作動記憶と流浪する心

2012年3月15日

心の動きを見ると、それは常に動いていて一箇所に留まらないのが分かる。おそらく読者がこの文章を読む間でさえ、何か別なこと考えているに違いない。実際、専門家の研究でも我々の心は常に流浪している事実を認めている。

この流浪する心には、作動記憶(working memory)が重要な役割を指摘していると今回の研究は指摘している。作動記憶とは心の作業空間であり、この空間のおかげで我々は同時に多数の思考が可能になる。
例えば次の例を考えてみよう。家に帰って来る途中、近所の人を見かけ、家に帰るとある人との会う約束を忘れないようにカレンダーに書き込む。その時、水道の蛇口から水がぽたぽた落ちているのに気付き蛇口を閉めて、ついでに猫にえさを与える。このように、我々は互いに関係のない作業を同時に処理しているが、それを可能にしているのが作動記憶である。

3月14日にオンライン版”心理科学”誌に掲載された発表によると、人の流浪する心は、作動記憶容量と大いに関係があると言っている。この研究は、ウィスコンシン・メディソン大学のダニエル・レビンソンとリチャード・デビッドソン、そしてマックス・プランク研究所のジョナサン・スモールウッドにより発表された。

研究では、被験者がコンピューターのスクリーンを見つめ、ある文字が出る度にボタンを押すか、呼吸に合わせてコツコツとテーブルを打ってもらい、流浪する心の様子を調べた。「我々は意図的に簡単な作業を選び、余裕の心で何を考えているか調べた」とスモールウッドは説明する。

実験中、被験者に心が作業に向かっているかそれともさ迷っているかを聞いた。最後に実験参加者に簡単な算数の計算をしてもらいながら、その間に幾つかの文字を記憶してもらい、後でどれほど思い出せるかで作動記憶容量を測定した。
結果は、はっきりと作動記憶と流浪する心の間に相関関係が見出された。「作動記憶の容量が大きい人は簡単な作業の間、心は大いに流浪し、しかも作業の質は低下しなかった」とレビンソン氏は言う。
「作動記憶容量の大きな人は、現在の作業をしつつそれ以外のものも大いに考えている」とスモールウッドは言う。

しかし、簡単な作業でも紛らわしかったり、注意が要求される場合、作動記憶と流浪する心の関係は消失している。「外部に注意を注ぐ時、それはあたかも危険が差し迫っているかのように、心の流浪は中断した」とレビンソンは言う。
作動記憶の容量は、以前、読解力とかIQのような知的能力に関係していると考えられていたが、最近は日常の瑣末な雑務の処理や流浪する心に関係していると分かって来た。

「我々はバスに乗っている時、歩いている時、シャワーを浴びている時、ふと何か別の予定を考えていることがあるが、これらはすべて作動記憶のおかげでしょう。我々の脳は、作動記憶を今もっとも必要とされる作業に費やす」とスモールウッドは言う。
簡単に言うと、作動記憶は現在の作業遂行のために使われるが、心が流浪し始めると、その一部、あるいはかなりの部分が別の方向に向けられて、手元の仕事の内容がおろそかになる。

我々は家に帰って来る途中のことをあまり覚えていないし、本を読んでいても内容を把握しないで数ページめくってしまうこともある。「この場合、心が他に向いて、本来の作業に確保されるべき作動記憶容量が低下した結果でしょう」とレビンソンは言う。
どの方面に心が流浪するかは、目下の優先事項で決まる。また、作動記憶容量の大きい人が常に心が流浪しているとは言えない。作動記憶とは我々の貴重な資源であり、どう利用するかは我々にかかっていると彼は言う。

レビンソンは目下、作動記憶の容量の増強訓練に取り組んでいる。
「心の流浪はただ起きているのではなく、脳の作動記憶という資源を使っている。だからその資源をどの方向に向けるかは我々次第です」とレビンソンは言う。



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