自殺衝動
 
2008年7月6日
アルバート・ケイマスは「我々には自殺と言う深刻な哲学的問題がある」と言うが、地球上の生物の中で唯一己の死を先延ばしするために医学を作り上げた人類が、己の手で命を奪い去る動物でもあるのをどうして説明できるであろうか。我々のこの矛盾した行動には魅惑と嫌悪、嘲りと哀れみと言う矛盾した側面がある。自殺は大きな罪であるが、英雄気取りや情熱も垣間見えて文学や芸術の題材にもなっている。

自殺には哲学的逆説以外にも沢山の複雑な要素が絡んでいる。自殺は世界共通の問題ではあるが、その形態は人種、国家、文化、年齢、性、宗教によりそれぞれ違い、全体を統合する自殺理論の構築はできない。また自殺をしそうな人を見抜くのも難しい。アメリカでは西部の州の高齢男性と離婚家庭の思春期白人男性の自殺率が高い。しかしこの2つのグループに属する人達の殆どが自殺をしないから、このグループからリスクの高い人を見つけることはできない。

そして自殺には悲しい事実がある。自殺を完遂した人達の内の90%に何らかの心の病が見られるとしている。今までに精神医療が進歩しているのに何故自殺は一向に減らないのか。過去40年間に新しい世代の抗鬱剤がどんどん生まれ、危機ホットラインが各地に開設されているのに、いまだ自殺率は10万人に11人と1965年のレベルにとどまっている。

我々の多くは自殺を半ば諦めていて、一種の社会的自然淘汰と考えている節もある。家族の呼びかけや薬で自殺を思いとどまらせる場合もあるが、全体として見ると自殺は減っていない。例えば2005年の統計では、32,000人が自殺で命を失っていてこの数は殺人の倍である。

自殺予防に成果があがらなかったのは多分、我々の自殺を見る目が伝統的近視眼的であったのであろう。自殺には古典的タイプである時間をかけて実行するタイプと、突発的で計画なしに実行するタイプの両方があるが、専門家もこの2分法に賛成している。一時の激情に駆られて実行するタイプはその場にある何でも簡単な手段で実行する。

専門家はこの全く違うタイプの自殺の根っこは同じと考える。私は自殺、特に飛び降り自殺でよく引き合いに出される専門家2人に会ってその言葉に衝撃を受けた。両者共に飛び降り自殺には強い衝動性を認めてはいるが、その衝動性は何らかの心の病につながっていると指摘している。「数百人の飛び降り自殺を見ていますが、全く健康な人がある日突然橋の欄干を越えて飛び降りるケースは見たことがありません。大概の場合何らかの心の病が見られます」と1人の専門家は言う。どうもここには行動には意図があり、意図は病から発しているの循環論法があるように私には思える。

この心の病論の問題点は「何故」という部分により重点を置き、どのようなメカニックで実行されたかを軽んじているように思える。亡くなった人達の自殺に至る過程を再発防止のために役立てたいなら、どのような手段で実行したかを調べるのが最も有効であろう。

話を逆にすると、もし衝動的自殺者が身近に自殺する手段を発見するなら、その手段が自殺をむしろ助長しているだろうか。比較として殺人を考えると、もし夫婦のいさかいで夫が妻を射殺する場合、銃がそこにあるかどうかが重要な要素になる。もしそこに銃がなかったら妻を絞め殺していたであろうとは普通考えない。しかし自殺では本人に自分を殺す明確な意図があり、その意図は心の病から発生しているから、手段がそばにあるかどうかは重要でないと従来の専門家は考える。

そうであろうか。

自殺を減らす手段は何と偶然に発見された。1960年代から1970年代にイギリスではエネルギーを危険な石炭ガスから天然ガスに切り替えたが、この時の話が「英国石炭ガス物語」と専門家の間に言い伝えられている。

イギリスでは長いこと石炭ガスで家庭の暖房をしていた。石炭ガスは安くて大量に生産できたが命を奪う危険もあった。不完全燃焼すると大量の一酸化炭素を発生し、栓を閉め忘れたりガス漏れが発生すると、閉じ込められた空間の場合、数分で人は窒息死した。この大変危険なガスが自殺者に便利な手段を提供した。「ガスコンロに頭を突き出す」が流行語になり、1950年代には年に2,500人もの人がガス自殺した。この数字は全英国の自殺者の半分にもなる。

ガス自殺の数は次の10年間に次第に減少することになるが、それは英国政府が石炭ガスをやめてより毒性の少ない天然ガスに転換したからである。1970年代の初めにはガス管に流れる一酸化炭素の量は殆どゼロになった。同時に自殺率は3割減少し以降そのレベルを現在まで保っている。

何故このようなことになったのであろうか。もし自殺衝動が心の病から起きるなら、単にその実行手段を遠ざけるだけでは長期の自殺率低下につながらないはずである。多くの人は衝動的ににガス自殺をしたのだ。絶望、激怒、悲嘆の末、近くにある簡単に実行できるものに飛びついた。ある心理学者は「台所にある処刑部屋」と表現している。この簡易さが自殺者に判断する余裕を与えなかったとしたならば、それを取り去れば判断の時間を与えることになる。

英国の石炭ガスから天然ガスへの転換が偶然にも自殺の発生を大幅に減らした。このイギリス石炭ガス物語を自殺を専門に扱う専門家でも知らない人が多いのは驚きである。去年の11月に私はニューハンプシャーでの青少年自殺予防会議に出席した。そこではハーバードの公衆衛生傷害予防センターのキャサリン・バーバーが沢山の出席者に自殺の物理的予防措置を講義していた。スライドを見せならが話がイギリス石炭ガスに来た時に少し立ち止まって、「このイギリス石炭ガス物語は皆さん既にご承知ですね。それなら省略して次に移ります」と言った。

150人はいたと思うが、5,6人の手が挙がっただけで大半が面食らった顔をしていた。

ワシントン市の北西にはワシントン生まれの有名人であるデューク・エリントンの名前を冠したネオクラッシック風のデューク・エリントン橋が架かっている。そのデューク・エリントン橋の近くに直角に交差するようにタフト橋も架かっている。両橋共にロック入り江にまたがっているが共に40mほどの高さがあり自殺の名所として名高い。しかし特に名高いのはエリントン橋の方で1980年代までに年平均4人は石造りの欄干を飛び越えて自殺をしている。その数はワシントン市の飛び降り自殺の半数にあたるが、一方タフト橋の方では平均2人以下となっている。

1985年には10日間に3人がエリントン橋から飛び降りて、以来市民グループが橋に飛び降り防止の障害物を取り付けるように市に要請した。この考えに反対したグループには歴史保存ナショナルトラストがあるが、彼等は「障害物を立てても効果がない。何故なら自殺の意思がある人は又別なところでやるだろう」と何時もの決まり文句で反論した。

この反論が正しいかそうでないかを証明するのには、格好なタフト橋と言う直ぐ横の橋があった。エリントン橋に障害物が立てられれば自殺者はタフト橋に行かないはずがない。しかし事実は反対で、障害物ができて以来5年間に、エリントン橋の飛び込み自殺は事実上ゼロになった。タフト橋は年に1.7人から2.0人に少し上がっただけである。そればかりか、その5年間にワシントン市の飛び降り自殺は50%減少し、エリントン橋での自殺減少ががそのまま市の飛び降り自殺減少につながった。

この調査結果が指摘しているのは、自殺者の大半が衝動で決行する事実と、殆どの人は一般に言われるような自殺サインを示していないことだ。橋から飛び降りる人達の多くはその前の自殺前科が比較的少なく、心の病及び薬物アルコール中毒も少なかった。(統合失調症は除く)。橋を選んだ理由は簡単で早く確実であったからである。

なら、何故人はタフト橋でなくエリントン橋を選ぶのであろうか。両者の違いはその欄干の高さであった。タフト橋のそれは優に胸まである高さに対して、エリントン橋の欄干は腰より少し高い程度である。両方共に飛び降りたら助かる可能性は低い。しかしタフト橋の方では飛び越えるのに多少努力と時間が必要であり、その努力が衝動的行動を抑止していた。

でも、エリントン橋から飛び降りを諦めた人が他の手段を探さないと、どうして証明できるであろうか。これをある風変わりな学者がそれを証明した。カリフォルニア大学の名誉教授であり臨床心理学者でもあるサイデンは、少し風変わりな容貌で皮肉な笑顔を絶やさなく何時もジョークを飛ばす。彼の研究の舞台は大学のキャンパスの横にあるサンフランシスコ湾にまたがっているゴールデンゲートブリッジであった

1937年の開通以来、この橋は20世紀の建築工学の傑作とされて来たが、同時に世界でもっとも自殺者を引き付ける場所ともされて来た。今までに2,000人の人が既に自殺している。長年のあいだ一部の市民グループが自殺防護壁の設置を要望して来たが反対意見で阻止されて来た。

1970年代の後半にサイデンは警察に行き、1937年から1971年までゴールデンゲートブリッジから飛び降りようとして阻止された自殺志願者515人を丹念に調べた。その中で実際どれほどの人が自殺を最終的に完遂したかを調べた所、何と僅か6%であった。事故と間違って断定された場合を自殺に入れても10%に上昇しただけであった。

「この数字は一般の人に比べると未だ高いが、90%の人はその後自殺を思い止まっているのが驚く。彼等は猛烈な心の危機を経験したがそれは通過し、今は健康に生きているのです」と75歳になるサイデンは言う。

サイデンによれば自殺予防の要は時間という事になる。衝撃的に自殺を思う人には時間稼ぎが自殺の抑止に効果があった。面白いのはこの事実が衝動的自殺者ばかりでなく、非衝動的自殺者にも当てはまることであった。

「分かりきっていることを言うようですが、自殺しようとする人は余り物事を明確に考えてない。Aの手段を思いついた人は替わりのBの手段を描いているわけではない。考えは何かに固着しているから、飛び降りができなかったらピストルでとは考えない。考えの固着は場所に及び、ある特定の橋のある特定の場所を選ぶ。だが橋がとうせんぼだったり修理中あるいは欄干が思いの外高かったりした時には、単に引き下がり場所を変えては実行しない」とサイデンは言う。

サイデンはゴールデンゲートブリッジの自殺を研究している時に、ある若い男性にインタビューをした。彼は橋を行きつ戻りつしている時に通行人からおかしいと思われて自殺を阻止された。何故行きつ戻りつしたかは、橋の西側の遊歩道から飛び降りようと決意していたが、6車線の道路に妨げられてできなかった。彼は車にはねられるのを心配したわけだ。

「おかしいでしょう。彼は危険性を認識したのです。この話を聞いた時には笑いましたね」とサイデンは言う。

傷害予防センターの事務室はボストンのハーバード大学公衆衛生ビルの3階にある。デイビッド・ヒーメンウェイに率いられるセンターは、公衆衛生の役人と社会科学と統計の専門家のグループから成り立っていて、過去10年間に自殺予防を研究するセンターとして活躍してきた。彼等が提案する新しい自殺予防アプローチは自殺のバンドエイド的アプローチと呼ばれている。

「我々と精神衛生の専門家との違いは我々が自殺の手段に注目していることです。どの方法で自殺したか、自殺志願者の心を鎮める方法はなかったかと考えるわけです。英国石炭ガスの物語がこの場合大いに役立ち、自殺手段を取り除いたり、やり方を難しくしたりすれば人を救うことができるのです」とヒーメンウェイは言う。

自殺者の努力をアニメ化するのは悪質に思うかも知れないが、実際、薬物を多量に飲んだり腕をナイフで傷つけたりする自殺方法は、成功するチャンスが低い。それに対して、準備も努力も必要としない銃での自殺、橋からの飛び降りは致命度が高い。古典的プロセスで自殺する人の致命率は突発的に自殺する人より安全なのだ。銃で自殺する場合は服毒より40倍も致命率が高い。

非論理的ではあるが傷害予防センターが実施した4,000件の自殺の調査では、銃で自殺を図った人達は鬱、統合失調症、躁鬱病、薬物摂取、アル中の履歴が危険度の低い手段で自殺を図った人より大幅に少なかった。即ち自殺リスクの高いグループはより達成度の低い手段を選ぶ傾向がある。

「自殺は常にあり、自殺を決意した者は自殺を4回、5回、6回と繰り返している。我々が助ける確率が高いと考えている人達は、最初に極めて致死率の高い手段を選ぶ人達です」とヒーメンウェイは言う。

この結論から必然的にアメリカでは銃に注目する。自殺の銃の占める割合は僅か1%以下であるが、その致命率は85%とか92%の高率になるために、全自殺者の54%にもなる。2005年の統計では17,000人が銃自殺で死んでいる。過去40年間になされた膨大な調査の多くで、銃の保持率と自殺率が一致していた。2007年に、銃保持の最も高い15州とその率が最も低い6州を2つのグループに分けて比較した。銃を使わない自殺の数では両グループ共に同じ数字であったが、銃を使用した自殺ではその数は銃が氾濫している州では3倍と出た。その結果、銃を多く持つ州では銃を持たない州より自殺の全数が2倍になっていた。同じく2004年に行われた北東7州の調査では、バーモント州がニュージャージー州より銃による自殺が3.5倍も高かく、銃の所持率の違いに一致していた。(バーモントでは42%の家庭が銃を保持するのに対して、ニュージャージーでは12%の家庭が銃を保持する)。これ等の調査結果から、傷害予防研究センターは全アメリカの銃の保持率を10%に下げると全自殺数の2.5%の減少になるとはじいている。それは年間800名の命を救う勘定だ。

銃自殺の特徴はその極めて高い致死率と衝動性の高さである。1985年に銃の自殺未遂で助かった30人の調査では、半数以上が自殺を考えたのは僅か24時間以内であった。その内の誰もが遺書を残していなかった。この傾向は若い人ほど目立つ。2001年のヒューストン大学の調査では、13歳から34歳までの致命率の高い自殺未遂では、8時間以上考えていたのは僅か13%であった。70%の人が自殺を考えてから実行まで1時間以内で、驚くことに24%の人達は自殺企図から実行までわずか5分以内であった。

銃自殺は衝動性が高い事から、銃を遠ざけると大幅に自殺を防げる。傷害予防センターのマシュー・ミラー氏は、銃を鍵のかかった箱にいれ鍵の所有者以外には手に触れさせないようにするべきだと提案する。銃から弾薬を抜き取って別の場所に置いたりするだけで驚くほど実行を減らすことができる。

「ゴールは人と自殺手段の間に障壁を設けることです。もし彼が地下室に弾を取りにいったり、鍵のかかった箱を開けるために鍵をくまなく探したりすれば、自殺までに時間が費やされ多くの人を救うことになります」とミラーは言う。これはゴールデンゲートブリッジから飛び降りようとして阻止された人達の話に似ている。「障害物を沢山設ければ設けるほど発作的飛込み自殺から人を守る事ができます。何故人がトラブルに巻き込まれたかを調べると、彼等は衝動的に行動していて物事を冷静に見通していなかったのです。ある意味で自殺は交通事故に似ています」とサイデンは言う。

ここでデビーと言う女性を紹介しよう。私はバーモント州のバーリントン郊外のあるリゾートホテルのロビーで彼女にあった。50歳とは思えないほど若く美しい彼女は、肩までブロンドの髪の毛を下げていて、それが彼女の右の脳の傷を隠している。話すことも記憶にも問題はないが、彼女が立ち上がるとその傷害が分かる。卒中患者のように麻痺した左の体を引きずりながら、杖に寄りかかるようにしてゆっくり動く。「人は私が交通事故にあったかと聞きます。それには長いわけがあるのですとだけ答えます」とデビーは言う。

2004年の春までは、彼女はアメリカの典型的中流クラスの生活をしていた。投資銀行の銀行家と結婚し、北バーモントの絵のような美しい村に住んでいた。2人の子供を育てて村の庁舎でパートタイムの仕事をしていた。その年の春、子供2人を大学に進学させた後、彼女はパートタイムの仕事で悩むようになった。結婚生活も無味乾燥で、地獄のような別居生活と短期間の歩み寄りの後、遂に夫の方から離婚を提案してきた。2005年5月に離婚届けにサインする前の日に彼女は近くの銃砲店に立ち寄り、護身用のピストルを買いたいと申し出た。運転免許証を見せて過去の犯罪歴がないことを確認した後、38口径の回転式ピストルを持って店を出た。この間僅か15分であった。

「私はどうしてよいのか途方に暮れていたのです。結婚生活、仕事その他総てが分からなくなっていました」と彼女は言う。

家に帰るとシャワー室に入り内側から鍵をかけた。部屋を汚すのを気にして汚れの目立たない色のタオルを敷いてその上に座り込んだ。皮肉にも彼女の几帳面な性格が彼女の命を救った。銃に慣れていないのと、鏡が前にないから銃を変な角度に向けて引き金を引いた。銃弾は頭蓋骨をかすかに入り外側に抜けた。銃弾は致命率が高いハローポイント弾であったが、奇跡的に一命を取り留めた。

激しい痛みは覚えているがそれ以外は思い出せない。次は夫が自分の前に立って「何をやったんだ」と叫んでいたのと、救急車のサイレンの音が聞こえた。この時言ったのは「死にたくない、死にたくない」だけであった。

多くの自殺から生還した人達と同じように、デービーも奇妙な落ち着き払ってその体験を語った。
「今自分の体験を語ってはいますが、現実感がないのです。あたかも昔見た映画か読んだ本を語っているみたいで、私がこんなことをしたとは信じられません」と。

彼女が信じられないのは、事件が比較的最近の3年以内に起きたことにもあるだろう。しかし生還者に共通しているのは、自殺未遂以来大きく人間が変わったことである。

カリフォルニアでは私はボールドウィンと言う学校の先生にあった。彼女は22年前に激しい鬱に襲われゴールデンゲートブリッジから飛び降りた。
「私は二度人生を生きています。飛び降りる前の日までが一つの人生であり、それ以後は別の人生です。自分がそれほど自殺の前と後で違ったとは思わないから、あの飛び降りようとした自分は一体何であったのであろうかと考えてしまうのです」とボールドウィンは言う。

自殺未遂者に共通するのは、心の崩壊が自殺を思い立った最初の理由であると言うことだ。私がインタビューした未遂者でその後もう一度自殺を試みた人はいない。精神科医に長いこと通ったとかサポートグループに出かけたと言う話も聞かない。ボールドウィンも精神科医に5回程行って医者からもう良いでしょうと言い渡されて、それ以来何処の精神科にも行っていない。。

彼等に取ってみれば自殺の臨死体験が人生を変えたのだろう。この現象はそれほど珍しくなく、ゴールデンゲートブリッジの飛び降りを阻止された人の内、その後別の方法で自殺した人は僅か10%以内であった。他の調査でも同じ傾向が出た。ユング派の精神分析者であるデービッド・ローゼンは、1970年代の始めに、9人のゴールデンゲート飛び降り未遂者と1人のベイ・ブリッジ飛び降り未遂者にインタビューして詳しく調べた。

「その結果分かったのは彼等全員が本当に死にたいとは思っていなかった事です。精神の痛みに耐えかねて、物理的解決方法を探していたのですね。飛び込みはその一つだっただけです」とローゼンはその頃を思い出して言う。

2000年の9月にケビン・ハインズという19歳の躁鬱病を患う学生がゴールデンゲートから飛び降りた。ケン・ボールドウィンと共に飛び降りから助かった僅か29人の内の1人である。今日ハインズは薬を飲みながら躁鬱病と戦っている。最近結婚して心理学の学位を目指して勉強しているが、同時に自殺予防の講演にも出かけている。彼の最大の期待はゴールデンブリッジに自殺予防の為のバリアーを建設することである。

「今でも私の脳裏を去らないものがあります。それは自分の手が欄干から離れるのを見ながら”自分は何と言うことをしてしまったのだ”と思う事です。あの橋の欄干を越えて飛び降りた人は総て例外なく私と同じ感覚を持つと思う。突然死にたくないと思ったに違いないが既に遅かったのです。私は助かったが彼等は行ってしまった。だからこの体験を話すのが私の責務なのです」と彼は言う。



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