぬ。
有名な例を、ニュージーランドを探検した人が詳しく述べているが、あるマオリの女性が間違って聖なる場所に生えていた果物を食べて酋長の怒りを買い、翌日、冒涜罪恐怖のあまり死んでいる。
これは極端な例であるが、現在でも反偽薬効果と言うのがあり、患者が与えられた薬の副作用をあまり疑うと、実際副作用が現れる。

”多すぎる風”と言われる不思議な病気が、アメリカに来たカンボジア難民に認められる。カンボジアでは、人の体には沢山の穴が開いていて、ここに風が溜まると言う。この風の動きが停止すると患者は手足が動かなくなって死ぬ。

病気の発作は最初はゆっくり進むが、不愉快な気持ちが続いたあと、患者は目まいを訴える。この時分には患者自身も自覚して、その後は倒れて動く事も話す事もできなくなる。見守る家族は、手足をマッサージしたり、足首を噛んだりして患者を介抱する。

普通、人はフラフラする時はちょっと頭を振って様子を見るが、カンボジアでは、患者はむしろ自分から悲劇に向かって行くように見える。
「ちょっとしたふらつきが、全てを変化させてしまうわけです」とカリフォルニア大学のボニー・カイザーは言う。

西洋医学の見直し
心の病と文化には密接な関係がある事が分かり、一般の心の病も同じ側面をもつのではと専門家も考え始めた。統合失調症は、世界何処を見ても同じ頻度で現れるのに対して、過食症は東側ではそれほど頻繁ではない。
月経前症候群は、中国、香港、インドにはない。西側では昔、神経衰弱と呼ばれていた症状を今では鬱と言うが、これは西側では人は常に朗らかであるべきの思い込みがあるためだろう。

「心の病を見る時に、西側は世界は皆同じだと思っていた。しかし心の病には社会と歴史の背景がある。注意欠陥障害を例に取れば、1980年に初めて精神障害の診断と統計マニュアルに掲載された。現在我々は子供の時からコンピューター等で常に情報過多になっているから、技術が新しい病気を作り出している可能性もある」とアホは言う。

原因はともあれ、今、世界では人の移動が激しくなっている。にも関わらず、文化背景から発生する心の病に専門家は気付いていない。

「東アジアでは、心を語る時の単語が違う。アメリカでは心の問題を簡単に”鬱”と言うが、アジアでは心の問題を社会、信仰、家族の問題と捉える傾向がある。だからアメリカ人の医者に取って彼らへの対応が難しい。「精神障害の診断と統計マニュアル」だけでは判断を誤る」とマックギル大学のスミン・ナは言う。

今や世界では沢山の種の消滅を経験しているが、心の病の種の消滅も同じだ。本の著者でもあるエタン・ウァッターズは、「アメリカは過去数十年、精神医療をアメリカ的に変化させてしまった。心の問題は実は複雑であるにも関わらず、多くの心の問題を、たった二つの言葉”不安”と”鬱”に押し込んでしまった。これでは診断を間違えるばかりでなく、適切な治療も困難になる」と彼は言う。



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