次を決める潜在意識 2007年7月31日
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イェール大学の心理学の研究チームが最近面白い実験を行った。実験では参加した学生には研究室に向かう道で研究室助手にバッタリ出くわすようにセットしてある。助手は教科書、書類ファイル、暖かいコーヒーとアイスコーヒーを携えていて、手一杯になっているから学生にコーヒーカップを持ってくれるように頼む。 運悪くアイスコーヒーを持とうと申し出た人は心が冷たく、社会性に劣り、利己的であると評価されるし、暖かいコーヒーを持とうとした人はその反対に心暖かく、社交的であり、利他的と評価された。これはあくまで実験での評価ではあるが、参加した学生達は他人からそのように意図的に評価されているとは全く気が付かなかった。 これが今流行りの心理学であり、洗剤の清潔な香りが漂っていると人はより身奇麗になるし、書類ケースを見ると競争的になり、信頼とか援助のような言葉を見ると気がつかない内により協力的になると説明する。 心理学者に言わせると、このような人に前もって擦り込む手法は催眠術でもサブリミナル(潜在意識に訴える手法)でもなく、日常の光景や匂い、音などが気がつかない内に我々に影響し、動機付けし、目的を選択していると言う。 我々の潜在意識脳は思っていた以上に活発で、目的を追求し、独自に行動をしている。食べる、人に会う、何かにのめり込む等に潜在意識は影響を与えている。 無意識と意識の衝突、取引、妥協は次のような現実場面で見られる。例えば我々はある時は大変気前が良いようで、次の瞬間にけち臭くなったり、自分が魅力的だと勝手に解釈して、パーティーで横柄に振舞ったりする時だ。 「我々にとって日常の場面では"次に何をするか"が重要なのです。我々には無意識の行動指図システムという物があり、これが1日中次に何をするかを指図していると言うのが最近の考えです。脳はそのシステムの指図に従って命令を出しているが、意識ではそれに気がついていない。次に何をするかは意識と一致する時もあるし一致しない時もある」とイェール大学の心理学教授であるジョーン・A・バー氏は言う。 サブリミナルが与える影響については専門家の中にもかなり異論がある。1957年にジェームズ・ビッカリーと言う広告マンが、ニュージャージー州フォートリーの映画館でコカコーラとポップコーンの売上を上昇させるのに成功したと宣伝した。その手法とは、フィルムの合間に"ポップコーンを食べよう"、"コカコーラを飲もう"の文字を瞬間的に繰り返し見せるやり方であった。この文字は意識的には見ることが出来ないからサブリミナル効果があるはずだったか、広告会社も規制当局も最初からこの話に疑いを持っていた。1962年にビッカリーは遂にでっちあげである事を認めた。彼は自分の仕事の宣伝のために嘘を言ったのであるが、その後の研究でもこの種のサブリミナル商品は効果が無いと証明されている。 だから専門家は今回の実験の潜在意識効果を余り誇張しないように言う。「実験は意識が何もしないとは証明していない。言ってみれば車のキーを使わないでワイアーをつないでエンジンをかけるようなもので、そんの方法もあろうが、キーそのものが無いとか、キーは意味無いと言うものでは無い」とフロリダ大学心理学教授であるロイ・ボーマイスター氏は言う。 それでもこの方面の専門家はこの潜在意識の効果に注目している。2004年にはスタンフォード大学のエロン・ケイ氏が率いる研究チームが投資ゲームでサブリミナル効果を調べている。 実験に参加した学生の内の半分のグループは、大きなテーブルの端に座り投資ゲームを開始する。1対1のゲームで相手は見えない。テーブルの反対側には黒皮製の書類入れとカバンが置いてある。他の半分の学生も同じようにテーブルの端に座ってゲームをしたが、そのテーブルの端にはバックパックが置いてあった。すると黒皮製の書類入れとカバンが置いてあるテーブルに座った学生は、バックパックが置いてあるテーブルに座った学生に比べてお金にけちくさかった。 書類入れを認識して脳は、適切なプログラムである競争を選び儲けに邁進したわけだ。一方学生には自分達がそのように行動しているとは全然気が付いていない。 2005年に行われた別の実験では、オランダの心理学者が大学院の学生に狭い部屋に座ってもらい、アンケート用紙に答えてもらった。部屋の片隅には分らないように少量のかんきつ類の匂いがする洗剤の入った水を置いて、微かな匂いを発散させた。アンケート用紙を書いた後に実験に加わった男性と女性に、砕けやすいビスケットが実験担当スタッフからふるまわれた。 この光景を実験担当者は密かにフィルムに記憶していたのであるが、かんきつ類の匂いがする部屋で食べたグループはそうでないグループに比べて、砕けたビスケットを3回以上もきれいに片付けた。「潜在意識の効果は凄い。実験に加わった人達は何故自分達がそのような行動を取っているか分っていないはずです」とユトレヒト大学の心理学者であるヘンク・アーツ氏は言う。 実生活における潜在意識の効果は誰にでも明らかであろう。例えば、雨に濡れないように急いで車に走って運転を開始したらスピードを出し過ぎたとか、クリーニング屋さんにドライクリーニングした着物を取りに行くつもりで、ワインとタバコを買って来てしまったような経験である。 脳が潜在意識で命令する時は、意識の命令をする時と同じ神経細胞回路を使うようである。今年の5月にサイエンス誌に発表された研究によると、英国とフランスの専門家が18人の男女にコンピューターゲームをしてもらい、彼等の脳スキャンをした。ゲームとはスクリーンを見ながら、お金の写真が出たら直ぐジョイスティックをしっかり握るように命令する。強く握れば握るほど点数が上がるようにしておく。 当然、被験者は英国のポンド紙幣の写真が出た時、コインの写真が出た時以上にスティックを握り締めた。これらの写真は一瞬に消えるから意識的には見られない。しかし彼等の脳の中で活性化したのは同じ部分で、腹側淡蒼球(ventral pallidum)と言われる脳がスティックを握り締めた時に活性化していた。 「この部分は今まで爬虫類の脳と呼ばれていて、意識脳の下に位置している」とロンドン大学の神経心理学のクリス・フリス氏は言う。 この実験結果から意思決定はボトムアップのプロセスを経る事を示している。腹側淡蒼球はそのプロセスの下層に位置していて、上部の意識脳と連絡を取っているかも知れないとフリス氏は言う。 専門家は今まで何年も意識に関わる脳の場所を特定する努力をして来たが、今までの所成果は上がっていない。しかし前頭前野皮質がこれに関わっているのは誰の目にも明らかである。前頭前野皮質とはオデコの下に位置する脳の外側の薄い層である。実験からも分る通り、意思決定される時に関わる最後の最も難解な部分である。 ボトムアップの意志決定順序は進化論とも良く一致する。脳の内、皮質の下の部分は最初に進化して我々の生存を確かなものにしたであろう。例えば肉食猛獣から逃げ、ある時は戦い、腐肉を漁ったがそれを可能にしたのが爬虫類の脳であった。しかしその後、進化の過程で人間独特の意識の脳が加わった。この理論で行けば、無意識の脳は制限無しの開放型で適応性があり、遺伝子にまで蓄積された自動生き残り装置でもある。 別の実験によると無意識は意識と共同で作動するのが分っている。この実験では被験者を予め協力的であるように潜在意識に働きかけてゲームに参加させる。すると根気強くチームワークを守り、他の人を助け、情報を共有しそれが20分以上も持続した。積極的になるように潜在意識に働きかけていたグループも同様であった。 これで次のような例が説明できるであろう。例えば、ある人があるパーティーに元気良く参加して来たが途中から不機嫌になって、本人はそれに気がついていない。そこに居合わせた友達が後で指摘すると「私が無作法だったって、本当かね、何時から」と答える時がある。パーティー主催者の気が利かなかったか、壁にかかっていた家族の写真が面白くないか、あるいは誰かの政治的発言で何時の間にか腹を立てていたとかが潜在意識に作用して、このような結果になっている。 バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学の心理学者であるマーク・シェーラー氏が行った実験では、自己保存本能が刺激された時、例えば突然部屋の電光を暗くしたりすると、普通はおうように構えている白人もそばにいる黒人の顔をみて敵意を感じてしまう。 「無意識効果は時々意識効果より絶大である場合がある。何故なら意識的に判読できないものに対して、我々はそれを緩和させる手段をもたないからである。この場合無意識脳の欲求は活性化したままである」とシェーラー氏は言う。 その活性化は無意識が満足するまで続く。2006年にノースウェスターン大学で行われた実験では、被験者に過去にあった倫理にもとる行為や徳のある行為を思い出してもらう。例えば友人を裏切ったとか、誰かの忘れ物を届けるとかの行為を思い出す。その後、被験者は殺菌タオルと鉛筆が手渡されるが、どちらかを選択するように言われる。悪い行いを思い出したグループではそうでないグループに比べて2倍ほど多く殺菌タオルを選択した。彼等は心理的に浄化を選んだのだ。 一度手をきれいにすると彼等はあまり積極的に学校の行事に参加しなかった。手が清められた事により無意識の欲求が達成されたからだ。 自己改善の為に潜在意識を活用するとは自分をくすぐるようなものだとジョーン・A・バー氏は言う。もし既に貴方が知っているなら潜在意識に訴えても効果が無い。他人をそれで操ろうとしてもあやふやである。「誰かが自分を潜在意識で操っていると感じたなら、我々はその逆をしてその計画は頓挫する」と彼は言う。 無意識的衝動が、意識的衝動に何時どのように変化するかは専門家も分からない。あるいはどのような環境で無意識衝動をコントロールするかも分らない。何百万人もの人が禁煙に成功しているし、多くの人が悪しき衝動に打ち勝っているが、その衝動が何処から来るか我々も分っていない。 でも我々は1人で知覚作業をしているのでは無いと分り始めた。我々には目に見えない別のパートナーがいて、必ずしも意見が合う分けではないが、このパートナーは世界に対して強い反応を示し、鋭い直観力を持ち、他人にも思いやりがあるが、時として破壊的でもある。 脳科学ニュース・インデックスへ |