斎藤式

英会話上達法


私はご存知の様に神経症で人生を台なしにしましたが、その中でも1つだけ成功したものがあり、それは英語でした。英語は神経症特有の強迫観念に煽られてやった面も否定できませんが、とにかく、しゃにむに過去25年間やり続け、現在はかなりの所まで来たと自分でも感じています。

今はインターネットの時代であり、気軽に海外旅行できる時代ですから、人より上質の生活がしたいと思ったら、どうしても英語が要求される。私の神経症ホームページが他のホームページより質が上であるとすれば、英語からの情報入力の差が大きいでしょう。

斎藤式英語上達法の目的は、日常生活英語の取得です。それも日本の生活を外人に説明する程度のものでなく、アメリカ、イギリスに生活しても殆ど身の回りの事を表現できる事を目指しています。当然そうするには単に単語をふやすばかりでなく、生活に伴う表現を学習する必要がある。言葉とは生活、文化そのものですから、生活を無視して英語を学習する事は意味がないでしょう。

英語のマスターとは知識の習得というより、脳に新しい回路を作成する作業と言ったらよいでしょう。例えば、分厚い辞書をまる一冊暗記しても、真の英語取得には決して役だたない。子供を見れば分かるように、人間の言葉の学習は教育以前にあり、地球上の誰もが学校に行く前に言葉を完全に身に付けてしまう。だから言葉とは我々の遺伝子に関わる脳の学習と言われるわけです。

それではその英語回路を大人の頭にどう作成するか。我々大人の脳は既に母国語で完成しているから、ネイティブのようにはいかない。でも私の経験によると、日本にいながら高校を出て直ぐアメリカに行き4年間英語を修行した人くらいになれます。

NHKラジオ・テレビ英会話を徹底的にやる
これが基本で、私はトラック運転手当時、信号が止まる度にNHKの英会話テキストを引き出してそらんじたものです。NHKの会話テキストは、特に対訳の日本語部分に魅力を感じた。英語の原文とまったく違った日本語になっているのですが、不思議と本来の意味に合致しているのを見て、これこそが本物の翻訳だと感心したものです。英語のテキストも、実際の場面を多く取り入れているのでとても役に立った。初心者には、先ず英語の会話体が学校で習った英語とえらく違うのに驚くに違いない。私はこのテキストを2年くらい、ほとんどまる暗記するくらいやりました。

英語の基本は会話体にあり
学校の英語では殆ど会話体に接する事なく10年を過ごしたと思う。本物の英語だと思っていたら、実は日常英語から遠く離れた実用性のないものだったのです。英語の分からない教師、教科書業者、テスト業者の質に合わせて我々が勉強させられていたのだから結果は酷いものになった。私が英語をマスターして感じたのは、日本には殆ど英語が出来る人がいない事でした。

我々の脳は日本語で出来上がっているから単に音声を聞いていても理解出来ない。文字が必要で、NHKテキストを充分理解した上で、ラジオで文字と音声の関連をつかむ必要があります。

私が最も力を入れたのは、センテンスを頭から終わりまで全部空で言えるようにした事です。この練習は、英語を単語として見るのではなく、単語群として、センテンス全体が1つの単語のよう訓練するのです。日本人が最も苦手とするのは、1つ1つの単語ではなく、センテンスを一息に話す事ではないかと思う。大変困難ですが、この練習をすると次ぎのステップ、アメリカ映画に移行しやすい。

インセンティブ
我々に英語をやるぞと決心させるには何か刺激が必要です。私の場合、最初の英語を習う気持ちにさせたのは、35年前のフィリピン旅行であった。今でも思い出しますがマニラ空港の売店で売り子の女性が、英語のセンテンスをタッタと一気に話すのにショックを受けた。こちらは大学出なのに一言も出ない。なにくそ負けるかと、この時に英語に本腰を入れてやる決心がついたわけです。

NHKの英会話をある程度やった後、勇躍、私は東京の英会話喫茶店に行くことにした。しかしその結果は大変無残なもので、会話のグループに入っても何を話しているかさっぱり分からなかったし、しきりに自分の頭で英作文をして話そうとするのですが、声に出した頃には会話はずっと先に進んでいてばつの悪いものでした。
この部分が初心者の泣き所で、ビギナーの大半が会話に黙って座っているだけで、たまに話しても名前の紹介位終わってしまう。それでも我慢して英会話喫茶に数年行きましたが、幾ら行ってもさっぱり上達しない自分が嫌になって、しばらく行くのをやめました。

映画
ある日、テレビでアメリカの映画を見ていると女優が”Get out of my way”と叫んだのが聞こえた。”どいてよ”と彼女が叫んだわけですが、その時自分が会話が出来ないのは聞き取りばかりでなく、生活に密着した表現ができないからではないかと閃いた。それまでの努力と言えば、NHKの英会話、CNNニューズの聞き取り、タイム誌の購読くらいであったから当然です。

そこに映画のアイデアが閃いて早速実行に移した。先ず、映画を見るだけでは何だかさっぱり分からないから、本屋に行ってスクリーンプレイを買ってきた。これは映画の台本であり、セリフに対して対訳が右のページに書いてあって、大変初心者には有り難い。あの当時でプリティーウォーマンと言うのが流行っていて、そのスクリーンプレイを見ながら必死に映画に取り組んだものです。

圧巻はマリリンモンローの”7年目の浮気”で、私はこの映画をテキストなしに毎日1時間以上見ながら2ヶ月以上ビデオから聞き取りを試みた。呆れた事に余り繰り返しテープを巻戻すものだから、テープが痛んで表面が剥げ落ち、粉末がビデオ内部に付着し、修理に出すこと数回に及んだ。お蔭でこの映画の会話は殆ど頭に叩き込むことが出来ました。

英会話が好きでも、アメリカの映画にチャレンジしている人はあまりいないと思う。映画の会話は日本人にはあまりにも早すぎるし、会話体の基本が分からないから聞いていてもさっぱり分からないからです。
多くの初心者は話そうとする時に英作文をすると思う。しかしこれは間違いで、言葉はまねから始めるものであって、自分の創作であってはならない。言葉の型は社会の約束事であり、各人が自分の型を作ったら言葉がばらばらになってしまう。英語も一定の型があり、誰もがこの型にはめて話しているのです。映画を見て会話を習うとは言葉の型を習うに等しい。

我々は学校で沢山の語彙を学んだはずですが、実際はザルから抜けるようにほとんど頭に残っていないし、残っていたとしても実際場面で使えない。インターネットの時代に入って、英語のEメールが飛び込んで来ることが多くなりましたが、これを瞬時に読める人はあまりいないでしょう。アメリカに行ってスーパーの店内に書かれている広告を読める人もあまりいないと思う。

何故このようなことになってしまうのであろうか。それは我々の教育が現実から乖離しているからです。英語の先生のほとんどが留学したこともなく、実際に英語を使ったこともない。学校では辞書を引いて単語の意味を引き出し、文法で文章の構成を調べる。古代エジプト文字の解読作業のようなもので、ほとんどの学生は英語に興味をなくす。そして、社会に出ていざ現実に英語が必要になった時には、脳の言語中枢が閉じていて既に手遅れの状態です。

映画の場面から
私が映画を熱心に見ていたあるとき、いきなり主人公がHysterectomyと言った。主人公は女医なのですが、この発音だけがいやに印象に残り、いつか意味を調べようと思っていた。後でそれは子宮摘出という恐ろしい意味と分かり、以来この単語を忘れられない。

映画慕情では、香港島の岡の上でデートをしている時に、ウィリアム・ホールデン演じるマーク・エリオットの肩に蝶が止まった。その時ジェニファー・ジョーンズのハン・スーインが、”A butterfly perched on your shoulder”と言った。それ以来、鳥や蝶が何かにとまる時はPerchであると頭に焼き付けられた。

スティーヴン・セガールが演じるアクション映画では、セガールが悪漢どもにお前の好きな肛門科に行けと怒鳴る。その肛門科とは英語でProctologistである。

ある緊急手術の場面では医師が大きな声でCardiac arrestと叫んだ。意味は心臓停止です。これでCardiacが心臓で arrestが逮捕でなく停止の意味がすぐ分かる。映画ではこのように具体的に我々に迫ってきて、雰囲気、映像、感情等の意味が加わる。当然この状況では、我々の脳の言語中枢は活性化されるから見事に記憶され、私が英会話の現場に行くと他の日本人が使わない単語が出てきて、それがまわりに不興を呼び、次第に行き難くなる。

もう一度英会話の現場へ
映画をやると決意してから、私はものにつかれたようにも映画のビデオを見続け、この実績を引っさげて英会話の現場に乗り込んだ。今でもその時を覚えていますが、周りの人の話す英語が英語ではないと肌で感じた。
日本人が英語を話そうとする時は、日本語のベースに英語を上乗せしようとする。私はそんな話し方を”臭み”あるいは”煮干”と表現する。何故煮干かは、その人の英語には色艶が消えていて、英語のダシガラになっているからです。
映画で訓練しない人の英語は、単語の種類も少なく、会話が単調で直ぐに飽きてしまう。会話とは、はずみが大事で、はずみがはずみを呼ぶ。私の英語にはリズムがあり、ネイティブとポンポンやりあう自然な会話なのです。

聞き取りの難しさ
これだけ映画で訓練していても尚、聞き取りの難しさには閉口する。今でも時々ネイティブの言っている事が分からなくなる時があるが、そんな時は質問して会話に追いつくようにしている。大体日本人の完成した脳では英語の完全理解は無理でなのが分かってきた。

テレビで聞き流しドットコムの宣伝がうるさいですが、大人の固い頭ではただ聞き流しているだけでは上達は無理でしょう。やはり立ち止まって意味を確認して、時々は文の構造まで点検する必要がある。倦まずたゆまず毎日聞き続けて行けばそれなりの向上につながるでしょうが、ネイティブ並みの聞き取りにはなれないと私は大分悲観的です。

会話学校とオンライン会話の違い
フィリピンを基地とするオンライン会話が最近スカイプで開始され、利用者は多いと思う。私も3年前に開始して、それ以来毎日必ず1時間弱会話し、会話能力はかなり上達しました。
私は、オンライン会話以前は英会話喫茶の常連で、20年も行ったわけですが、その幕切れは後味の悪いものになってしまった。何故こんな事になってしまったのだろう。それは自分にも喫茶側にも責任があったと思う。私の問題は、あまりに話すことに努力をしたために、聞き取りとのバランスが崩れて、会話が不自然になってしまったことです。話はめっぽう強くなっても、聞き取りが追いつかなく、当然不満が顔に出てきて会話が気まずくなる。

喫茶側の問題としては、確かに生の英語の場所は提供してくれるが、所詮1時間の枠で、しかもネイティブ一人に対して日本人は5人はいるから、自分の話す時間はわずか5分から10分となる。さらに1週間に1度が精一杯ですから、これでは20年通っても上手くならない。

また、毎回通う人の中にはとんでもない人がいる。私の英会話喫茶には常連のお年寄りがいて、この人は半分ボケが進行しているのか、毎回同じ話をする。聞きもしないのに”舞子さんの歴史”を説明し始めて長時間会話を独占する。こんな人が行くたびに外人の前に座っていると、もう行く気がしなくなる。

もう一つは外人スタッフの問題だ。アメリカ人は全員とは言わないが良くしゃべる。人によっては1時間話しまくって、せっかく話のチャンスを求めて来る人を当惑させる。喫茶側もこんな外人をクビにすればいいものを、3ヶ月もほっておくからついに私も癇癪を起して喫茶に行かない決意をした。そんな折に、ある女性が私にスカイトークと言うオンラインの英会話を教えてくれて、以来フィリピン女性と会話を楽しんでる。

フィリピンの問題
彼女たちは子供の頃から英語に接しているから日本人とは比べ物にならないですが、彼等も英語を母国語としていないから、日本とある意味で同じです。ただ不満なのは彼女たちの中身の不足だ。彼女たちは話すものがないらしく、ひたすらこちらに質問をしてくる。
アメリカ人だったら、ある人はコンピューターの話をするし、ある人は政治経済の蘊蓄を傾けるがフィリピンにはそうしたものがない。ははー、これが国情というものだなと私は結論した。でもレッスン代はわずか25分間で150円だ。慎重に相手を選べば満足できる。

毎日3年間も英語を話し続けると、69歳の年寄りでも上達する。今は会話をしていても言うことに詰ってしまうことがほとんどなくなった。しかしアメリカ人とそこまでできるかは自信がない。先日ハワイに行った時に、現地の英語のツアーに加わりオアフ島を一周をしましたが、運転手兼ガイドとアメリカ人一行との会話のあまりの速さに、すっかり落ち込んで帰ってきました。
ネイティブの実力のほどは想像以上で、やはり英語学習に終わりはないの結論に達しています。


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