強迫行為(OCD)

2007年8月13日
正気の脳と狂いの脳はほんの紙一重だ。脳のような高度に精密化したコンピューターでは、ちょっとした部分の不具合は全体のシステムのダウンにつながる。その一例として強迫行為を取り上げるが、強迫行為も脳の一部の異常な作動で、人間の理性も生活も破壊される。

貴方は今、会社が終わり事務所を出て家まで12分車を運転するが、大通りに出ると自転車に乗った子供が貴方の前を横切る。直後にショックを感じて何かに乗り上げた感じがしたので、もしや子供をひいたのではないかと心配がよぎる。バックミラーで後を確かめると何も起きていないようだ。しかしどうも気になる。車を反転させて、来た道を走り調べるが路肩の枯葉の固まりしか発見できない。もしかしてあの固まりは子供の死体か。もう一度車を回して見る。なんやかんや繰り返しチェックをして4時間後にやっと家に帰り、妻には会議で遅くなったと言い訳を言う。ぐったり疲れてベッドにつき恥じ入るが、翌日も又同じ事の繰り返しをする。

この運転中の強迫行為は一例で、台所の包丁を見て自分が家族を刺してしまうのではの考えが消えなくなったり、あるいは家を出る時に何時間も確認したり、あらゆるものが不潔で細菌に汚染されているの考えが頭に取り付いて離れなくなったような時が強迫行為である。

多分我々は強迫行為と言うと、映画「恋愛小説家」で主演したへそ曲がりのジャック・ニコルソンを思い出すが正しくはない。映画ではハッピーエンドで、ジャック・ニコルソンは彼女の愛を獲得し、彼女も強迫行為であるジャック・ニコルソンを少々面倒ではあるが、深みのある魅力的な人物としているが現実はこうではない。

アメリカには、大人も子供も含めて現在700万人の強迫行為の患者がいるが、彼等の苦しみは想像以上である。そればかりでなく、家族に1人の患者がいると家族全体に影響し、1人の患者には数人の被害者がいると考えて良い。強迫行為の患者の多くは、鬱病、躁鬱病、注意欠陥多動性障害、自閉症、統合失調症等に誤診される。患者自身も症状をひた隠す為に、何年も埋もれているケースが多い。

コネチカット州ニュー・ヘイブンのOCD財団が実施した資料では、何と発症から診断にこぎつけるまで平均9年と出ている。更に診断から有効治療までが又8年かかる。つまり、子供が強迫行為を発症すると、子供時代の全てが強迫行為で苦しむ事を意味している。「強迫行為の研究は遅れていて、統合失調症、躁鬱病、自閉症、ADHD以下です」とジョーン・ホプキンス大学のジェラルド・ネスタット氏は言う。

しかし今や、新しい遺伝子学や脳のイメージ技術がこの病気の原因に迫っていて、状況は変わりつつある。

「人は大なり小なり強迫行為じみた行為をするものです。しかし、殆どは意味が無いとして日常生活では問題が起きていません。強迫行為の人達は、強迫行為そのものが生活を乗っ取ってしまって、生活が破壊されています。彼等をどうして元に戻すかを我々は考えているのです」とハーバード医科大学とマサチューセッツ総合病院で、強迫行為担当の医師であるサバイン・ウィルヘルム氏は言う。

一般的には多少の不安は必要である。太古の昔、家族が住む洞窟の周り以外にもライオンはいるであろうと心配する必要があった。自分以外にも危害が及ぶであろうと予測する事が、家族と社会の安全につながった。「不安には創造性と人間の高い質を感じさせます。進化が勝ち取った重要な特質です」とペンシルベニアにある神経症、広場恐怖症センターのジョナサン・グレイソン氏は言う。この遺伝子の中に組み込まれた特質は、高々数千年の現代生活で変わるものでは無い。

貴方の横で働いている女性が大変几帳面で神経質で、机を何時も完璧にきちんと整理しておかないと不機嫌になる場合、それを強迫行為と言うだろうか。「強迫行為に似た症状は誰にも多少ある。例えば私なんかは、数える必要が無いとき自分の指を折って数える時があるが、それだけでは強迫行為ではない。強迫行為と診断されるには、どれほど強迫行為により生活に困難が生じているか、どれほど長くその症状に苦しんでいるかが重要である。大方の人はここまで苦しまない」と小児精神科であるジュディス・ラポポート氏は言う。

一体何が原因で人は強迫行為になるのであろうか。答えは、脳の中のアーモンド状をした小さな脳である扁桃体にある。この部分は恐怖を感知し、警笛を鳴らす役割をするが、もしこの部分が興奮しっぱなしになって警笛を鳴らし続ければ、不安になって繰り返し確認行為をするであろう。しかし問題を起しているのが扁桃体だけではないのが次第に分って来た。fMRIと呼ばれる脳スキャン技術や他の最新技術で脳の深部まで調べると、眼窩前頭皮質(orbital frontal cortex)、尾状核(caudate nucleus)、視床(thalamus)の3つの分野が強迫行為に関わっているのが分った。

「これらの上記4つの脳の分野が回路を構成していて、不安に対する反応をコントロールしている。この回路が強迫行為の患者では過剰に反応しているのです」とカリフォルニア大学サンディエゴの強迫行為研究室のサンジャヤ・サクセナ氏は言う。強迫行為を広範にスキャンした実績を持つサクセナ氏は、強迫行為の中でも比較的希なケースである退蔵癖(Hoarding)の最新研究結果を説明している。退蔵癖とは、一切の物品を処分できないで積み上げる奇癖で、そんな人が1人で住むと寝室から台所、トイレに行くまでの狭い道を除き、全てガラクタの山になっている。サクセナ氏がこの人達の脳をスキャンした所、特徴的な異常が見つかった。他の強迫行為のようなある部分が興奮しているのではなく、前部帯状回の活動が鈍っていた。前部帯状回とは我々の注意を集中させる役割と決断に関わる脳である。「退蔵癖の人達はここに問題があったのです」とサクセナ氏は言う。

スキャン技術は我々に強迫行為脳の画像を提供するが、何故それが強迫行為を引き起こすかは説明出来ない。他の心の病気と同じく、強迫行為も強い遺伝子要素があり、近親者に強迫行為がいると強迫行為になる確立は12%と出る。リスクは低いようであるが、アメリカの一般の平均値より4倍以上高い。

強迫行為が遺伝子から来ると分ったら、次はどの遺伝子が原因なのか調べる。昨年の夏、ジョーンズ・ホプキンス大学の研究では、我々のゲノムの中で6箇所位に強迫行為に関連する遺伝子を発見したと発表した。家族に2人以上の強迫行為患者を出している219家族から1,008人の血を分析して、特徴的な遺伝子を分析した所、5個の染色体上にある6つの場所に関連遺伝子があるのが分った。。

ミシガン大学、トロント大学等が実施した研究では、強迫行為関連遺伝子は第9染色体上にあり、この遺伝子はグルタミン酸エステルと呼ばれる脳化学物質をコントロールしているのが分った。グルタミン酸エステルは脳内神経伝達物質で重要な役割をしているが、余り多すぎるとシグナルの発信が止まらず、非常ベルが鳴りっ放しの状態に成る。「グルタミン酸エステルは目的達成後直ぐ消滅されないといけない。そうでないとこの物質は脳細胞に毒として働く」とイェール大学の強迫行為研究者であるウラディミール・コリック氏は言う。

グルタミン酸エステルに関与する遺伝子が疑われるのは、この遺伝子を持っている人がある特定の人に限られるからである。強迫行為は男女等しくなるが、若年発症性の強迫行為は断然男子が多い。特に不随意痙攣であるチックや発声を伴うツレット症候群では典型的に男子に現れる。このグルタミン酸エステル遺伝子と反応している遺伝子は、男性ホルモンと関連する3つの遺伝子である。

ツレット症候群起すと思われる遺伝子はこの3つの遺伝子に関連している。だからこれら遺伝子が全て一箇所の染色体かその近くに集まると問題を起してしまう。「チックは男の子に多く発症して、その親もチックである場合が多い」とデューク大学の小児精神科医であるジョーン・マーチ氏は言う。

ここに更に論争を引き起こしている、強迫行為連鎖球菌説と言うのがある。17世紀のイギリスの医師であるトーマス・シデナムは、最初に子供の連鎖球菌感染とチック発症の関連を報告した。彼の発見した病気をシデナム舞踏病と呼ぶ。現在の専門家はチックと強迫行為の発症には連鎖球菌が関連しているのではと疑いはじめている。

去年、シカゴ大学とワシントン大学が、チックと強迫行為の子供144人を調べて他と比較した所、直前の3ヶ月に連鎖球菌に感染した率が2倍ほど高かった。尚144人の子供の71%は男子であった。ツレット症候群に至っては連鎖球菌感染率は13倍も高かった。

チックと強迫行為は多分我々の自己免疫反応の結果だろうと言うのがこの説である。自己免疫反応とは、体外から入った抗原に対して攻撃するべき免疫反応が、自分自身の健康な細胞に対して攻撃を開始する事である。連鎖球菌に感染したチックと強迫行為の子供の血液を検査すると、尾状核や被殻と呼ばれる脳で強化学習に関連する部分を攻撃する抗体のレベルが高かった。「確かに疫学的関連はある。しかしその証明には更なる研究が必要である」とニューヨーク大学の精神科助教授であるキャシー・バッドマン氏は言う。

治療法
薬物療法ではプロザックを始めとするSSRIが不安を和らげる効果があるので、恐怖曝露療法をする時に同時に服用する。恐怖曝露療法は効果が認められない時は必要以上に実行しないように医師も注意をしている。「強迫行為の症状に苦しんでいる期間が長ければ長いほど子供の状態が悪くなっている」とカリフォルニア大学小児強迫行為クリニックのジョーン・ピアセンチニ氏は言う。

イェール大学のコリック氏はグルタミン酸エステルに絞ってこれに作用する薬剤の開発を研究している。今までに分っている薬としてはリルゾールがあり、これはルー・ゲーリック病の為に開発されたが、脳内でグルタミン酸エステルを減らす役割をする。コリック氏が行った臨床試験では50人の患者に投与して約半分に35%の緩快があり、他の人達にも多少効果があった。

更に過激な例では、脳内に電極を装着して胸に取り付けられたペースメーカー状の機器からワイアーでシグナルを送る方法もあり、患部に微量の電流を流して強迫行為を起す脳の安定を図る。この方法はパーキンソン病の患者に既に実施されていて、世界では35,000人の人が既に受けている。しかしアメリカ食品薬品安全局は、強迫行為に対しては許可をしていない。「強迫行為の患者もこの方法により普通の生活に戻れます」とクリーブランドクリニックのアリ・レザイ氏は言う。

でも大方の強迫行為の人はこのような激しい療法は必要が無い。強迫行為とは、危険を知らせる脳の普通の反応であり、ただそれが大変強く現れただけだ。生きるとは危険と共に生きると事だから、実際の危険もあるし、想像上の危険もある。学習するのは容易ではないが、一度覚えれば不安心即安心と言う逆説的安心の境地があるのが分る。

斎藤注:本記事の内、行動療法についての長い説明は省略している。行動療法は今までも効果が無かったし、今後も効果が無い。



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