あるがままの幻想

私は、もう18年間も、あるがままは間違っているとホームページでキャンペーンしていますが、それを実際に神経症者に説明しようとすると、適当な言葉が浮かばない時がある。しかし、先日、他人の掲示板に行って色々な書き込みを読んでいる内に、新しいページを書きたくなった。

その掲示板では、ある人が、あるがままは”幻想”であると喝破していた。実に上手い表現である。
あるがままとは健康な状態であり、健康な人の普段の様子であるが、別に彼等は自分があるがままであるべきとか、思っている分けではない。何故なら、意識する必要がないからであり、意識するのは余計なことであり、それをすると、あるがままが崩壊するのを無意識に知っているからであろう。だから、健康な人に「貴方は今あるがままですか」と質問したら、質問された人は答えに窮するに違いない。

例えば、学校で、授業中に立ち上がって先生に質問したとする。所が立ち上がった瞬間に、質問する内容を忘れてしまったらどうであろう。バツが悪くて、冷や汗が出る経験である。そのバツの悪い瞬間が、あるがままであるには違いないが、本人はそんなことはどうでも良いのであって、早く取り繕って窮地を脱出しようとするだけだ。

所がその時、あるがままであるかどうかを確認したとする。すると、自然の意識の流れに乱れが生じるから、情報処理に結滞が生じて、意識の分裂に移行する。これは大変不健康な意識操作であり、絶対やってはいけないのである。もっと危険な例を出せば、自動車の運転中にあるがままの確認をやると、間違いなくブレーキ操作が遅れて、重大事故を起こしてしまう。

そのような事がないように、我々の脳には安全装置があって、一瞬の動作が必要な時は、意識が動作を妨害しないようになっている。だから、よほどの神経症の人でも、ヒヤッとする瞬間には、神経症を忘れている。それを宇佐先生は全治と表現しているが、正確には全治でなく、ブレインロックが解除されたと言うべきでしょう。この状態では、重度の神経症者も一時的に神経症が解消されて、言わば火事場のバカ力的動作を獲得する。しかし、ブレインロックは間もなく戻って来て、何時もの神経症に戻る。

余りに森田療法を信奉していると、動物に備わった安全装置が働かなくなる可能性があって心配だ。私はこの手の神経症患者を”森田療法病患者”と呼ぶが、彼等は座右に森田の言葉を並べていて、”必要とあらば嫌なことにもすっと手を出す、ふっとやる、すっとやる、現在になり切る、不安になり切る ”と号令を出しっ放しにしている。
こうなると自然に備わった脳の基本的情報処理システムが乱れ始めて、日常全ての活動に遅滞が生ずるようになる。周りとの連携プレーも困難になり、間違いが多発する。工夫気配りが消滅するだろうから、会社にいても浮き上がり、最終的には仕事を失うことになる。

私は、このような間違った森田療法の指導の犠牲になった、神経症患者を多く知っている。この人たちのその後の人生は困難を極め、大半が健康を回復することなく、一生を終わって行く。

それに比べて森田療法を放棄した斎藤は、48歳のある晩を境にして別の人間に生まれ変わった。16歳から48歳までの30年間、人生の最も活発な時期を神経症で過ごした斎藤が、この瞬間に変わり、その後の23年間に失った30年間を取り戻したばかりでなく、この通り、71歳の今も現役で活躍していて、健康な人以上の実績を残している。

如何に、森田療法が神経症者の人生を破壊しているか知るべきです。



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